やはりどう考えても

勉強をしない子に怒る先生や

生徒さんを強制的に呼び立てたり、

残したりする先生というのは

個人的には1流の先生ではないと

思っております。

 

少なくとも私は「怖い先生」って

言われたらかなり凹みます。

 

そもそも“怖い先生”って実際は

子どもからしたら怖いんじゃなくて

ウザい先生なんですよね。

 

“怖い先生”っていう表現は

子どもなりの気遣いだと私は思います。

 

“ウザい”って言い放ってしまえば

さすがにあの先生もかわいそうかな・・・みたいな。

 

子どもは基本優しいです。

 

そんな子どもたちの

優しさや気遣いに

胡座をかいて甘んじるのは

避けたいです。

 

 

私が思うに子ども的に

ホントに怖い大人というのは

 

自分の本質的・才能的な部分を

見抜いてくる大人だと思います。

 

だから基本、子どもというのは

親は場面や自分の親のキャラ次第で

ウザくはあっても、“怖い”ということは

なかなか珍しいです。

 

だって親は基本無条件に自分の味方だし、

自分の今後に期待をかけてくれますから。

 

 

ただ子どもも中学生くらいになって

少しずつ大人になってくると

他人はそうではない、つまり

言葉ではどんなことを言ってくれていても、

“切り捨てられるときは切り捨てられる”

ってことを肌感覚で分かってくると思うんですね。

 

 

だからそういう年齢になってきたときに

 

「この人に“たいしたことない奴やな・・”とは

絶対に思われてはいかん!」

 

「この人をガッカリさせてはならん!」

 

つまり

 

「この人に認めてもらいたい!」

 

っていう風に思えば

自然と宿題もちゃんとするし

自習の頻度も増し、質も向上するのが

普通だと私は思います。

 

 

故に、生徒さんが

宿題をちゃんとしないとか

能動的に自習に励まない、

つまりは成績が上がらないというのは

全ては先生の魅力の無さに起因するとも

私は思っています。

 

はっきり言っちゃうのですが、

確かに生徒さんの習慣というのは

90%以上というのは

その起源は親だと言えると思います。

 

ただそんなの誰だって

そもそも完璧な人間ではないし、

その子を育てるのなんか初めてなので、

その子が安心して寝食できる環境を

提供できていれば親の務めは

どう考えても十二分に果たせていると

言えるのではないでしょうか。

 

何事も贅沢を言い出せばキリがありません。

 

 

だからこそ優秀な教師には価値があって、

で、その優秀な教師とは前にも述べたように、

ある種、生徒さんから畏敬と憧れの念を持って

眺められる人間なんじゃないかと私は思います。

 

 

簡単に言えば、いろんな意味で

 

この人からは得るもんある!

 

って思ってもらえる大人だったら、

そんな厳しいこと言わなくても

子どもも自ら認められようと

変わっていくと思うんですね。

 

ホントに私なんかもまだまだですが、

少なくとも私はそういう先生になれたら

自分自身もっと楽しいだろうな〜と思っております。

 

 

この仕事はホントに先生次第です。

 

 

 

 

ていうか雨降り過ぎ。