昨日は無様なブログを

披露し失礼致しました。

 

一人で抱えるにはあまりに

珍しいネタだったのでつい・・・

 

 

私としては前回に述べたように

肉体的な疲労は全く変わりませんし、

結果的に“慢性の腰痛・肩こり”が解消され、

なおかつ利益も増えるという

(もちろん生徒さんがついて下さればですが)

いいことの方が多いです。

 

ただやはり校内生の保護者様に

ご不安を与えてしまったことが

非常に心苦しいのと、

時間割をどうしても改変せざるを得ず、

その改変には頭を悩ませております。

 

そういったわけで6月中は

新入塾生の受付は無しにして、

7月以降でまたご希望下さる方には

ご利用頂けるように頑張ります。

 

小中生の方には

全て自分のクオリティが

ご提供できるわけでして、

入試においても

完全に全て自分一人で

コントロールできるので、

特に数学の勉強量とポイントの

指示はより合理的になるはずです。

 

6月中には灘目指す生徒さんにも、

英語国語同様、余裕を持って

対応できるようにします。

 

これ熱過ぎでしょ。

 

 

 

とにかく私が塾講師として一番こだわるのは

生徒さんに変わってもらうことです。

 

もちろん塾ですので、

それは“行きたい学校に届くか否か”が

基準となります。

 

志望校に受かるか否かは

そこへ合格するに値する

生活習慣(および性格)が

あるかどうかが8〜9割

そのカギを握ります。

 

テスト対策と称して

“あれやこれややってますよ”と

アピールする塾がほとんどですし、

私も学生講師の頃などは

よくやってましたが、

結論としてはそんなのは

全部フェイクで、そういう塾ほど

非進学校へ進学する生徒が

その教室の売り上げを

支えている場合は多いです。

 

だからそういう教室は

合格校の提示もしないし、

合格者に対する分母も示しません。

 

まぁ、それは責任者の方の哲学なので自由です。

 

ただ私は究永舎をそういう教室にしたくありません。

 

 

なんでそれだけ

“てすとたいさく”を

全国の塾はやってくれているのに

平均80点もいかない生徒さんが

そこら中にあふれかえるのでしょうか?

 

 

それはただただ単純に

その生徒さんが

何も変わってないからです。

 

ダイエットだったら

物理的に食べなければ

確実に痩せていきますが、

勉強はやる気がない、

意欲がないのに

無理から暗記させられても

必ず抜けていきます。

 

数学とかにしても、

 

“なんで自分はこれできないねん!!”

 

と心の底から思わない人に

成長はありません。

 

 

で、一番の問題は

そうやって塾に通いながらにして

能動的に勉強する機会が

“おせっかい”によって

必要以上に奪われることです。

 

 

おそらく多くの塾と私の違いは

多くの塾(親)は塾があれやこれや

しないと生徒は成績が取れないと

思っているところだと思います。

 

私はそうでなくて、

人間というのは

デフォルト(初期設定)が

 

“学ぶことに意欲的である”

 

すなわち

 

“やる気はある”

 

だと思っており、

(赤ちゃん見てたらそれは明らか)

それが失せていってるのは

これまでの人生で

それを発揮させない何かが

積み重なっての結果だと考えております。

 

 

実際究永舎では怒らなくても

9割くらいの子は宿題は

しっかりやってきてくれます。

 

勉強しない子に怒るというのは

私的にはキングオブ3流です。

 

「いやいや...、講師になんの魅力もないからやん!」みたいな。

 

 

とにもかくにも

成績が志望校に対して

思わしくない場合には

いかにデフォルト状態に

生徒さんを戻すかが重要です。

 

光博くんもよく言ってますが、

塾選びの要諦は講師と生徒の

化学反応です。

 

 

 

だからできれば保護者様は勉強面には何も言わないで下さい!

 

 

だから私が言う“変わる”というのは

何かすごい世界に行く!とかでなくて、

生徒さんで言えば

“元に戻す”というイメージです。

 

 

例えばどこかを目指す!となった際。

 

カーナビは目的地だけ分かっても

目的地にはたどりつけません。

 

現在地も分からないといけません。

 

優秀な受験生と

そこに入らない大半の受験生との

大きな違いはそこで、

多くの中高生は現在地、すなわち

 

“自分がどういうヤツか!?”

 

っていうのを正確に捉えてない、

ていうか大人が余計なことしまくるせいで

捉えることの重要性や

捉えようとする機会を

奪われてしまっていると私は考えています。

 

 

人よりやってなかったら

人より結果出なくて当然ということを

まずは理解しなければならないです。

 

が、

 

これまた全国の多くの塾が

“できない子”に対して

その子が根本何も変わってない状態で

親の目も気にして

無理から勉強やらせるものだから、

そういう子からすれば

 

「こんだけ“シンドイ”思いしてるのに、

それでも◯◯くんや◯◯ちゃんみたいに

高得点取れないんだからやっぱ自分は

バカなんだ・・」

 

的な方向に余計行ってるような

気がするんですね。

 

 

いやいやそうじゃないと。

 

成績は能動的に取り組んだ量に

最終的には必ず比例するので、

(大学受験はこれがモロに出るから面白いし怖い)

出てる結果はある意味正しいものなんだよと・・

 

私がやってるのは

この誤った明後日の方向へ

親子揃って行ってしまわないように

するだけで、やはり人間は

余計な何かが無ければ

いつかやる気になると

思ってるので、仮にそれが

中高時代に結果として出ないことで、

保護者様からの、究永舎、しいては

私の評価が下がったとしても、

価値としては変な邪魔しないだけ

まだマシなんじゃないかと思っています。

 

エンジンが調子悪いのに

一生懸命ワイパー修理や

タイヤ交換するような努力ほど

悲しいことってないじゃないですか・・

 

 

子どもの立場からしたら

別に周りに迷惑もかけてないのに

不勉強な大人に感覚的に、

「“ふつう”こうだから」とかで

間違った接し方されるくらいなら

放っておいてくれた方が

まだマシじゃないですか。

 

 

そういった意味で

世間のお子さんをお預かりする

この仕事を甘く見てる人間、

自分がもっと伸びれば

生徒さんも変わるはずと

日々思えない人間は

やっぱ私は合わないですわ。笑