昨日は昼間に博多一風堂さんで

赤玉スペシャルを替え玉してしまい、

最近小食となった私はお腹いっぱいを

通り越して腹を壊してしまい

その後1日苦しんでしまいました・・・

(味はふつうに激旨でした)

 

 

というわけで、

 

 

前回の続きで社会について

書いてみようかなと思います。

 

 

大手塾時代と究永舎時代とでは

各科目に対する考え方も

大きく変わりましたが、

個人的に最も変わったのが社会です。

 

 

まず大手塾時代は

 

社会=一番後回し(どうでもいい)

 

という感じで

ほぼほぼ深く考えたことは

ございませんでした・・・

 

と言いますのも、

当時私は兵庫県の塾に勤めており、

難関私学の子たちと

公立志望の子たちを

半々くらいの割合で

担当させて頂いておりました。

 

その頃の感覚で言えば

まず灘や甲陽(当時)は

高校受験に社会がありませんし、

東大寺は社会が適当でも

他の4教科で受かりますし、

西大和は社会(理科も)が傾斜で

配点が低い(しかも記号が多い)ですし、

兵庫の子たちは大阪星光は

1.5次(英数国の3教科)として

灘・甲陽のあとに当時は受けていましたので、

社会はほぼ勉強しません。

 

地元で人気の専願校である関学も

社会はありませんのでこれまた

受験生は社会はスルーです。

 

そういった、

特に関学(通知表がいる)以外の

難関私学受験生の中には

学校の定期テストで

社会は平均未満という子も

珍しくありませんでした。

 

というかそもそも私がいた教室には

社会の講座自体がなかったです。

 

それにしても甲陽が高校受験を廃止し、

星光も1.5次がなくなったり、

関学も共学になったり、

私が37歳になったりと

隔世の感は否めません・・・

 

とまぁ、大阪の方の関心的には

カイヤと麻世の離婚問題と

同レベルの話をしてしまい

失礼致しました。

 

 

 

そんなこんなで社会に1ミリも

関心を持っていなかった私ですが、

生まれて3回目にやってきたここ豊中で

教室を開いてから以降、

なんとか生き残ろう、

つまりは地域の皆さんに

なんとか認めて頂こう、

なんとか売れてやろう!

ということで躍起になって、

いろいろ取り組んできた中で年々・・・

 

 

“社会の良さ”

 

 

に気付いたのです。

 

 

とりあえず今回は私が“社会の良さ”に

気づくまでの流れをお話しました。

 

次回はじゃあその社会の良さとは

何なのか?を書いていきます。

 

 

ズバリ一言で申せば

 

成績の上がり易さです。

(いや、もう言うてもたけども)