高校野球うんぬんというよりも

“現行の学校体制”自体を

レボリューションすべきなんじゃないか?って

個人的には思います。

 

もう少し具体的に言うと

大学受験ありきの

科目指導はやめようよと・・・

 

 

例えば英語一つとっても、

ぶっちゃけ何を目指してるのかは

誰もはっきり分かってないと思うんですね。

 

 

例えば日本国内に限った話でも、

学術論文を日々読んでる院生や教授の方が

ビジネスの現場でいきなり活躍できるか?って

言われたらふつうはなかなか厳しいでしょうし、

反対に大企業の創業者などが

学術論文読めるか?ってなったら

これまた厳しいでしょう。

 

それぞれが各自で

できることを世の中のために

やるのがベストです。

 

ところがこと“英語”ってなったら

このどちらも目指しなさい的な状態、

すなわち二兎追って一兎も得られずに

なってると思うんですよ。

 

もともと大学っていうのは

やっぱり研究機関だと思うんですね。

 

で、そのためには英語で書かれた

論文が読める必要があると・・・

 

列強に追いつけ

追い越せって時代ですよね。

 

そしてそのためには

その下地がある人間でないと

大学に入ってもらっても困りますよと。

 

そういうスタンスから

今のようないわゆる“受験英語”って

生まれたと思うんですね。

 

で、結局そのスタンスを残したまま

2000年代ぐらいから

改めて時代はグローバルなんだと、

英語はコミュニケーションの道具なんだ

みたいなノリになってという・・

 

まぁ、そんな感じなわけなんですが、

これってただ大人が勝手に

ギャーギャー言ってるだけで、

大学受験に臨む、あるいはすでに

クリアした人たちの9割以上って

その後英語の学術論文を読むこともないし、

“世界の人々”とコミュニケーションを

とることすらないわけですよ・・

 

それどころか“世間の人々”と

やっていくことすら

楽勝ではないわけなんですね。

 

政府から徴収されるお金も

ますます高くなるし、

とにかく稼がんことにはと...笑

 

 

下手したら一番実用性が

高いんじゃないの?っていう

英語ですらこんな感じですから、

他の科目などは言うに及ばずという・・・

 

 

よく言われるように

“読み書きそろばん”のレベルは

必要だと思いますが、

それ以上のことは

別に何を学んでもいいと思うんですね。

 

で、いろんな人から学べるように

教員免許は撤廃すると。

 

air b&bの勉強版みたいなノリで

いいんじゃないかと思うんですね。

 

大学の数を絞って

いわゆる“ガチ勢”だけに

進学してもらって、

それ以外は、自立できた人から

どんどこ就労してもらうと。

 

20前後の子が遊んで

ばっかりっていうのは

本人のためにもめちゃくちゃ

もったいないです。

(ていうか学費〜〜〜!!!!!)

 

私なんかは大学2年生くらいで

この仕事で行くって決めてからは

大学早く辞めたくて仕方なかったです。

 

なのに1年余分に通わさられるという笑

 

 

 

この場合自立できない人は・・・う〜ん・・・

 (心身や家庭の状況次第では当然社会が

バックアップしないといけない場合もあります)

 

 

 

確実に言えるのは

完璧な体制などないということ。

 

 

ただ明らかに時代にそぐわない

非効率で無駄なもの、

いわば“誰得?”を

撤廃することは大切で、

人が最大資源のこの国にとっては

人の有効活用を検討するうえで

学校制度の改革は必須だなと思う次第です。

 

まぁ、国のこと考える前に

自分の教室のこと考えろよ!って感じなんですが。