危機管理学部を知ってから
俄然興味が湧いて昨日の
宮川さんの会見もフルで見ました。
話されていることを
聞きながら思わざるを
得ませんでした。
様々な思惑で質問されている
報道側の方々・・・
ふとよぎるのは
市川海老蔵さんの
奥様の病状についての会見後、
海老蔵さんの願いも虚しく
自宅に連日詰めかける
報道陣の人だかり・・・
まぁ、この海老蔵さんファミリーの
一件に限らずマスコミの方々っていうのは
“撮れ高”のためだったら
モラルも何もあったもんじゃないことを
平気でよくやってるやん!みたいな
イメージがむっちゃあるんですけど
いかがなものでしょうか?
マスコミに限らず
これまでニュースになった
企業の社内隠蔽などもそうで、
トップからの指示なら
自分の倫理観をハミ出ることは
人は案外簡単にできるもの
なのではないでしょうか?
内田監督、井上コーチ、宮川さん
これらの人を世間の人は誰一人として
対岸の火事として
眺めることはするべきでなく、
純粋に他山の石として
捉えるべきだろうと思う今日この頃・・・
ぶっちゃけ(るまでもないが)、
塾業界などでもそうなんですね。
入塾試験であきらかに
集団指導にはついてこれないと
分かっているのにノルマ達成のため
“合格”にしてしまう。
(新年度・夏期講習・冬期講習によくある)
売り上げ達成のために
不必要な講座まで強引に
受講を勧めて“取らせる”。
合格実績のために
あきらかに不必要な
学校までを先輩からそう言えと
代々伝わる“理由”をつけて受験させる。
“ターゲットにした学校”の
合格実績を1人でも多く出すために
生徒には普通なら推さない学校を
強引に推して“受けさせる”。
もちろん
“最終的には生徒と親御さんの判断”
ということにする。
合格発表の日は
不合格者の対応を○分以内に済ませ、
その後不合格者を尻目に
速攻で合格者全員を所定の場所に集め
チラシ用の写真を撮るよう
“上”から言われているから撮る。
これってその本質は
日大問題と何ら変わらないし、
ホント人間ってそんなものだと
思うんですね。
実際そういう会社が
世間から一番評価されているのだから、
それが“スタンダード”ってことです。
ただ、そういうモラル違反を
普通の大人は全部“上”のせいにするのが
一般的かと思うのですが、
今回の会見で宮川さんは
それを一切していたなかったので
一市民としてそれには感心致しました。
もし、他者批判、
他者の揚げ足取りに
類稀なる才能を持った
私が宮川さんの立場だったら・・・笑
ていうか失礼ながら
宮川さんのご両親が
良い意味で普通じゃないなと・・
きっと非常に長い目で
息子さんの人生を
ご想像なさったときに、
今回の形を最終的には
後押しなさったのではないかと
勝手に想像しております。
本田圭佑選手が
「ハリルのサッカーに服従して
代表に選ばれる方が恥ずかしい」と
発言して波紋を拡げましたが、
これにしても一般社会では
“恥ずかしいものに
恥ずかしくない理由を
自分で作ってフタをする”のが
一番よくあるパターンだと思います。
そういう意味では
自分の言動の理由が
常に自分がそう感じたからだという
人がホントの意味で自由な人だと思います。
一生に一回の人生。
全ては自分の選択の
積み重ねで作られる人生。
最終的に全ては自己責任でしかない人生。
親、先生、先輩、上司、社長、知事、総理大臣、国連事務総長、神様
誰もその人の人生に
責任なんか取れっこない。
だから私は好きにやりまっせと。笑
それに・・・
止まっている人間は
いつか追い抜けるのだから、
どんなに立場が上の人だろうと
絶対視することも止めた方がいいかなと・・・
日本の場合は大きな失敗をしない人が
結果的に出世していく傾向があるので、
必ずしも立場が“上”だからと言って
若い人よりも優れているとは限りません。
ていうか“止まっている人間”の場合は
もはや生きた腐乱死体と化している場合も
よくある話なので、偉いと見せかけて
意外と冴えてない場合も
よくあるんじゃないか?
って私は思ってます。
ただその“上”を批判するだけだったら
自分も腐っていってしまいますけど・・
“長い人生”とよく言われますけど、
ホントに頭も体もバリバリなのは
10代から30前後くらいまでで、
かつ、10代から25くらいまでが
人生の核になると思うので、
私はそういう意味では
人生は決して長いなんてことはなくて、
むしろホントに短すぎると思います・・・
いやはやバリバリにキレてるのが
ほんの10〜10数年の間だけなんて・・・
(まだセミとかよりマシだけど)
止まっている人間は追い抜ける
正直、まだまだ
“若者よ!頑張れ!”とか
“夢を叶えるお手伝いをしたい!”
なんていう気には私はなれません。
若者は脅威でしかないです。(震
内田監督の会見と
宮川さんの会見と両方見て、
改めてそう感じました。