私は教育者でもなんでもなく、
ただのサービス業者なのですが、
それでも“育ち”というものには
決定的なものがあると
自身および、他人を見ていると
痛感することが多いです。
とりわけ全力を出していない子供の
言い訳に寄り添ってしまうというのは
大人が一番やってはいけない過ちであると
思われます。
大人の方なら分かって
頂けると思うのですが、
仕事の世界(受験の世界も同じですが)で
卓越する人というのは
まずもってして無茶苦茶働きますし、
上を目指す過程で、分からないこと、
できないことが出てきますから
勉強もよくされます。
朝から晩まで仕事のことを考え、
公私の境目も分かりにくい人が多いです。
特に、“できない”という
発想に欠ける危険な人物が多いです。
要は限界点が人より高く、
かつ、それを何とか
押し上げようとする
クレイジーな面も
およそ共通します。
こういった姿勢、態度というのは
私が知る範囲の“そういう人”は
最初から、すなわち若い頃から
そうでした。
クレイジー・ゴナ・クレイジーです。
たぶんそういう育ち方、
すなわち全力を出さずして
白旗を挙げるようなマネをしない、
できない、させてもらえない
育ち方をしてこられたのだと思います。
元プロボクサー世界チャンピオンの
薬師寺保栄選手のエピソードで、
自身でやりたいと言って始めた
ボクシングを途中で辞めて、
暴走族に戻って生活していたある日、
家でゴロゴロしていたところ、
お父さんに一升瓶で顔面を殴られた
というエピソード(笑)があるのですが、
(ザ・クレイジー!!!!!!!)
これはやり過ぎににしても、
反対に全力を出していない子供の
言い分を認めてあげるというのは
私にはその子の人生を一升瓶でぶっ叩くに
等しい行為(言い過ぎ)に感じられます。
“全力の定義”は大学生くらい、
特に社会人になってからでは
もうちょっとやそっとじゃ変わりません。
これも大人の方ならご存知の通り、
しないヤツは是が非でも
できることすらしないんです。笑
ですから部活でも受験でも
何でもいいので、決して人に
強制されるのではなく、
自身で“ぶっ倒れるまで”物事に
取り組む経験が私は重要だと思います。
『あれ?以外とこのレベルはできるな・・・』
みたいな。
もし悩むとすれば
その後ということになります。
全力を出してないのに
悩むというのは、
それは悩んでいるのではなく
血迷っているという状況ですから、
『全力でやったん?』て聞いて
あげるのが正しい接し方ではないでしょうか?
いきなり一升瓶はマズイです。
(でも息子さんはチャンピオンになられましたが..)
ちなみに子供が心の中で
「あなたは?」って聞き返している
可能性も大いにありえます。
私がそういう子供でしたから
それはよく分かります。