いわゆる毒親に育てられ
現在70歳前後の方と
定期的に話す機会があります。
実は私は最初
その毒親の方と知り合いまして
あとからその娘さんと関わりを持つようになった。
毒母の過去は
娘さんから話を聞くまで知りませんでした。
多少、急に上から目線の時があるな
という感じの
認知症のおばあさんでした
そしてその母親は
何年か前に他界した。
生きているうちは
娘は母に会いませんでした。
他者に厳しく批判的で
要求ばかりで育てられた娘は
懸命に親との接点を無くして
若い頃無理やりに母を切り捨て
ひっそりと1人で生きていたけれど
人のことも自分のことも信じていなくて
70になった今でも生きづらそうです
もう彼女を批判し指図し奪い取る人は
誰もいなくなったというのに
いつも誰かにそうされるのではと
怯えているようで
新しいことを始めたら
自分が他の人より出来ないと
恥ずかしそうに言い訳し
日々のニュースで知る情報に
自分がどれだけ弱い立場で
不安を感じさせられて
どうして良いか分からないと嘆き
解決方法を他者に求め落ち込む。
育ちとかトラウマって
ものすごいしつこい
70にもなって
まだ自分の持ち物を人と比べて
卑下し
裏返して人を憎む。
私には
「他の人は関係ない。あなたは十分頑張ってきたし、そのままで素晴らしいですよ。」
と伝えることしかできません
が、多分届いてない
自己肯定感の意味を履き違えたたくさんの
不安症の親が
「自信が持てる持ち物を親として
ちゃんと持たせなくちゃ」と
躍起になって学歴やら何やらを与えようとし
親のコントロール化に子供の成長を置こうとして
上手くいかないと嘆いたり
子供を罵倒してきた
脈々と流れるそういう家系の
末端で同じことが繰り返されて
一部の末裔は
子供を持たない、結婚しないと決心して
でも
そういう育ちの大人は
他人の子育てに批判的で
伸び伸びと子育てしてる家庭にも
白い目を向けてくる
やめてもらいたい。
気の毒だとは思うけど
やめてもらいたい。
子育てってコントロールと別物だってば。
こっちは比べる気なんて
さらさらなかったのに
勝手に天秤に乗せてさわぐのも
やめてもらいたい。
人の目を気にする人って
人に迷惑かけちゃいけないって思う
真面目な人なんだよね〜説も
自分がよく思われたいだけの
ずるい人の言い訳と私は思う
まじ‐め【真‐面‐目】 の解説
1 うそやいいかげんなところがなく、
であること。 であること。また、そのさま。
2
のあること。 であること。また、そのさま。
他人軸で子育てしたり行動するって
子供に誠実ですか?
ただ自己判断で
責任を取る習慣が無いんだと思う。
そういう人、大人でもたくさんいる
娘が不登校になって
割と早い段階で
娘の希望通り
内部進学しないと決めた時
みんなに
「よく決断できましたね。」みたいなこと
言われた
でもさ
学校にしがみついたって
誰も娘の未来に責任取れないですよね?って
聞き返したかった
それだったら
この子がやりたいってこと
やりたくないってこと
信じてあげたいと思った
唯一無二のこの子だから。
それで親子ですっ転んでも
大笑いしてやるって
それでこそこの子
私の大好きな
困ったちゃん
娘の不登校は
母としての私を
強く強くしてしまいました
私の母は私よりもっと強くて
孫の不登校にとても悠長で
「ちょっと疲れちゃったんだね〜」とだけ
不登校になろうがなんだろうが
いつも褒めまくって
受け入れて可愛がってくれていました
そう思うと娘は
幸せな不登校児でしたし
私も味方がたくさんいる不登校の母でした
ありがたい。
味方がいなくて
自信も失って
子供も心配で
泣いてるお母さんがたくさんいるかもしれない。
私もやってみたのだけれど
自分の涙の原因
自分で掘り下げてみたらどうでしょうか。
自分が不安だから
自分が責任を取れる自信がないから
誰かの批判を恐れているから
そういう涙だと気付いた場合は
自分の育ちとか固定観念とか
人間関係から
テコ入れする必要があるのかもしれません。
そういうことは該当しなかったり
若干そうだったけど
割と簡単に価値観変えれたり
でもたまに心配になっちゃう〜くらいの
そういう涙だったら
多分
早めに乾かして
割り切って
子供と笑って
強く進んでいける気がします
がんばれ