私、文章を読むのも書くのも大好きで


このブログもいつの間にか


長いこと書き続けてきてしまいました。



中学で不登校を経験し


通信制高校から元気な大学生になった娘は


もう何の心配もなく


私たち家族には問題らしい問題もないのですが


ブログで救われた私が


何か出来ること、


そしてまた


自分の気持ちの整理が習慣になって


ずっとこのブログを書いています。





ブログを書きながら


たくさんの方のブログを


毎日読ませていただいてます。



不登校のブログを読んでいて


お子さんが元気になったり


マイペースに進みはじめた記事を読んだりすると


ほんと良かったと


1日嬉しくなる爆笑




そうして


ずっと不登校ブログを読んできて


なんとな〜く感じることなんですけど


あ、この子


多分大丈夫だな、とか


あ〜、これちょっとかかるかも、とか


思うことがあって


それはその子の状況というより


お母さんやお父さんが書いてる


ブログの文章を読んで感じることなんですびっくり





どれだけ不登校の対策を勉強しても


やっぱり大人は


その染み付いた思考がなかなか抜けないもの。



努力して毒を抜いている人と


元から毒が無い人や


本気で意識を変えられた人では


発する言葉の端々に


仄かなそれぞれの香りが漂っているのは


仕方のないことなのかもしれません。





どんな文章を書く方が


ちょっと子供の不登校


こじらせそう、


と思うかと言うと……



ふんわりした大きな言い方で言うと


自己の磁場が強いというか滝汗


いや意味わかんないかな?


うんとつまり、


結局子供の速度や考えを無視したり


置き去りにして着地したり


どうしても自分の望みや


子供のため以外の当たり前があって


仕方なしに子供に合わせたり


理解したふりしつつも


そうできない我が子を


少し下にみたり


優先できない真意が


文章の中に出ている感じ滝汗





でも書いてる本人は


そんな気は無いでしょうし


悪意も無いだろうし


いやむしろ


努力して苦しんでいるのかもしれない。



具体的に書くのが難しいのですが例えば


「来年は受験生なので


最低午前中には起きて机に向かわないと


いけないのに、


昨日も遅くまでゲームをしていた息子。


ため息しか出ませんが何も言いません。」



とか。



気持ちはわかるのよ。



だけど、なんか


正直な吐き出しでもなくて


そこはかとなく意地悪。



「娘がまた学校に行けてないとわかると


夫は激怒するので


何とか夕方にだけでも学校に行けないか


話してみたのですが


娘は『無理』と泣いてしまった。」



とか。



いや、


あなたが心配してることって


何ですか?ってなる滝汗


子供と旦那の板挟みって辛いよね。


けどさ


その旦那を選んで、一緒にいることを選んで


それで子供にしわ寄せ行ってるって


事実なんだよえーん


怒鳴る夫だけの責任にするのは甘えだし


本気で嫌ならやれることはある。





そういう文章になっちゃう人は


本当は子供のことより


自分のことでいっぱいいっぱいなのかもしれない。



そう思ったら辛いけど、


もしそうなら


子供の問題の解決は


自分の問題の解決のあとになるのかな。



子供の方が



だねぐすん