依存とは
不安や怒りを一時的に忘れるため
何かに執着すること。
不登校になったりすると
不安が強くなって
子供は依存しやすくなると思う。
娘も中学で不登校になったとき
毎日遅くまで好きな動画を観まくっていた
夜遅くまでそんなことしてるから
朝起きられないとか
スマホとかタブレットの刺激で脳がどうとか
色々言われるけど
根本には娘の心の不安感があった。
でも安心してください
不安を感じたことがない人間なんていない。
不安や怒りを感じて
辛くなる。
たまには逃げたくなったり
人に当たりたくなる。
それは別に異常なことじゃない
不安が常態化しなけりゃいいんです。
そのためにはまず
無理やり不安からの逃げ場所を
奪ったりなんてしないで
そもそも今その子が不安を感じてるってことを
理解してあげて欲しい
一定の時間がかかるかもしれないけれど
心を落ち着ける場所があって
日常の中で他愛ない話で笑えていたら
子供は少しずつ不安を乗り越えて
その子なりに歩いていくし
たまに不安を感じてもそれはそのうち
消えていくものなんだと知ることができる
繊細だったり
環境だったりで
不安や依存が強く出るタイプの子もいる。
依存の症状が強く出ているのなら
それだけその子の心が辛いってことだよね。
その子本人も自覚がなく
どんどん依存してしまうこともあるし
依存はさらなる不安をもたらす
新興宗教の若い信者の本を読んだ。
誰も生真面目で勤勉で
どうして自分は
自分は今後こうなりたい
と
常に自己に視点がフォーカスしていて
そのために必死に進んで
気付けば
盲目的に宗教に依存していく姿。
本当に自己肯定感が高い人って
そんなに自己に視点がフォーカスしないもの。
自分を認めてて好きであることが
当たり前の人は
その事に意識を向ける必要がないのだから。
自己肯定感が低い人は
自分は本当はこうなんだ
こうありたい
人より自分はこんなところがある
と
しょっちゅう自分のことを
考えているものらしい
そんなもん考えても
何も得られないし
良いこともないと私は思うんです。
思春期は自我の芽生えだから
時に自分ってって考えるのは大事なことだけど
大人になればその視点は
自己から他者へ移り
誰かのため社会のために
何ができるかに変わってくる。
特別に人より自分が好きとか
凄いとか
そういう選民意識とか比較意識みたいなもの
幸せと対極にある考え方なのだから。
ただみんなそれぞれ
頑張っていて
自分も自分なりに出来ることを頑張ってて
それでいいんだと
自分を好きになり
家族の中でも仕事の中でも
楽しさと穏やかさがあるだけ。
まず私たち大人が
不安を乗り越えていかなければ
子供が不安を乗り越えられると
希望を持てなっちゃう
不安に悩む目の前の子の手を取って
やったことないこと
一緒にやってみたらどうだろう
不安を忘れる時間を
子供の孤独な作業にせず
家族で笑える時間に変えていったら
娘は少しずつ元気になって
今では強い大学生になり
中学生の頃に娘の心を守ったグッズは
今では娘のちょっとした良い思い出か
沢山の持ち物の中のひとつになった
子供の不安感をやわらげることは
家庭や母の得意とするところだよね?
大袈裟な事じゃなくて良かった。
毎週好きなお笑い番組を録画しといて
一緒に観て笑うとか
元気なさそうな日は奮発して焼肉食べるとか
行ったことのない空いてる公園に行って
お花の写真撮影大会するとか
好きなハーブティーを
ゆっくり入れる時間を持つとか。
ふんわりと不安を忘れて
心を伸びやかにできる時間の分量を
増やしてみよう
子供の目の前には進学とか学校とか
暗い社会情勢とか家庭不和とか
うんざりすることがいっぱいあるよね。
でも生きることはとても楽しいこと
知って欲しいってそう思う