世の中には嫌でもやらないといけないことがあるのは確かです。


例えば仕事とか学校とか。


すぐ辞めたり変えたりすると

我慢ができない人という評価をされることがある。



でも、一方でこの世の中の評価基準に苦しんで

心を病む人や自殺する人がいます。



不登校になると

みんなが普通に我慢できていることができず

逃げているとみられることがある。


子供は素直だし

世間体の概念が希薄なので

「このままだと自分がおかしくなるぞ」

と本能的に感じるとそれを回避する。



これは考え方によっては上手な生き方なのかもしれません。



もちろん、永久に勉強することや

人と接することを避けるのは難しいし

得策ではないので

いつまでそうしているのかは

いつか考えないといけない課題としてあります。


でも、目の前の理不尽な(その子の価値基準で)苦難から

いったん避難することは

大人も見習っても良いくらい

素直な生き方と言ってもいい。



苦しみを耐え抜いて最後に喜びがあるときも

もちろんあるのですが

その耐えている苦しみに

押しつぶされてしまうことだってある。



耐えろと言う人の心には

私だって嫌なことに耐えたんだからそれは良いことなはず、

あなたも耐えなさいって言うような

狭い価値観がある。


正直、耐えていたことに何の意味もないことだってあるのが

厳しい現実です。




不登校になって、転校を決めた娘。



今、塾の授業や志望校を考える時

娘は自分の嫌なこと不安に思うことがあると

避けようとします。



中学受験の時

「少し遠くても、勉強大変でも、女の子少なくても、

頑張る。」

と学校を選んだ彼女ですが

今はね、無理をしないと決めたみたい。



私もそれがいいなって思うし

私もつらい時は

無理をしないようにしようって思うようになった。



世の中で成功している人、

輝いている人は

嫌で仕方ないことや理不尽に耐え続けた人じゃなくて

好きなこと、自分が魅力を感じることに、

ひたむきに心を傾けて努力した人。



耐えるということを美化する人は

変わること変えることを恐れているだけのことも

多いんです。



大人がそれを恐れていると

子供もこわくなる。



私も娘が不登校になった頃

普通の道から外れることを

不安として抱えていました。



あの時、変わろうとして、

変えようとして準備を始めた娘の勇気を

ちゃんと、わかっていなかったな。



そして、私も嫌なことがあったときは

本当に耐える必要があることなのか

考えてみようと思う。


自分にとってそれを耐えることに80パーセントのエネルギーを使うなら

そのエネルギーを楽しいと思えることや

価値のあることに使おうと思う。


勝手と思われてもワガママと思われても

全然気にせず自分の人生を大切に生きよう。