娘が不登校になったとき、

正直娘の気持ちがわかりませんでした。


私も学校はちょいちょいサボったし^^;

めんどくさい気持ちはわかりますが

不登校になると学校に普通に行くより

もっとめんどくさいことが待っているじゃないですか。


それを思っても学校に足が向かない娘の気持ちは

本当には理解できずにいました。


色んなホームページやら本やら調べました。


自分に理解できないことを頭ごなしに決め付けたくありませんでしたし。


まず様々な教育者の方の意見を中心に学びました。


不登校の社会的背景や対応策などがわかりました。


それから、不登校のお子さんを持つ方の

体験や気持ちを知りました。


そこで共感やうちだけではないという事実を知りました。


でも、私が本当の意味で娘に向き合いたいと思う

きっかけをくれたのは、

不登校を実際に体験した方々の言葉でした。


今不登校の子たちの悲鳴のようなつらい胸の内を聞いたとき

まずは気持ちをきちんと受け止めてあげたいし、

大人が本気になって何かしなければいけないんだと思いました。


我が子もそういう感情を出せずにいるのかもしれないと想像できました。


また、過去の不登校の傷を大人になっても持っている方の体験は

不登校が単に学校に行く行かないという問題だけではなく

何かもっと根本的だけれと、

もっとその人に身近で親身な助けが必要で

先送りにすべきでないもののように感じさせてくれます。


そして、きっと今不登校で悩む人に

大切な何かを伝えています。


もちろん、不登校を乗り越えた方の声も含めて

こういう方の声は一番大切なもので、

私たちを大きく変えるきっかけをくれるものだと思います。



つらい経験をした人が持っている優しさは深い。



妹のように可愛がっている年下のお友達が

中学生になって部活を頑張っている、と聞いた時、

娘はその子に

「1年生の時に部活あんまり頑張りすぎちゃわないでね。」

と言いました。


なんとなく人が聞いたら余計なこと言ってるみたいなこの言葉。


でも多分、不登校を経験した娘の

心からの思いやりの気持ちなんだと思う。


1年生の時、頑張りすぎた娘に

そんな逃げ場を用意してあげるようなこと

言ってくれる人がいなかったものね。



不登校になる人は、

繊細な気持ちの持ち主だったり、

物事の意味を深く考える知性の持ち主だったりすることが少なくないです。


本当に不登校のことを理解しない人々が

勝手につくった仕組みより

ずっと効果のある心に響く一言が言える。


どうか、その不登校の経験から生まれた何かを

今悩んでる人に教えてください。