こんにちは。
ちぃぼうでしゅ。
▶︎ コアラの相棒・ちぃぼう
「日本三景」の1つ
天橋立を満喫した後に
私たちコアラ隊が訪れたのは
城 崎 温 泉
▶︎ 城崎温泉駅前ロータリー
(2019年4月28日撮影)
1300年もの歴史を持つ
「城崎温泉」の玄関口
城崎温泉駅を出るとすぐに
目の中に飛び込んでくる
さとの湯
▶︎ 駅舎温泉「さとの湯」(外湯)
(兵庫県豊岡市城崎町今津290-36)
山陰本線・城崎温泉駅からすぐ!
入り口には趣溢れる足湯もある
城崎温泉飲泉所
▶︎ 「城崎温泉飲泉所」
(兵庫県豊岡市城崎町今津字稗田283-1)
「歴史ある温泉地にきたのだ」
そんなわくわく感が溢れてきましゅ。
▶︎ 城崎温泉駅前の「下駄奉納板」
人々の足元の無事を祈願し各宿の下駄を奉納。
1年に1度入れ替えを行い、古い下駄は供養される
私たちコアラ隊も
まずは城崎の町をお散歩。
▶︎ しっとりした町並みに興味津々
「しゅきな感じでしゅ」
▶︎ 北柳通り沿いを歩く
七つの外湯を自由にめぐる
「外湯めぐり」で有名な城崎温泉。
▶︎ 「城崎温泉七つの外湯」
出 典;きのさき温泉観光協会
▶︎ 木屋町小路付近にて
七つの外湯の1つ「御所の湯」が見える
「一の湯」
▶︎ 「一の湯」
(合格祈願・交通安全、開運招福の湯)
出 典;きのさき温泉観光協会
▶︎ 「一の湯」
大正から昭和初期の様子
「御所の湯」
▶︎ 「御所の湯」
(火伏防災・良縁成就、 美人の湯)
出 典;きのさき温泉観光協会
▶︎ 「御所の湯」
大正から昭和初期の様子
「まんだら湯」
▶︎ 「まんだら湯」
(商売繁盛・五穀豊穣、一生一願の湯)
出 典;きのさき温泉観光協会
▶︎「まんだら湯」
大正から昭和初期の様子
長い時を経ても変わらずに
この町でずっと生き続ける
由緒正しいその佇まいに
思わず心がときめく。
▶︎ 「御所の湯」前にて
「美人の湯に入りたいでしゅ」
それらの外湯を囲むように
軒を並べる素敵なお店たち。
「和」の雰囲気が漂う
かりんとう専門店
円 山 茶 寮 さん
▶︎ 円山茶寮城崎温泉店
(兵庫県豊岡市城崎町湯島665)
▶︎ 口当たりがよくいくらでもいただける
30種類以上もの味わい溢れる
かりんとうたちが顔を揃える。
▶︎ スタンダードな味わいのかりんとうから
「カレーかりんとう」「カプチーノかりんとう」など
珍しい味わいのものまで幅広く取り揃えている
気になった商品をあれこれお味見し
「三色梅鉢かりんとう」
「短冊かりんとう」
「あられかりんとう」の
3種をお土産に。
▶︎ 「三色梅鉢かりんとう」
▶︎「短冊かりんとう」
▶︎「あられかりんとう」
「外湯めぐり」の休憩時に人気の
湯上がりプリンもシンプルながら
とても美味しくてオススメ!!
▶︎ 円山茶寮さん「湯上がりぷりん」
シンプルだがコクがあり美味しいプリン
▶︎ 外湯めぐりの休憩時にどうぞ
城崎近郊の海で獲れる
海老やカニ、ほたるいかなどを
食べやすいスナックにしたお店
KASUMIDOさん
▶︎ 「KASUMIDO」(香すみ堂)
(豊岡市城崎町湯島402)
▶︎ 「甲殻類イェイ!!」
町行く人が食べ歩きをしている
大きな大きな白いお煎餅は
ここにあるみたい。
▶︎ かに身をぺったん焼きするお煎餅
▶︎ 「KASUMIDO」さん前にて
「『かに身のまんま』というらしいでしゅ」
焼きたてをいただけるとのことで
コアラ隊も早速1枚購入。
▶︎ 大きなお煎餅が気になるちぃぼう
「なんれしゅか、これ?」
ここ城崎は歴史ある「いで湯」に並び
文人たちに愛された町としても有名である。
中でももっとも著名なのが
白樺派の作家・志賀直哉との
関わりかもしれない。
大正2年(1913年)
8月15日
友人の里見弴とともに
東京・芝浦海岸で行われた
納涼祭りへと出掛けた
当時30歳の志賀直哉。
▶︎ 志賀直哉(1883〜1971)
出 典;Wikipedia
明治から昭和を生きた小説家。
武者小路実篤らと雑誌『白樺』を創刊。
29歳までを港区麻布で暮らした地元の偉人
その帰り道、新橋駅付近で
山手線に跳ねられ大怪我をし
東京病院(現;東京慈恵会医科大学附属病院)へと
運ばれ、即入院となった。
▶︎ 「東京慈恵会医科大学附属東京病院」
出 典;東京慈恵会医科大学の130年
東京慈恵会創設当時の会長は「徳川家達公」
同副会長は次の1万円札の顔である「渋沢栄一」
それから2ヶ月後の10月。
病気療養のため、志賀が訪れたのが
ここ「城崎温泉」だった。
▶︎ 城崎温泉全景(大正〜昭和初期)
志賀直哉が目にした「城崎温泉風景」
「山の手線の電車に跳ね飛ばされて怪我をした。
その後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出掛けた。
(中 略)
三週間以上ーー我慢できたら
五週間位居たいものだと考えて来た。」
(志賀直哉 著『城の崎にて』より抜粋)
▶︎ 志賀直哉が愛した「三木屋」26号室
出 典;城崎温泉 三木屋公式サイト
この宿に3週間逗留したことをきっかけに
以降白樺派の友人や家族などと度々訪れた
命に別状はなかったものの
人生で初めて「生」と「死」の
背中合わせを感じた彼は
“ 生きること” についての思いを
自身の作品の中へと投影していく。
そうして大正6年(1917年)に
発表したのが『城の崎にて』だった。
▶︎ 『小僧の神様 城の崎にて』
(志賀直哉著/新潮社刊)
カバー装画;熊谷守一画伯
白樺派とのゆかり深かった、画家・熊谷守一。
時を超えてなお熊谷の絵は志賀作品の表紙を彩る
カラン、コロン。
カラン、コロン。
夕暮れの町に響き渡る
心地よい下駄の音。
正装が「浴衣」と「下駄」のこの町の
愉しい時間はまだまだ続く。
▶︎ 夜の城崎温泉風景
出 典;Rakuten Travel