福井市街の東南約10㌔の場所に

約400年間、当時の姿のまま

ずっと埋もれていた

戦国時代の城下町がある。

 

 

 

 

一乗谷  朝倉氏遺跡

 

 

 

 

▶︎ 一乗谷朝倉氏遺跡・朝倉義景館「唐 門」  

出 典;福井観光WEB

 

 

 

 

 

室町時代の1467年に起きた「応仁の乱」

 

この戦いでの活躍をきっかけに

ここ一乗谷の地に本拠を移した、朝倉孝景。

 

 

▶︎ 朝倉孝景(1428〜1481)  出 典;Wikipedia

 

 

 

 

以降、氏景、貞景、孝景、義景と

5代103年間に渡り

この越前の国で栄華を極めた。

 

 

朝倉氏の城下町であったこの場所には

当時の様子を伝える遺構が、各所に残されており

国から「重要文化財」「特別史跡」「特別名勝」の

3つの指定を受けた、全国でも数少ない

「国の三重指定」の遺跡となっている。

 

 

▶︎ 国から「三重指定」を受けた、一乗谷朝倉氏遺跡は

第60回「全国植樹祭式典」の式典会場となり、天皇皇后両陛下がご臨席された

 

 

 

 

 

 

天正元年(1573年)8月14日

 

 

 

▶︎ 織田信長(1534〜1582)

 出 典;Wikipedia

 

 

 

 

この一乗谷に攻め込んできた、織田信長。

 

家臣である、柴田勝家に放火を命じ

この町のすべてを焼き払った。

 

灰と化した一乗谷の町。

 

人口一万余人を超える、栄華を極めたこの町は

儚くも消え去った。

 

朝倉氏の滅亡後、この土地は

土砂や田畑の下に埋もれていき

400年もの歳月が経過していく。

 

 

 

 

 

さらに遡ること、約1,500年前。

 

 

 

 

 

西暦79年8月24日に、大規模な水蒸気爆発を起こした

イタリアのヴェスヴィオ山。

 

いくつかの小規模な火砕流が続いた翌日

大規模な火砕流が一気に町のすべてを飲み込んだ。

 

ローマ人の余暇地として、繁栄したポンペイの町は

一瞬にして灰の下へ。

 

それから1700年近い間、町は悠久の眠りについた。

 

 

 

▶︎  ポンペイ遺跡(イタリア・ナポリ近郊)

 

車道と歩道とが区分され、飛石状の横断歩道があったことがわかる

出典;Wikipedia 

 

 

 

 

 

この一乗谷で発掘調査が進められ始めたのは

昭和42年(1967年)のこと。

 

長い長い間、灰に埋もれていた

イタリアの古代都市・ポンペイが

19世紀になり、人々の手で発見されたように

 

ここ一乗谷でも遠い歳月を乗り越え

戦国大名・朝倉氏5代の居城と周辺の武家屋敷、

そして40もの寺院や多くの職人たちの暮らす

長屋の遺構が、そのままの形で見つかった。

 

 

 

 

 

一乗谷朝倉氏遺跡   復原町並

 

 

 

 

▶︎ 復原町並の様子(2017年5月5日撮影)

 

 

 


発掘された塀の石垣や建物礎石を使い

戦国時代の町並を再現。
 

 

▶︎「武家屋敷の門」

 

 

 

約200㍍に渡って、当時の城下の暮らしぶりを

体感することができる。

 

 

▶︎ 約1万6千枚もの銅銭が発掘された、井戸

 

▶︎ 「武家屋敷」の中の様子

「生きた人間」が武士に扮し、碁をさしながら、観光客たちと歴史話で盛り上がっていた

 

▶︎「町人長屋」

当時の庶民の暮らしぶりが再現されている

 

▶︎「職人長屋」の中の「藍屋」(染物屋)

 

 

 

戦国時代の建築物には「チョウナ」「ヤリガンナ」といった

現代では使われない道具が用いられており

 

復原家屋の柱などにも、この痕跡を見ることができる。

 

▶︎ 当時の「鍛冶屋」を再現した町屋

飾られているのは、当時の「チョウナ」(写真手前)と「ヤリガンナ」(写真奥)

 

 

 

 

 

「復原町並」を出て、散策。

 

 

▶︎ 外から見る「復原町並」

 

 

 

一乗谷川にかかる「諏訪館橋」

 

 

 

▶︎「諏訪館橋」

 

 

 

「諏訪館」とは、朝倉義景の妻・小少将の館。

 

この付近にその館があり、庭園は遺跡の中で

もっとも規模が大きい。

 

▶︎「諏訪館」の庭園跡

 

 

 

この日は、豪華絢爛な平安時代の歌会遊びを再現した

第8回「越前朝倉 曲水の宴」が開催されるようだった。

 

 

▶︎ 第8回 「越前朝倉 曲水の宴」 2017年5月5日 10時〜13時開催

 

 

 

 

会場となるのは「朝倉義景館跡」

 

 

▶︎「朝倉義景館」の入口「唐 門」も、この日は特別な雰囲気

 

 

 

 

中国の故事にならう「曲水の宴」が始まった。

 

 

 

▶︎「曲水の宴」参宴者の方々の入庭 ①

 

▶︎「曲水の宴」参宴者の方々の入庭 ②

 

▶︎「曲水の宴」参宴者の方々の入庭 ③

 

 

 

「曲水の宴」とは、小川沿いに座った歌人が

上流から杯(さかずき)が流れてくる間に歌を詠み、

杯の酒を飲み干して、再び流す遊び。

 

 

▶︎ 小川へと流される「杯」

 

 

 

2010年から始まり、8回目を迎えた宴の

今年の揮毫のお題は「響」

 

 

▶︎ 会場上から見た「曲水の宴」の様子

 

 

 

狩衣や小袿などの衣装を纏った男女が

小川に沿って座り、次々歌を詠んでいく。

 

 

▶︎ 公家や貴族が愛した、豪華絢爛な平安時代の歌会遊びを目にすることができる

 

 

 

 

会場の外では、福井県立足羽高等学校茶道部による

味わい深いお抹茶をゆっくりと味わうこともでき

 

 

▶︎ 朝倉氏の家紋「三つ盛木瓜」が施されている、美味しいお菓子とお抹茶

 

足羽高等学校茶道部のみなさま、結構な御点前でした。

暑い日に本当にお疲れさま‥‥素敵な思い出をありがとう!

 

 

 

 

 

この場所でかつて栄華を極めたという

戦国大名・朝倉氏の姿を偲ぶことができた。

 

 

▶︎ 「唐門」付近でくつろぐ人たちの中には、福井市長のお姿も

 

 

 

かつて「水田改良事業」をきっかけとし

この一乗谷に数多くの貴重な遺構があることがわかったという。
 

 

▶︎ 会場では、福井の郷土の味「越前そば」も登場。

多くの人が「越前そば」を求め訪れ、大わらわになっていた

 

 

 

 

なんとかその歴史を残そうと立ち上がった

地元有志の人々は、工事の中止を求める運動をした。

 

 

 

▶︎「ふくいそば打ち愛好会」のみなさんによる「越前そば」

大根おろしが入り、さっぱりとした味わい

 

 

 

 

自分たちの生活の利益よりも、土地の遺跡保護を優先。

町と二人三脚で地道に歩み続けた、一乗谷の人々の

郷土を愛する温かな気持ちが、わが国の貴重な歴史を

今日へとつないだのだ。

 

この一乗谷を初めて訪れ、感じたのは

まさにこの「郷土愛」。

 

「復原町並」の中で一生懸命、当時の様子を「寸劇」で再現する人たち。

「曲水の宴」の参宴者の人々と、企画を支える地元企業の方々。

 

暑い中、来訪者たちに、心を込めてお茶を点てる高校生。

そして、越前そばをふるまうため、一心不乱に準備する人たち。

 

地元の人たちの「手作りの温かさ」がとても心地よかった。

福井県はいいところだ‥‥

 

そう感じる場面に多く出合えた、一乗谷への旅だった。

 

 

▶︎「復原町並」も「曲水の宴」も全て参加することができた、ちぃぼぅ

人生で初めて猫と間違われた‥‥「確かに猫は被ってたけどぉ」

 

▶︎「一乗谷朝倉氏遺跡 復原町並」(福井市城戸ノ内町)

9:00〜17:00 (12月28日〜1月4日は閉館)

 

 

▶︎「復原町並」では、県内の方が当時の暮らしぶりなどを「寸劇」で再現

蝋人形などでないところに、どこか町の温かみを感じる

 

 

▶︎ 目貫(めぬき)16世紀・金製

 

「福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館」では、一乗谷から出土した見事な品々を展示

出 典;福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館  (福井市安波賀町4-10)

 

▶︎「医師の屋敷跡から出土した輸入陶磁器」16世紀・磁器

出 典;福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館

 

 

▶︎ 薬草をすりつぶすための「薬研」16世紀・越前焼製

出 典;福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館