がらくた | とよだブログAmeba

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とよだの日々。

米津2025 TOUR / JUNK、ゲット!!


1カ月くらい? バタバタしてて忘れてたけど、

1次先行で東京ドーム2日目、ファミリー席、当選!
ありがとう米津!!


今回、LOST CORNER手に入れて、
前回も行った(観てないけど前々回も行った)さいたまを狙うか、東京ドームの1日目か、2日目か、わたし的には3択で悩んだ。

東京ドームは何十年も前に某アイドルグループを米粒大に見た記憶が強くて、
会場がでかすぎて遠くて見えにくいんじゃないかとも思ったけど、
せっかくなら、東京ドームの2日目。千秋楽? 最終日を狙ってたみることにした。

アルバム封入シリアルナンバーで1次先行予約が外れても、最悪2次に挑戦できるらしかったから、外れたらそのときもう一度よく考えることにして、
とりあえず、確率とか抜きに、素直に行きたい最終日を狙ってみた。

そんなことを考えながらの1次の申し込みだったから、もう逆に当たらない気になってた。

からの、当選。
ありがたい。


夏休みの終盤、娘と久しぶりにカラオケに行ったら
なぜか、私はまったく知らない最近のボカロとか、なんならハチから米津初期も私以上に知ってて歌えるのに驚いた。
自主的に音楽聞いてるのなんて見たことないのに。

給食の時間にかかったり、学校で友だちが歌ってたり(躍ってたり)、遊びに行ったときに友だちがその場でかけてたり、そういうので覚えるらしい。
その後気が向いたときに聞き取れなかった歌詞を調べて『ああ、そう言ってたんだ』と思ってみたりで歌えるようになるって。

よくそれだけであれだけ早口の歌を歌えるようになるもんだと思う。
私だったら何日もずーっと同じ歌リピートで聞き続けて歌い続ける。
歌えないところはしつこく巻き戻して繰り返しで。

話がそれた。
そして、私も米津続きで歌うと、勝手に米津縛りでずーっと付いてきて歌える。
私の中の米津が涸れて安定のアニソンに逃げても、娘は1人でずーっと米津を続けられる。
アルバムが手に入ったばっかりのタイミングだったのに、まさにその新しいのを覚えるのも劇的に早くて(私と同じ回数かそれ以下しか聞いてないだろうに)、即歌えててびっくりした。

意外と娘も、私の付き合いってだけじゃなくて、自らすすんで米津好きなんだなと思って嬉しかった。



…っていう感じの日々がずっと続く毎日だったら安定していて本当にいいんだけど、
言葉にならない不安定感とかどうしようもない苛々とかに襲われたりも少なからず?あるから、
この乱高下にやられなくもない。
つまり、相変わらず。という感じ。

LOST CORNER無心に聞いてると、涙出がち。
がらくたなんて、もう。
自分なりの勝手な解釈で、語彙もないから説明できないけど、
米津の優しさ?に?
気抜いてると、無心で鼻歌(むしろご機嫌寄りの気持ち)だったはずなのに、
急に涙がだばだば出て、喉がすごくすごく苦しい。
無心のはずがたぶん無心じゃないから、首絞められてるみたいに苦しい。
なんかやっぱ異常な不安定なんだろうけど。
私はこんな考え方できない。こんな優しくなれない自分にがっかりする。自分なのに憧れてもそうなれない自分に、がっかりする。すぐ切り捨てる自分に失望する。そんな優しい言葉を並べられる、作れる、そんな人間が実在することに、『人間てすごいんだな』と思う。
他人事であることに悲しくてたまらない。

思うことは溢れんばかりなのに、なにを言ってるのか自分でもよくわからない。
でも馬鹿だからしょうがない。


そして更に、ユニクロと米津がコラボ。

チケットの当落見るのも混雑で待たされて、リロード我慢して待ってるのになぜか『●分待ち』っていうのが伸びたり縮んだりで小一時間待たされたから、
今回も待たされるのを覚悟してたけど、
まず何時に開始になるのかわからないから、起きてからずっとアプリの様子見てた。
主題歌米津からはまって、できるだけ毎日見逃さず見てる虎に翼が始まる直前アプリが動き出して、終わったタイミングでご案内開始?したから、
謎の連動を感じた。

で、繋がって、欲しかったPOP SONGとSTRAY SHEEPと月を見ていたをカートに入れて購入。

お店に行かず、欲しかった3着が手に入って良かった。
当分Tシャツに困らない。
でも着潰しちゃうのもったいないから、大事に着たい。


そんなうちに大掃除大移動が始まって、
ゆっくり米津気に入ってる場合じゃなくなった。
わたし的には米津聞いてると(聞き入ってなくても)物を捨てるのがなんとなく進まなくて、adoだと進むのがわかった。あくまで、わたし的には。
…っていうか、未だ終わらない。
私の片付けだけが、終わらない。
娘の部屋は片付いた。
入れ替えた部屋も、私の物以外は片付いた。
どこもかしこも、私の物だけ溢れかえって山。リビングすら。食卓すら。


朝目が覚めて、リビングの自分の位置に座ろうとしたら、テーブルから椅子から、
私の周りだけに出来上がった山。
ゆっくりできるできないの問題じゃなくて、椅子も山で物理的に座れない。
片付ける。
やっとすっきりした、と思ったら、
いくら片付けたつもりになっても、片付いてない。
次に目に入ったところも片付けてない。
片付いたつもりになってたけど、結局ここ山じゃん。
山に山を積んで、要るもの要らないもの仕分けして、一部分の山が山じゃなくなったつもりになって、しまおうと思って持ってった先で目に入る、また別の山。

頭おかしくなる。

私が存在する限り、いくら私が山を削ったつもりになっても、また山も積み上がり続ける。
だって私が物を増やすんだから。
私が生きてる限り、物欲は消えない。
めんどくさい。
もう何回『もうなんもいらねえ』って思ったかしれないのに、
きりがない。
結局、要る。
捨て切ることも出来ないのに、その上に物は増える。増やす。
そしてまた減らしたつもりが、減ってない。
病気だ。
そりゃ病気だ。事実だ。
頭おかしくなる、じゃなくて、おかしい。
いや、知ってる。
そもそもおかしい。知ってる。


壊れていても構いません
という言葉に引っかかる米津は優しい。

気になってたゴディバとハチのコラボを偶然出先で見掛けて、しかも何種類もあった中もう1種類しか残ってなくて、娘と「おお…」とケースの前でくぎづけになってたら、店員さんが「こちらのバッグもまだございます」って。
「う〜ん… お気軽なお値段じゃないからねえ…」と悩んでたら、
「あちらのスクリーン、お写真撮っても大丈夫ですよ」って店員さんが言ってくれた。
…優しい。