「不登校」と「親子関係」改善のプロフェッショナル。

 

【とよだ先生】と申します。

 

「誰もが周囲の目を気にせず、自由に生きる社会をつくる」

をミッションに、

 

まずは、大人(親)が気づくことで、親子関係が激変し、

笑顔あふれるご家庭に変わっていくお手伝いをしています。

 

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令和6年5月16日(木)

vol.0045【令和時代の「カンニング」事情】

 

こんな事件が発覚しました。

 

 

 

 

いわゆるカンニングです。

 

報酬を支払うことをテスト問題の写メを撮って、

SNSにアップして、解答を教えてもらおうとしたようです。

 

まぁ、カンニングも現代風です。

 

これに対して、

 

「けしからん」

「ズルい」

「強化すべきだ」

「厳罰に処するべきだ」

 

などなどのいろいろな声が上がっています。

 

 

この事件で、本人を責めることは簡単です。

 

明らかに悪いことをしていますし、

厳しい罰を受けるべきという論調も理解できます。

 

他の受験生は必死で戦っていますからね。

 

少し視点を変えてみて、

教育環境という角度から見てみると、

 

どういう環境で育ったんだろう?

こうせざるを得なかった育ち方をしたのかなぁ?

 

という問いも浮かんできます。

 

やった行為自体はいけないことなんですが、

子どもは自分を守るためには平気で嘘をつきます。

 

本能レベルでガッチリ自分を守ります。

 

今回の事件も、

ある意味、防衛本能だったのかもしれないなぁ

と思わずにはいられません。

 

ひょっとすると、すごいプレッシャーがあったのかもしれません。

「受験が全て、結果が全て」と信じていたのかもしれません。

 

 

もちろん、

成人に近い年齢になっているので、

悪いことをするのは本人の責任です。

 

 

けれども、

その状況に追い込んでいるのは、

周囲の大人であるという視点が欠かせません。

 

周囲の大人から、

 

「勉強なんかできなくても大丈夫」

「できる範囲で行けるところでいい」

「後悔しないように全力出せればいい」

 

受験という機会を活かして、

「自分の限界にチャレンジすればいい」

 

って言われていたら、

カンニングなんてやる精神状態にならなかったかもしれません。

 

 

高校生といえどもまだまだ幼いです。

周囲の影響を大きく受けます。

 

家では、どんな話をしていたんだろう?

学校では、どんな話をしていたんだろう?

塾では、どんな話をしていたんだろう?

 

周囲の大人の役割は大きいなぁと思っています。

 

 

たとえ学歴が手に入っていても、

心が貧しくなる教育は悲しいです。

 

子どもがわかりやすい結果を出せる子

であればいいのですが、

 

ギリギリラインの受験結果を

100%コントロールすることはできません。

 

結果も大切ですが、それ以上に、

チャレンジすることに価値があるのですから、

 

周囲の大人の認識、働きかけの責任は重い。

と感じています。