最上俊樹著『いま平和とは』岩波新書:「若い皆さんへ 平和について考え続けるときに、すべての理想をいますぐに実現せよと求められているのだと考えないで下さい。歴史を見ても、少しずつ成果を積み重ねていくほかないのが現実なのです。」9話からなる、若い人へのメッセージです。

 

テーマ7 それでも戦争はおわらない

 

【課題提起】人類社会はこれまで2つの世界大戦を経験し、2つの平和のための国際機構を作りました。国際連盟と国際連合です。ともに悲惨な戦争をくり返さないために作られました。集団安全保障の考え方は共通しますが、国際連合は国際連盟の失敗に学んで、より強力な仕組みを打ち立てています。国際連盟は日独伊などの侵略行為に対して実効ある対応ができなかったからです。

 1931年、日本軍が満州事変を起こしました。国際連盟はリットン調査団の報告を受けて日本の行動を侵略と認定しましたが、日本は満鉄爆破に対する鉄道保護のための武力行使と主張、常任理事国である日本が連盟を脱退、泥沼の日中戦争に突き進んでいきます。

 1933年にはドイツのヒトラー政権が、軍備制限が不平等であると反発、連盟を脱退しました。その後、再軍備宣言をおこない、武力を背景にオーストリアやズデーテン地方と領土を拡張し、ポーランド侵攻に至ります。

 1935年、イタリアがエチオピアに侵攻。連盟はこれを侵略と認定してはじめて制裁を実行しました。しかしこの経済的制裁は禁輸対象から石油が除外されるなど加盟国内部の対応が一致せずに侵略は黙認されたまま、イタリアも連盟を脱退しました。

 こうして日独伊の3国は軍事同盟を結んで第二次世界大戦に突入しますが、ソ連が1939年11月、フィンランドに侵攻、連盟は侵略行為としてソ連を除名しました。このような有力国の脱退や除名そして大戦への突入は、国際連盟の無力を露呈させ、集団安全保障への信頼も失われていきます。

 その苦い経験から国際連合の創設にあたって英米中ソを中心とした連合軍の首脳らは注意ぶかく集団安全保障の仕組みをくみ立て直しました。そこでうち立たてられたのが「武力不行使」という画期的な原則でした。国際連合憲章第2条4項がそれです。

第2条4項 すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。

 この条文は戦争を含むすべての武力行使を国際紛争の解決手段から排除するものです。国連憲章の理念において、国家は戦争に訴える自由はもちろん、武力行使さえも封じ込められたのです。

【意見交換】国際連合の加盟国は、発足当初51ヶ国がいまや193ヶ国となりました。戦後に独立した第三世界の国々も含めて主権国家のほとんどすべてが加盟する唯一の国際機構が世界平和と国際協力を維持、発展させることは人類社会全体の願いといっていいでしょう。しかし集団安全保障の考えのもとに戦争も違法化され、武力行使も禁じられたにもかかわらず、ウクライナやパレスチナをあげるまでもなく、戦争や武力紛争は絶えません。

 なぜいまも戦争や武力行使がなくならないのか? あなたの考えをまとめ、みんなで意見交換してみましょう。

(あなたの意見       )

【コメント】戦争がなくならない理由には多種多様な意見・見解があって当然ですが、ぼくは国際法の観点から、戦争に対する制限が強化されてもなお、残された大きな抜け穴を問題の遡上にのせようと思います。それは自衛権という問題です。それを考える上でまず確認しておきたいのが国連憲章第51条です。

第51条 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。

 国連憲章2条4項「武力の威嚇と行使」の禁止を受けて国連がまずもっておこなうことは、あらゆる方法を使って紛争の平和的な解決に努めることです。しかしもし武力攻撃をおこなう国があれば、どう対処すべきか、これが集団安全保障に基づいておこなう経済的または軍事的な制裁です。

 その権限は米英仏露中5ヶ国(五大国)の常任理事国と10ヶ国の非常任理事国からなる安全保障理事会にあります。9ヶ国以上の賛成と、常任理事国が拒否権を行使しないことが決議成立の条件であり、いったん決議されると法的な拘束力をもちます。

 しかし武力攻撃という緊急事態にあって安保理の措置が決めるまでの間、武力攻撃を受けた加盟国に自衛権の行使を認めたのが51条です。どのように自衛権を行使するかは、報告義務を課した上で当該加盟国の判断に委ねられます。自衛のもとに武力攻撃した国に対する武力行使は例外的に合法とされたのです。

 やや話が込み入ってきたので、国際法の研究者・最上俊樹が整理した「武力行使の一般的禁止とその例外」最上俊樹『いま平和とは』)を使って話をすすめていきましょう。

 図のように、戦争を含むあらゆる武力行使は違法ですが、例外として合法とされる武力行使は3つあります。(A)「自衛権の行使」、(B)「強制行動」、(C)「授権による武力行使」です。(B)は一般に制裁とよばれるもので経済制裁と軍事制裁があります。ただ軍事制裁する場合、国際連合軍という自前の軍隊がないので、安保理が一部の加盟国の軍隊に武力行使の権限を授ける仕組みが(C)です。合法とされる3つの武力行使のうち、(B)(C)は国際連合の権限のもとにおこなう集団安全保障です。しかし(A)は加盟国(主権国家)の固有の権利とされる点で大きな違いがあります。

 次の図は①集団安全保障と、51条に併記された②個別的自衛権、③集団的自衛権をイラスト化してわかりやすくしたものです(出典:朝日新聞より改編)。図を参考に違いを明確にしておきましょう。

 ①は何度か説明したとおり、戦争や武力行使は他のすべての加盟国に対する約束違反と見なされ、共同して制裁するというものです。

 ②個別的自衛権は、他国が自国に直接、武力攻撃をおこなったとき、自国民の生命や財産などを守るために武力行使をおこなうというものです。人間でいえば、自分が殴られたので身の危険を感じて腕や手で顔や頭を防御するようなものです。正当防衛といっていいでしょう。しかし殴り返したり、傍らの石で殴打したらどうでしょうか。さらに兵器と軍隊を所持する国家と国家になった場合、どこまでが正当な防衛の範囲か、その線引きはそう容易ではありません。

 ③集団的自衛権は、他国が自国の友好国に武力攻撃した場合、自国は攻撃されていないにもかかわらず自衛権を発動して、その友好国とともに武力行使がおこなえるというものです。人間なら、自分は何もされていないけれど、自分の友だちが殴られたので加勢するということですが、これは一歩間違えれば過剰防衛になりかねません。国家レベルとなると、攻撃を受けていない国の武力行使が自衛権に当たるのか、議論の余地が十分に残ります。

 ここで注意してほしいのは、51条が②③の自衛権を国家の固有の権利として認めていることです。そのため自衛権の行使は他国の武力行使を受けた緊急時の、安保理の措置が決まるまでの期間に限定されているにもかかわらず、現実に目を向ければ、51条の拡大解釈というべきか、濫用というべきか、五大国をはじめ加盟国が自衛の名のもとに戦争や武力紛争を世界の各地で引き起こしてきたのです。戦後、ヨーロッパ主要国の憲法は国家の主権を制限して侵略戦争を禁じました。しかし自衛の戦争は生きのこったのです。

 自衛権は解釈次第でいくらでも肥大化します。考えてみれば、戦前の日独伊の侵略戦争もすべて自衛の名のもとにおこされたものです。その轍を踏まないために国際連合は生まれました。しかし戦勝国にとってあの戦争は自衛の戦争であり、自衛権は自明の権利とされたのです。とはいっても日独伊の犯した過ちを戦勝国が犯さない保障はありません。

 その懸念は戦後の米ソ冷戦によって顕在化しました。NATOとワルシャワ条約機構という地域的軍事同盟が厳しく対立しました。集団的自衛権は従来の同盟権の容認に過ぎなかったのです。その中で米ソの代理戦争が頻発しました。朝鮮戦争やベトナム戦争、ソ連のアフガニスタン侵攻…数えきれないほどの戦争や武力行使、軍事介入が自衛の名のもとにおこなわれました。これに対して国連の安保理は機能不全に陥りました。常に大国の利害が絡み、友か敵かの判断のもとに五大国が拒否権を乱発したのです。これは致命的ともいうべき欠陥です。米ソなどの大国による国益のもとにおこなう侵略行為が国家の主権行使として容認されてきたのです。これを抜け道といわずしてなんというべきでしょうか。

 自衛とは何か? 自衛権ははたして国家の自然権なのか? 次はこの問題を深めてみましょう。

 ちなみに国際連盟や国際連合は、カントの永遠平和の考え方を基盤として構築されました。その永遠平和の構想は悲惨な戦争を通して1歩、2歩前進してきたことは事実です。でも国連はいまも未完の組織です。

テーマ7を学んで考えたこと、感じたことをまとめておこう。

(                          )

【課題探究】2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻、現在まで続くウクライナ戦争が起きました。ロシアのプーチン大統領とウクライナのゼレンスキー大統領は戦争をおこなう理由をどのように語ったかを新聞等で調べて、自衛権についてみんなで意見交換してみよう。