スティーブン・ピンカー『暴力の人類史』(青土社):人類の歴史において暴力が減少していることをさまざまな統計を用いて立証するが、偏向的、見識不足などの厳しい批判に晒された話題の著書。現代に生きる我々が暴力の歴史の終わりに近づいているという誤解を招く「癒やしのための歴史」とも評された。かのビル・ゲイツは本書を高く評価した。

 

テーマ3 戦争や暴力は減少している

 

【課題提起】現代は核時代です。はるか昔のはなし、最初の人類は猛獣などから身を守ろうと棍棒や石を手にし、狩りや採集の道具にしました。それがやがて槍や弓となり、銃や大砲となり、今や数万発の核弾頭が人類を滅亡の危機に立たせています。人類1万年の戦争の歴史がたどりついた現実です。身を守ったりモノを作ったりする便利な道具が危険な武器を生み出す、そのジレンマのなかで人類は歩み続けてきました。

 人類は何千万人もの命を奪う世界戦争を2度おこしました。核兵器は2度目の世界戦争のさなかに誕生した、戦争の鬼っ子です。その核の恐怖のもと、戦後もたくさん戦争をおこし、通常兵器が凶器となって多くの命を殺傷しました。人類はこうして進化する武器を手にどこまでも戦争という暴力をエスカレートさせるのでしょうか。その行き着く先は自滅行為しかありません。

 こう述べると、ここでみんなと考えたい「戦争や暴力は減少しているのか」というテーマそのものがむなしく思われます。地球環境の未来を憂えながら豊かな暮らしを謳歌し続けるように、戦争という暴力も手をこまねきながら、無為に終末論に身をゆだねていくのでしょうか。ちなみに世界終末時計は2024年現在、90秒前となっています。

 ところがこの悲観論に根本的な疑問を投げかける著作が10年ほど前、話題になりました。S・ピンカー『暴力の人類史』という大書です。歴史の専門家ではないピンカー(ハーバード大学心理学教授)は、さまざまな学問領域の資料を駆使して戦争や暴力など人類の蛮行を百科全書のようにまとめあげました。そしてたどり着いた結論はこうです。

 「長い歳月のあいだに人間の暴力は減少し、今日、私たちは人類が地上に出現して以来、最も平和な時代に暮らしているかも知れない」

 著者自身も「信じられないような話だが」と断りをつける、意外ともいえる結論をどう考えたらよいのでしょうか。たんなる楽観論か? 未来への希望なのか? 

 【意見交換】テーマ2で佐原眞さんは「はじめ戦争はなかった」として人間の戦争の歴史は1万年に過ぎないといいました。ではその1万年間、戦争や暴力はピンカーの主張のように減少しているといえるのでしょうか。自由に意見交換してみましょう。

(あなたの意見        )

 【コメント】まずはこの大書を読破することをお薦めしますが、ここではピンカーが提示した資料「戦争により死亡する人の割合」を検討して、この問いかけを考える一助としてみようと思います。

 横軸の0~70の数値の単位は%です。遺跡から発掘された骨に占める戦争や暴力による死者の割合を表わします。例えば、一番上の棒グラフ、サウスダコタ州、クロウクリークとありますね。これは米国のサウスダコダ州にある遺跡群のことです。20世紀後半の発掘により痛々しい痕跡を残した多数の遺骨が発掘されました。調査によると1325年、アメリカ先住民同士の戦いによって60%近くが死亡したことを表わしています。

 二番目の棒グラフ、ヌビア117番遺跡はエジプト南部・ナイル川沿いにある、有名なアブシンベル宮殿も含まれる古代エジプトの遺跡群です。その一角から発掘されたのが激しい殴打を受けたり矢尻のささった多数の遺骨でした。1万年以上前に起きた戦いの死亡率は50%近くだというのです。

 他の事例は省きますが、「先史時代の遺跡」グループにおける戦争・暴力死の割合は、22番目の棒グラフが示すように平均15%でした。

 次の2つのグループ、現存する「狩猟採集民」と原始農耕も混合しておこなう「狩猟採集民耕作民その他」における戦闘に占める死亡率は、それぞれ平均14%と24%となっています。

 ところが一番下の「国家社会」を形成したグループはどうでしょうか。2度の世界戦争が起きた20世紀前半、戦争で命を落とした人の割合は3%に過ぎず、20世紀における世界の総死者数をおよそ60億人として、文字どおり戦闘で死んだ兵士と民間人は0.7%、これに戦争に起因する餓死や病気による間接死、ジェノサイドや粛正などの大量殺戮による死者をすべて合計しても3%にしかならないというのです。

 下の2つの表をみてください。日本史の時代区分に戦争・暴力死の割合を記入した表からは、時代をさかのぼればのぼるほど死亡率が高まり、現代に近づくにつれて下がっているのがわかると思います。また非国家社会と国家社会の死亡率をみると、国家社会のもとで明らかに低下していることがわかります。

 ピンカーの「最も平和な時代に暮らしているかも知れない」という主張には、学問の世界からかなり厳しい批判が寄せられています。またピンカー自身も「100人の人口が半分殺されるのと、10億人の人口の1%が殺されるのと、どちらが悪いか」と自ら問いかけて慎重な議論を展開しています。

 たしかに数字はマジックです。絶対数と相対数はよく考えないと判断を誤ります。100人の50%は50人、10億人の1%は1000万人、50人と1000万人という死者は絶対数でみれば、明らかに1000万人の死の方が痛ましい大量殺戮です。でも相対数でみる1%とは、残りの99%つまり9億9000万人は生き残ったということです。半分の50人しか生き残れなかったよりも肯定的に評価することもできます。数字は使い方次第です。マジックにごまかされずに数字からコトやモノの本質を見抜く力をつけていくことが大事です。

 ピンカーは、とかく絶対数だけみていては気づけない戦争や暴力と人類史の関係について、相対数でみることで新しい視点を提起してくれたのではないでしょうか。ピンカーの問いかけにあなたはどう応えますか。テーマ3について意見・感想をまとめておこう。

(感想・意見        )

 ちなみにピンカーの資料「戦争により死亡する人の割合」の「狩猟採集民耕作民その他」にあるアマゾン、ヤノマミ族について、NHKスペシャルが秀逸な番組(「ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる」)を制作しています。オンデマンドを利用すると視聴できます。深い課題探究になると思います。

(意見・感想        )