無着成恭編『山びこ学校』と久保島信保『ぼくたちの学校革命』:若いころ手にした2つの教育記録はぼくの原点である。前者は戦後民主教育のあるべき姿と評された、教え子たちの生活記録。貧困と向き合う若き無着の姿はフレイレと重なる。無着はのちに明星学園に移って言語教育の研究に携わり、自由の森学園を開校準備にも加わった。後者は山梨県の巨摩中学校の実践記録。知識詰め込みではない考える教育は1960年代後半~70年代前半まで全国的に知れわたり、自由の森学園は巨摩中をモデルにつくられたといっても過言ではない。著者の久保島(美術科)はのちに明星学園の教員となった。

 

あとがきのようなもの

 ジモリではテストの代わりに学びをふり返る自己評価表の提出を生徒に求めます。この“ものがたり”はぼくの自己評価表です。11年間の学びのふり返りです。読んでくださった方々から言葉による評価がいただけたら幸甚です。

 “ものがたり”は、ぼくが語り部、主人公は、植物名で登場した23名と、多くのイニシャル名の生徒たちです。授業中の発言や感想文、評価など個人情報に関わることが“ものがたり”を構成していますが、連絡のつく限り、本人の了承をえるように努めました。連絡がついた生徒はいずれもブログに取り上げることを快諾してくれました。なかには近況や読後の感想を寄せてくれるなど、思わぬ交流の機会ともなりました。この場を借りて感謝する次第です。

 ただプライバシーに配慮したとはいえ、断りなく登場した生徒には、機会があれば事後の承諾をえたいと思っていますが、ここではなぜこの“ものがたり”を書いたのか、言い訳のようなものを述べさせてください。

 学校の教育実践には、無着成恭の『山びこ学校』のように、国民・市民の共有財産として今も読み継がれる記録が多々書き残されています。ところが、いま学校で何をどのように学んでいるのか、生徒たちの姿が伝えられることはほとんどありません。学力テストやPISAの結果が報じられることはあっても、学びの過程には関心さえ向けられていないといってもいいでしょう。

 でもその過程には、学びにかかわる、つまずき、間違え、失敗があり、よろこびやたのしみがあります。その学びの喜怒哀楽が人間形成に大きな影響を与えてきました。ぼくが敬愛するパウロ・フレイレは、教育の仕事を「人間化」といっていますが、それは「人間はもともと人間として存在しているのではなく、人間になっていく存在であるという意味がこめられている(里見実)」といいます。そしてその人間化の時間のかなりの部分を占めるのが学校です。教員は、人間が人間になっていく日々の過程をつぶさにみることができる証人のような存在です。それを個人の記憶だけに留めておくのはもったいない、ぼくがこの記録を書き残した所以です。いまや多忙化の象徴となった教員からは「そんな余裕はない」といわれそうですが…。

 もちろん1年がかりとなったこの作業で語ったことは、非常勤講師である一社会科教員がみてきた教育の場の断片に過ぎません。主観的で誤解もあるかも知れませんが、「人間化」を記録することの意義に免じて多々の失礼を許していただければ、嬉しい限りです。

 もうひとつ、大切な付け足しです。この“ものがたり”は、語り部のぼくにとって教育の再考察でした。書きながらしみじみに感じてさせられたのは、教員はほどほど「教えたがり」だなということです。熱心な教員ほど教材研究に力を注ぎ、熱い思いで教室に向い、そこで熱弁を振るのですが、生徒たちは教員の熱量に反比例するかのように冷めていきます。ものづくりの授業や衣食住、民具などの実物、映像資料には目を輝かしてくれるのに、「教える」段になるとさき細っていく授業…なぜだろうと自問を繰り返しながら、公立時代を過ごしてきました。しかしジモリに来て数年後、ある生徒からもらった「蒔田さんのような生徒といっしょに考える先生」という言葉が、自分をしばり続けた何ものかをときほぐし、向かう方向を指し示してくれたのです。生徒がもとめるのは上手に教えることではなく、「いっしょに」という対等な学びの関係でした。そこから「教える」から「考える」への転換がはじまりました。「伝達」は「対話」に変わっていきました。ぼくの中から「教えてあげる」という毒が抜けていくように感じました。

 自分が温めてきた大切な授業も少し発想を変えて、「教材」ではなく「考材」と考えたらどうでしょうか。1枚も写真でも、1つの石器でもいい、熱弁をもって解説するよりも、「いっしょに考えよう」と対話が生み出されたならば、生徒たちはそれを「手がかり」に学びをどんどん深めてくれるはずです。そしていつの間にか、教員と生徒との距離も縮まっていくものです。

 すべてを知る教員はいません。何も知らない生徒もいません。その溝をうめながら互いに学び合い、成長していくのが教育の姿ではないでしょうか。学びの共同探究者、これからの教育に求められるのは、そんな教育的な関係性です。