最後のキャンサーギフトとして、主治医であるドクターとの出会いを挙げたいと思います。私にとって、闘病におけるコーチであり、命の恩人であり、職業人としてのお手本でもあります。

 

長くなりますが、ドクターに私の主治医になっていただくまでの経緯を、思い出して書いていきたいと思います。マンモグラフィーで要精密検査となった私は、12月のある日、ドクターと対面しました。初対面がどんなだったか、あまり思い出せません。自分は絶対乳がんじゃないし、この先生とお会いするのはこれっきりだ、と思っていたからです。ただ、この人以上に「白髪の紳士」という言葉が似あう人はいないな、と思いました。ぴしっとアイロンのかかった白衣の下は、ピンストライプのYシャツにネイビーのネクタイを締めておられ、それがよくお似合いだと思いました。その様子や、大病院の乳腺外科を一人でマネージしているところからして、ちゃらんぽらんな生活をしている私とは正反対の、きちっとした先生なのだろうと感じ、緊張しました。

 

翌週、造影剤付きのMRIを撮影すると、左胸にはしこりが写っていました。それを確認し、ドクターは針生検をすることを決められたようです。麻酔の注射をすると、エコーしながら間髪入れずに太い針をブスっと。そして「バチンと音がします」という声掛けとともに、サンプルを取ってくれました。その段階になってようやく私は、癌かもしれないのだな、と気付きました。それで、ドクターに「先生のご経験に照らして、私が癌である確率はどのくらいですか?」と聞くと、ドクターは「3ー7、いや、5-5かな。でも、癌だとしてもごく初期ですから。」こういう段階では、はっきりしたことを言わない医師も多いと思いますが、この時にドクターが具体的な数字を言ってくれたおかげで、私は短時間で「癌であるはずがない自分」から「50%は癌である自分」へとスムーズに認識を切り替えることが出来ました。

 

もし癌であった場合、家族とお話を伺った方が良いのでしょうか?という私の質問に対し、ドクターは「ご家族が同席する必要があるのは手術の説明くらいです」と言われました。私がうーん、と考えていると、ドクターは「まあ、心細いでしょうから。」とひとこと付け加えてくれました。

 

結局一人で生検の結果を聞きにいったクリスマスの日、病院に行くとすぐに診察室に呼ばれ、乳がんであることを伝えられました。そして「私がなったということは、私の娘も乳がんになる確率が高いのでしょうか?」という質問に対しては、優しい目になって「今は女の人の7人に一人が乳がんになると言われていますから。そういうのはあまり関係がないんですよ。」とおっしゃいました。

 

ここまでの一連のドクターとのやり取りは、ごくわずかな時間でした。しかし、私がドクターを信頼するのには十分で、私はセカンドオピニオンを1秒たりとも考える必要がありませんでした。乳がんだと言われた時、私は最悪のことを、つまり乳がんで死ぬかもしれないことを考えました。同時に「この先生なら、私が死ぬ時、残される家族に対して思いやりを持って接してくれるだろう」と確信することが出来ました。私が乳がんで死ぬ確率はほぼゼロなので、とんでもなく飛躍した発想なのですが、それでも私には、主治医の人格は重要だったのです。

 

以上が、ドクターに主治医になっていただくまでの経緯です。ひとたび乳がんであることが確定すると、ドクターは驚くべきスピード感をもって治療計画を示してくれました。ドクターは「過剰な医療はすべきでない」というポリシーの医師だと、私は認識しています。この点において、ドクターの価値観が私のそれに近かったことも、私には幸運でした。

 

ですので再発リスクの低い私に対して、ドクターはいつもミニマムな治療を提案しました。このため、実は私には、部分切除か全摘か、悩む余地はありませんでした。ドクターの示した選択肢が「部分切除の一択」だったのです。また、手術後にどのような治療をするかも、ほぼ選択の余地はありませんでした。Ki67の数字の上では私はルミナールAーBのグレーゾーンですが、ドクターが浸潤径の小ささを根拠として「抗がん剤は不要」と断言してくれたからです。このように、重要な局面で迷う余地のない提案をしてくれたことも、心の弱っている時にはありがたかったです。上記のような私の状況は、多くの癌患者が、心理的時間的な余裕の無い中でさまざまな選択や決断を迫られているのとは対照的だったように思います。

 

やがて治療を受けていくにつけ、ドクターの治療の的確さ、説明の明確さ、率直に意見を表明する姿勢に接し、この医師のもとで標準治療を受ければ大丈夫なのだ、という安心感は深まっていきました。また、頻繁に受診するにつれ、ドクターの人間的な魅力に触れることも多くなりました。患者の話を丁寧に聞き、患者の問題や心配をひとつひとつ解消しようとしてくれる。患者のバックグラウンドに興味を持ち、患者の言うことに笑顔で反応してくれる。「どうせ外科医は、切ったら終わりと思ってるだろう」などと考えていた自分を、私は心底恥じました。

 

人に寄り添うというのはどういうことか。術後の痛みなどの私の問題にドクターが根気強く対処してくれた過程を通して、初めて身をもって理解することが出来た部分もありました。私も同じように学生に寄り添うことが出来ていただろうか?単に寄り添ったふりになっていなかっただろうか。医師と教員という職種の違いはあっても、そんなことを考えさせられることは多かったです。

 

手術の翌日の夕方、回診に来られたドクターに私は「先生、ありがとうございました。先生は命の恩人です。」と、正直な気持ちを言いました。それに対してドクターは、ひとこと「普通です。」と言って背を向けて帰って行かれました。私にとっては一生に一度の経験でも、ドクターにとってはあたりまえの日常なのでしょう。しかし、普通です、と言いながらも、マスクの下の顔が笑っていたのを私は見逃しませんでした。患者によりそい、患者が良くなっていくことを自身の喜びとする先生、先生は私のお手本です。どうぞいつまでもお元気で、長くお仕事を続けてください。