第八回・外山恒一賞 受賞者発表 | 我々少数派

第八回・外山恒一賞 受賞者発表

※検索サイト等からいきなりこのブログにアクセスした方へ。ここには「我々団」もしくは「外山恒一」に関する詳しい情報はありません。公式サイトへ移動してください。
 外山恒一の活動に資金協力を! 協力者向けに活動報告誌『人民の敵』を毎月発行しています。詳しくは
コチラ

 全国各地で不定期に開催される「外山恒一を囲んで飲む会」もしくは「外山恒一トークライブ」の情報を事前に確実に入手したい方はコチラを。
 



   外山恒一賞

 主に反体制的な右翼運動、左翼運動、前衛芸術運動などの諸分野から、「いま最も注目すべき活動家(もしくはグループ)」を、外山恒一が独断で選んで一方的に授与する。辞退はできない。

 外山恒一のファシストとしての再臨(2004年5月5日・ファシズムへの獄中転向を経て福岡刑務所を満期出所)を記念して、2011年より毎年5月5日に受賞者の発表をおこなう。

 授賞は、外山恒一が受賞者の活動に「全面的に賛同している」ことを意味するものではなく、あくまで「いま最も注目している」ことを意味するものである。多くの場合、授賞は好意的評価の表明であるが、時にはイヤガラセである場合もありうる。

 外山恒一が創設した革命党「我々団」の公然党員は授与の対象とならない。

 賞状・賞金・賞品はない。「外山恒一と我々団」や「我々少数派」などの外山恒一関連サイトで授賞が発表されるだけで、受賞者への通知もないが、受賞を知った受賞者は「外山賞活動家」であることを周囲に吹聴してまわって存分に自慢することが許される。外山賞受賞は活動家として最高の栄誉であり、いくら自慢しても自慢しすぎるということはない。


 --------------------------------------------------------------------------

 

 3年前の授賞発表で絶賛したためか、どうもこの時期が近づくと駆け込み受賞を狙った激しい反警察闘争に決起する人民英雄が登場するようで、つい先日、4月25日には佐賀県で、車で寝ていただけで警察に不当な云いがかり(“職務質問”などと奴らは自称)をつけられそうになった善良な紳士が、正当にもこれを振り切り、信号無視(緊急避難である)を繰り返しながら18キロも疾走した上、ついに行き止まりに追い詰められるも、道を塞いだパトカーに13回も体当たりするという果敢な抵抗を試みた末に逮捕されるという、まさに英雄的な闘争が報じられた。
 【佐賀】職務質問拒み パトカーに体当たり
 パトカーに追い詰められ、クルマで13回の体当たり
 この55歳の人民英雄は、べつに酒を飲んでいたわけでもなく無免許だったわけでもないとのことで、悪の組織・警察への純粋な怒りと、プラス外山賞受賞への熱い下心がその動機であったことは容易に想像できる。取調べに対して「何も話したくない」と応じているのは、後者の下心部分が照れくさいのだろう。
 この1年間の目覚しい反警察闘争としては他に、福井県で昨年9月28日、“ユーチューバー”などと故意にカッコ悪い肩書を自称しているのだろう謙虚な人民英雄が、交番の前で“白い粉が入った袋”をわざと落としていきなり走り出し、人を見れば何か云いがかりをつけようと常に身構えている人民の敵どもが、まんまと覚醒剤の売人だか常用者だかに違いあるめえと短絡し、慌ててゾロゾロと交番から走り出てくるマヌケな様子を隠し撮りして笑い者にしてやろうという、ジャーナリスティックでありながらユーモアあふれる実に心温まる動画作品を製作しようとして、自らの疑り深さを棚に上げる警察に“偽計業務妨害”などと云いがかりをつけられて逮捕されるという事件も起きている。
 白い粉落とし逃走「有名になるため」
 この31歳の人民英雄は、ネット上で「目標はトップユーチューバー」などと超カッコ悪いことを書いていたというが、「目標は外山賞受賞」と正直に書かないところがまた奥ゆかしい。

 それはともかく!
 まずは例によってノミネートされつつ惜しくも授賞を逃された皆さん。

 もちろん、軟弱ヘナチョコ文化人が軟弱ヘナチョコな“積極的棄権”を提唱 したぐらいのことでは、Fラン国家のFラン文化人どもは話題にしても、権威ある外山賞にはノミネートもされない。

 


  ノミネート1 立命館大学淫夢同好会の禁煙スターリニズム粉砕闘争

 おそらくこの1年間の出来事ではなく、2016年11月末の話なのだが、私が知ったのはつい最近のことなので、このような画期的な闘争が存在したことを多少なりとも世に知らしめるためにも、ノミネート扱いで紹介しておく。

 Fラン大つまり日本全国ほとんどすべての大学で禁煙スターリニズムの嵐が吹き荒れる昨今だが、その1つである立命館大で当時、“喫煙者密告アプリ”が導入されようとしたらしい。というか、いったんは導入されたらしい。読んで字のごとく、学内で喫煙者を見つけたら簡単に当局に密告することができるアプリで、かつリアルタイムで学内の今どこで何人が喫煙中であるか表示されるしくみだったようだ。

 淫夢同好会の面々はひたすら密告しまくり、学食などで今まさに数万人が喫煙中であるかのような、まるで立命館大がトリプルAの日本最高学府であるかのような幻を現出してみせた。

 当局は何のアナウンスもなくいつのまにかアプリ導入を撤回したという。

 https://twitter.com/Ritsinm_OIC/status/801961703571275776

 https://twitter.com/Rits_tabaken/status/991224020895842304

 「淫夢同好会」というのがそもそもどういう趣旨のサークルなのかはよく知らない。


  ノミネート2 青林堂の英断

 大手・中堅の出版社が外山恒一の存在を無視し続ける中、規模的には中堅出版社の1つと云ってよかろう青林堂がついに外山の新著『良いテロリストのための教科書』の刊行に踏み切った。たまたまだが、本屋の店頭に並び始めたのが9・11という佳き日であったことも実に縁起がいい。

 内容は、右傾化した若者たちのための左翼思想&左翼運動史の入門書である。評判は上々だ。
 これで青林堂は、一見“革命的”な軟弱ヘナチョコ本を次々と刊行している河出とか筑摩なんぞは足元にも及ばない超一流の偉大な出版社であることを自ら証明した。
 青林堂が普段出しているような本の愛読者たちを非難することに熱心な東京新聞に、栗原裕一郎氏によるこの本の書評がどーんと掲載されたこともまた痛快な出来事だった。
 とはいえ、自分の本を出してくれた出版社を、そのことを理由に表彰するというのも体裁が悪かろうという大人の判断で、泣く泣く授賞は見送る。



  ノミネート3 前田斜め氏「AEOSO(イオソ)」


 「前田斜め」氏は、2014年および2016年に劇団どくんごのツアー公演に参加していた“ちゃあくん”である。もともと鹿児島の人で、北海道の大学を出てすぐ劇団どくんごに参加したが、現在は長野県松本市で活動している。
 その前田氏が、9月1日から21日にかけて毎朝、松本市の路上で展開したパフォーマンスが「イオソ」だ。
 最終日である21日は、松本市に初めて出しゃばってきた巨大ショッピング・モール「イオン」のオープンの日で、前田氏は、それに先立つ3週間、路上でひたすら「イオン」そっくりのロゴを持つ謎の組織「イオソ」のキャンペーン活動を展開した。以下がそのダイジェスト動画である。
 https://www.youtube.com/watch?v=rr5D0kuP5Uw
 たぶん、“批判的”な趣旨なのだろうとは思う。しかし明からさまにそう云っているわけではないところが良い。単なる意味不明な謎のパフォーマンスなのだが、少なくともイオン側が歓迎してくれるとは思えない。おなじみの悪の組織によって前田氏が駅前広場から排除される様子も映っている。



  ノミネート4 山下陽光氏「“裏のおじいちゃん=頭山満”説」


 山下陽光氏は云わずと知れた「素人の乱」創設メンバーで、近年は“ファッションリメイクブランド”「途中でやめる」の人として大活躍中である。「素人の乱」の本拠地である東京・高円寺から2014年に郷里・長崎へと移住し、昨年春からは福岡に住んでいる。
 ノミネートの“裏のおじいちゃん=頭山満”説は、山下氏が昨年5月にツイッターで発表したものだ。
 “裏のおじいちゃん”というのは漫画『サザエさん』の登場人物で、磯野家の“裏”に住んでおり、タラちゃんがよく遊びに行って可愛がられたりしている。
 山下氏は、日本右翼の源流である玄洋社の頭山満の大邸宅が福岡市の副都心・西新にかつてあり(一時は西新岩田屋、最近までプラリバが建っていたところ)、また『サザエさん』の作者・長谷川町子もかつて西新に住んでおり、何よりも“裏のおじいちゃん”と頭山満が“そっくり”であることが気にかかって、この思いつきを検証してみることにしたようだ。
 長谷川町子がかつて住んでいた家の場所を特定し、そこから見てたしかに頭山邸は“裏”と呼ぶにふさわしい位置にあったことを突き止めた。頭山は1944年に89歳で死去し、1920年生まれの長谷川は1933年つまり12、13歳まで西新のその家に住んでいたらしく、年代は合っている。“裏のおじいちゃん”の家にちょくちょく遊びに行って可愛がられているタラちゃん、という図には、つまり幼少時の長谷川の実体験が反映されているのではないか、というのが山下説だ。
 https://twitter.com/ccttaa/status/887121014575947777
 だからどうだというのではないし、仮説が完全に証明されたわけでもないが、超面白い。
 もっとも、すでに押しも押されもせぬ存在である山下氏を今さら表彰してどうする、という大人の判断でやはり授賞は見送る。単にこの超ワクワクする話をさらに広めたかっただけである。

 

 

  ノミネート5 薙野信喜氏の福岡演劇シーン追及

 

 私は現在ではもはや劇団どくんごの手先と化しており、一番好きなマンガは『ガラスの仮面』だったりするが、それぞれ個別に支持してるだけであり、演劇にとくに関心があるわけではない。演劇どころか、コレコレを読めば分かるとおり、私は反サブカルを口先だけで息巻いてる野間易通などとは違って、サブカルもサブカルチャーもメインカルチャーも、さらには反芸術など標榜する芸術の単なる一ジャンルも、徹底的に軽蔑し、いつか革命政権を樹立して根こそぎ弾圧する決意を固めている筋金入りの反芸術主義者なのだ。世間の大多数の人よりは成り行きで芝居を観る機会はいくらか多いが、腹が立たないことなど滅多にない。私が九州で観た芝居はたぶん計何十本かにすぎないが、手放しで賞賛しうるのは第二回外山賞受賞者の亀井純太郎君の芝居ぐらいだった。
 とくに地元福岡でたまに芝居を観るたびにムカついて仕方がないので、福岡の演劇シーンにマトモな奴はおらんのかと以前ざっと検索してみた時に、やはり福岡の演劇シーンのレベルの低さを(私とは違って大量に観た上で)嘆きまくっている薙野信喜氏と「けんちん・F」氏のツイッター・アカウントを見つけた。どちらも基本的スタンスはリベラルで、ラジカル派の私とは個々の芝居の評価は必ずしも合わないことは感じつつ、以来、2人の存在を気に留めている。
 そのしょーもない福岡演劇シーンで昨年末、一大スキャンダルが持ち上がった。例の一連の“MeToo”現象の余波で、もともと福岡の劇団主宰者であり、近年は横浜で行政タイアップ型の演劇イベントを手がけていた演出家の、かなり悪質な所業が暴露されるに至ったのである。

 市原幹也氏のセクハラについて
 私は正直云って一連の“MeToo”現象をかなり斜に構えて眺めているが、それはまた別の機会に書くこともあるだろう。それにこの件の場合は告発された市原自身が事実関係をおおむね認めているようなので、冤罪ということもあるまい。
 上記は薙野氏のブログ記事だが、上記記事から始まって現時点では「市原幹也氏のセクハラについて:和解と支援団体立ち上げ」まで、薙野氏は延々と4ヶ月以上にわたって、この事件に関連して福岡の演劇シーンの“セクハラ(を容認する)体質”を追及し続けている。福岡の演劇人の中には市原の常習的なセクハラの実態を知っていて見逃していた者がかなりいるはずだ、事件が発覚してなお福岡の演劇人の多くがこうした問題について見解を明らかにするでもなく事態が沈静化するのをただ待っているかのようだ、と薙野氏は追及の手を緩めない。
 もちろん私は、こうした薙野氏の姿勢にも完全に賛同するわけではない。仮に福岡の演劇関係者たちが唐突に殊勝な問題意識に目覚めたとして、現在の状況ではそれは“セクハラ防止のガイドライン策定”だの“コンプライアンス”がどうこうというハナモチならん方向にしか収斂していかないだろうことは明らかでもあるからだ。
 それでも、果敢に問題提起をしつこく続けている薙野氏は本当に偉いと感心している。しつこいことは大事である。
 一方で、福岡の演劇シーンの低レベルには改めて呆れる。
 もう1人の「けんちん・F」氏もこの問題で激怒して、薙野氏とはまた別個に福岡の演劇シーン全体の責任を追及していたようなのだが、要するに2人とも単にウザがられているのである。しまいには「けんちん」氏を罵倒するためのツイッター・アカウントまで作られて、福岡の演劇人どもがそれを「いいね!」しまくるような土人集落ぶりが露呈される始末だ。
 市原幹也氏のセクハラについて:けんちん・F氏攻撃専用botのおぞましさ
 さすがに私も(“演劇シーン”がどうなろうが完全に他人事ながら)頭にきて、薙野氏の果敢な闘争をこうして少しでも広く知らしめたいと思った次第である。
 一連の流れは、「市原幹也氏のセクハラについて:告発から4ヶ月が経った」にとりあえずまとめられている。

 

 




 --------------------------------------------------------------------------


   第八回外山恒一賞

   受賞なし


  理由

 

 もう外山賞発表のたびに数回前から、私はラジカリズム高揚の“10年周期説”に基づいて、そろそろ新たな高揚の萌芽が現れるはずだと繰り返し書いてきた。今年などはもう、高揚の渦中にあるはずの時分である。
 が、どうも何も起きないようだ。
 私はおそらく“10年周期説”を放棄することになるだろう。
 そもそも考えてみれば、“日本の89年革命”の高揚も、90年代後半の“だめ連”ムーブメントも、00年代後半の素人の乱や“生きさせろ”運動も、それらを牽引していたのはすべて60年代後半から70年代前半生まれの、要するに私たちドブネズミ世代だ。さらに若い世代の活動家など、少なくとも層としては登場していないし(私はシールズはまったく評価していない)、個人で見ても我々ドブネズミ世代の主要な面々と張れるレベルの活動家は第一回外山賞受賞者の金友隆幸君ぐらいのものだ。
 私はとくに現時点での若者たちにほぼ絶望している。
 外山賞を授与したくなるほど目覚ましい行動を盛んに繰り返しているのが私しかいないというのは一体どういうことだ?(この1年間だけでも私は、ツイッター凍結解除闘争韓国領事館前ベトナム反戦像設置闘争、80年代運動史の生き証人・鹿島拾市の25年前の20時間インタビューのテープ起こしと、外山賞モノの活動を3つもやっている)

 今回の「受賞なし」はそうした私の絶望の表明であると共に、反省の表明でもある。
 狭義の政治運動でなければ、外山賞を授与するにふさわしい実践は、音楽なり演劇なり現代美術なりのシーンにはおそらくあっただろうとは思うのである。そういった方面を基本的にはハナからバカにしている私は、だからあまり熱心にその動向を追っていなかったりもする。そしてもしかしたら、狭義の政治的な運動のシーンにも、細かく見ていけば素晴らしい実践があったかもしれないと、ほんの少しは思わないでもないのである。「受賞作なし」は私の怠惰の結果である可能性も、たぶんないがまったくないと云い切る自信はない。
 今後はもうちょっと、さまざまの動向を仔細に眺めたい。