第七回・外山恒一賞 受賞者発表 | 我々少数派

第七回・外山恒一賞 受賞者発表

※検索サイト等からいきなりこのブログにアクセスした方へ。ここには「我々団」もしくは「外山恒一」に関する詳しい情報はありません。公式サイトへ移動してください。
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   外山恒一賞

 主に反体制的な右翼運動、左翼運動、前衛芸術運動などの諸分野から、「いま最も注目すべき活動家(もしくはグループ)」を、外山恒一が独断で選んで一方的に授与する。辞退はできない。

 外山恒一のファシストとしての再臨(2004年5月5日・ファシズムへの獄中転向を経て福岡刑務所を満期出所)を記念して、2011年より毎年5月5日に受賞者の発表をおこなう。

 授賞は、外山恒一が受賞者の活動に「全面的に賛同している」ことを意味するものではなく、あくまで「いま最も注目している」ことを意味するものである。多くの場合、授賞は好意的評価の表明であるが、時にはイヤガラセである場合もありうる。

 外山恒一が創設した革命党「我々団」の公然党員は授与の対象とならない。

 賞状・賞金・賞品はない。「外山恒一と我々団」や「我々少数派」などの外山恒一関連サイトで授賞が発表されるだけで、受賞者への通知もないが、受賞を知った受賞者は「外山賞活動家」であることを周囲に吹聴してまわって存分に自慢することが許される。外山賞受賞は活動家として最高の栄誉であり、いくら自慢しても自慢しすぎるということはない。


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 昨年も愚痴ったように、2011年の“3・11”以後の反原発運動やシールズなどの何の意味もない表層的な“高揚”の限界を突破する、真にラジカルな若い諸運動がそろそろ登場するはずだ、という私の期待は今年も裏切られ、少なくとも私の視野に入ってきた範囲では、この1年間にめぼしい動きは何もない。例によってまずは以下の“ノミネート”枠に登場するのも、すでに功成り名を遂げた方々がほとんどで、私がわざわざ今さら顕彰したりするのも却って失礼に当たるので、えいっと授賞するわけにもいなかいし、若者たちのふがいなさに私は今年も歯がみする思いである。
 諸外国ではトランプ旋風、サンダース旋風、ブレグジット、ドゥテルテ……と非インディーズ政治のレベルでさえワクワクさせられるような展開が連続しているというのに、日本ではそれに似てないこともない“アベ政治”も今ひとつどころか今百ぐらいグダグダなナシクズシ的展開でしかなく、つまり在野の運動が既成政治体制をおびやかす形で表舞台に登場するのではなく、既成権力そのものである自民党が自ら“トランプ的なもの”の真似事をしてる程度のもので、まあ第二次大戦前もイタリアやドイツと違って日本にはファシズムの“革命”は起きなかったわけだし……やっぱりとことんダメだな、この国は。
 いっそ今回はトランプに授与しようかと考えたほどだ。
 こんな国、早く中国と戦争になって負ければいいと思う。


  ノミネート1 針谷大輔氏の「謝れ!」

 2016年5月27日、アメリカ大統領として初めて、オバマが広島を訪れた。反核のアピールはあったが、もちろん日本に2発も原爆を落とし、フセインもアサドもアルカイダもイスラム国も真っ青の大量虐殺をおこなったことへの謝罪の言葉などは一言もなかった。オバマの立場を考えれば、それはそれで仕方のないことではあるし、まずは大統領の任期内に広島を訪れて、謝りはしないまでもとりあえず神妙なことを云って献花したというだけで大前進ではある。
 が、日本国内の左右の反体制派は、それぞれの立場から、少なくとも「謝れ!」の声を一応は上げておくべきでもあろう。オバマが読むわけもない国内の左右メディア上でそのように云っていた者は多少いようが、オバマに直接その声を届けようとしたのは、新右翼・統一戦線義勇軍の針谷大輔議長ただ1人であった。
 針谷氏は、オバマ広島訪問の当日、たった1人でこっそりと広島入りし、オバマの乗った車が通るのを今か今かと待ち構えている、沿道の“歓迎”の人並の中にまぎれ込んだ。いざオバマ・カーが目の前にさしかかるや、針谷氏は内ポケットに隠し持っていた「Apologize!」の旗を広げ、掲げたのである。もちろん警備の公安刑事たちに即座に取り押さえられた(その場から排除されただけで、逮捕はされなかったようだ)。
 警察の大失態である。6月14日に東京でおこなわれた“報告集会”で針谷氏自身が語っていたように、針谷氏が隠し持っていたのが“謝れ!”の旗であったから良かったようなものの、その気になればピストルや小型爆弾だって持ち込めたということなのである。どうせこんな3流後進国、諸外国の要人諸君がわざわざ危険を冒して訪問する価値もあるまいし、誰も来なくなればいいんじゃなかろうか。
 ともかく、87年の「住友不動産会長宅襲撃事件」で颯爽とデビューし、“3・11”以後は現在まで毎月、東京・銀座での“右から考える脱原発”デモを主催し続けている、さすが歴戦の反体制右翼活動家・針谷氏である。誰かが絶対にやらなければならなかったことを、見事にやってのけてくれた。


  ノミネート2 桜井誠氏の「早大講演会の開催告知における自主炎上商法」

 云わずとしれた悪名高いレイシスト集団「在特会」の桜井誠氏である(現在は「日本第一党」党首)。
 詳細は「web版『人民の敵』」でも書いたとおりだが、2016年秋の早大の学園祭に、「人物研究会」と称する3流サブカル早大生サークルが、桜井氏を招こうとした。野間易通氏の「しばき隊」が火をつけた、在特会への近年の“カウンター”行動の盛り上がりを考えれば、そんな企画、そもそも実現しようはずもない。
 正確には桜井氏1人を早大祭に呼ぼうとしたのではなく、昨夏の都知事選に出たキテレツないわゆる“泡沫候補”を桜井氏も含めて数名、呼ぼうとしたもののようである。つまりまず何よりも、一片のココロザシもない徹頭徹尾ただフザケたイベントで、もちろん若者がフザケたって別にそれ自体はかまわないのだが、そういう場に桜井氏を呼ぶことは決して冗談では済まされない問題になることに決まっていることも分からない程度のアサハカさ、“フザケる資格”のなさが大問題である。そういうことをやるなら、当然ながら抗議の声が殺到することも念頭に、あらかじめ策を練っておかなければならない。
 しかも抗議の声が早大内からではなく、「しばき隊」やそのシンパら学外からしか巻き起こらなかったことで、早大などというFラン私大に通う価値などまったくないことも改めて暴露されてしまった。学外からの抗議が殺到しなければ、たぶんこのしょーもない企画は無事に開催されていたはずである。企画が提出された段階で、早大祭実行委員会で問題にならなかったのが不思議と云えば不思議、3流私大なんで不思議でも何でもないと云えば不思議でも何でもない。
 私が感心したのは、学外からの抗議が殺到するきっかけを作ったのは、つまり早大祭に桜井氏を招く計画があることを最初に暴露したのが、桜井氏自身であることだ。本番の数日前、桜井氏が自らのツイッターで「早大に呼ばれることになりました!」的なツイートをして一気に炎上、くだんの企画は抗議殺到により企画ごとポシャってしまったのである。
 そもそも桜井氏自身、こんなド3流のFラン私大のFラン学生によるFラン企画になど参加したくなかったのではないかと私には思われる。桜井氏は、その思想の内容はともかく、“活動家”としてのセンス・反射神経は相当レベルが高いと私は見ているし、そんなツイートをすれば企画が潰れてしまうだろうことを桜井氏ともあろう者が予測できないはずがない。桜井氏は、わざとやった可能性が高い。
 おそらく桜井氏の思惑どおり、桜井氏がたった一言つぶやくだけで企画は潰れた。“カウンター”側は桜井氏の半分ほども政治センスがないから、「勝った、勝った」と浮かれたようだが、早大生たちの多くは、そもそも自力でこんなポンコツ企画を潰せないFラン畜群集団であるから、桜井氏にではなく、学外からワケの分からない“クレーム”をつけてきてFラン仲間の企画を潰したカウンター勢に対して反感を募らせたであろうことは想像に難くない。桜井氏は何の損もせず、それどころか“自ら関知しない事情によって”バカ学生どもと不愉快な接触をせずにすみ、しかもバカ学生たちは敵方のカウンター勢に反感を持ってくれるという、いやはやなかなかの策士である。


  ノミネート3 ブラ陛下

 天皇皇后両陛下が今年2017年4月2日朝、突如として超ラフな恰好で皇居の門から徒歩で出てきて、近所を“お散歩”された。ブラタモリならぬブラ陛下である。
 朝日新聞の記事にもあるとおり、そりゃあ「遭遇したランナーや通行人は驚いた」に違いない。
 両陛下がなんで突然そんな振る舞いに及んだのかは分からないし、陛下のお気持ちを“忖度”すること自体が“不敬”にあたるのだ、と周囲の右翼方面の友人たちから年中イマシメられてもいる。“何か”意図はあるんだろうが、両陛下がそれを語ることなどもあるまい。
 私は右翼ではなくファシストだし、うっすら尊皇家ではあるが信奉者というほどではないので、多少はついつい“忖度”もしてしまう。例の“生前退位”メッセージにせよ、さすが陛下、安倍ちゃんごときが思いもよらぬ手段を次々と繰り出して、安倍政権を揺さぶり続けているようにも見える。原発も早くやめてしまえとお怒りであろうことも、“3・11”以降の“お言葉”のハシバシから窺える。今回のことも、この国の現状に対する何らかの批判的示唆であるには違いないと思う。
 不勉強な政治家どもと違って、陛下はシモジモの動向にかなり細かく目を配っておられるような気が私などにはしており、私が福岡での読書会でさんざん批判的に論評した栗原康の『現代暴力論 「あばれる力」を取り戻す』(角川新書・2015年)などという駄本にも、そこそこ話題にはなってる新進論客の著作だし、目を通されている可能性もないではない。少なくとも栗原“アナキズム”への軟弱ヘナチョコな同調者どもよりも、両陛下たったお2人のほうが、よっぽど「あばれる力」をお取り戻しであるように見えるし、しかも最小限の労力で体制への最大限の揺さぶりを発揮しうる戦略も見事である。ヘサヨやパヨクが何万人束になろうとも、陛下お1人の力にはとうてい及ばない。
 しかしさすがに陛下に何かを“授与”するなんて“不敬”が許されようはずもない。立場が逆である。べつのところでも書いたとおり、私はいずれ陛下に「征夷大将軍」に任命いただける日がくることを夢に見ながら、今後とも精進していく決意だ。


  ノミネート4 スイス大使館

 昨夏の都知事選で、私はここ2年ほどヤミツキになって時々やってる“ニセ選挙運動”というのを、また期間中ひたすらやり切った。正式に立候補もしてないくせに、いつもの街宣車を選挙カーふうに改装し、「外山、外山でございます」といかにも選挙口調で、しかし“投票ボイコット”を呼びかけて回るという、一見ただフザケているように見えて実はとってもマジメな“民主主義批判”の運動だ。
 その模様を、アサハカにも私の活動を単なる演芸的な何かだと勘違いし続けている某サブカル誌編集者の織田曜一郎氏が連日、動画でレポートし続けてくれた。それら全20回の動画シリーズは、YouTubeで「外山恒一 ニセ選挙」などで検索すれば今でもすべて見られる(とくに東京極西部の農村地帯を回った日や、プロのウグイス嬢の実力が炸裂した日などのレポート動画が評判いい)。
 で、在日本スイス大使館である。
 昨年はスイス・チューリヒで、20世紀前衛芸術運動の極北たる“ダダイズム”が誕生してからちょうど百年にあたり、おそらくは世界じゅうで、各国のスイス大使館の主催になる“ダダ百周年”のさまざまなイベントが開催されていたんだろうと思う。在日本スイス大使館も、「ダダ100周年記念アート・コンペティション」と称し、「ダダイズムに触発された」映像作品を一般から募集して、どうせ3流Fランの後進土人国家だしテキトーでよかろうという判断だろう、それら応募作品を一律にスイス大使館のFacebookアカウント内に陳列、「イイネ!」数で優勝を決めるというチョー安直なイベントを主催した。優勝賞品はスイス旅行である。
 これに何を思ったか織田曜一郎氏が、くだんの“ニセ選挙運動”レポート動画を再編集して送りつける、という挙に出た。「外山恒一の『ニセ選挙運動』~現代美術パフォーマンスとしての記録」という、相変わらず私の活動を“芸術”呼ばわりする失礼な作品である。
 すると今度は、我が九州ファシスト党〈我々団〉の工作員たちが、「織田さんを無駄にスイスへ送ろう!」と織田氏作品に“イイネ!”投票を呼びかける大キャンペーンを展開し始め、そもそもダダイズムなんて一流先進国民にしか興味を持たれようのない高級芸術運動の関連イベントが盛り上がるわけがない土人集落だし、ちょっと煽っただけで2位以下に圧倒的な大差をつけて、織田氏の応募作品はまんまと優勝してしまった。もちろんスイス旅行にも今年はじめに招待され、無事に行って戻ってきている。
 まさか優勝はすまいという、結果が出る少し前でのものだが、一連の経緯は「web版『人民の敵』」でさらに詳しく報告したとおりである。
 それにしてもスイス大使館、大英断と云ってよかろう。なにしろ織田氏の作品は、“ファシストの政治活動”を、もちろん何ら批判的な視点を抜きに、ただ面白おかしくレポートしたものなのである。そんな作品を政府機関が公的に表彰することなど、国際常識として決して許されるものではあるまい。しかも表彰式(会場はドイツ大使館関連の公的施設。ドイツですよナチズムでおなじみのドイツ!)で、我が九州ファシスト党の工作員たちが“ファシズムの再評価”を求めるがごとき内容のスピーチをおこなうことさえ、主催のスイス大使館は許容してしまったのである。これは遅かれ早かれ国際問題になるに決まっている。なまなかな覚悟での授賞ではなかったに違いなく、スイス大使館、実に立派としか云いようがない。
 なお九州ファシスト党の工作員たちは、引き続き今度は、“ファシズム賛美作品を公的に表彰したスイスを国連から追放しよう!”というマッチポンプ的なスイス糾弾キャンペーンを大々的に展開すべく、まずは各国のリベラル派のメディアなどに告発の手紙を送る恐ろしいインボーを準備中であるらしく、ファシストってのはほんとにタチが悪い。



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   第七回外山恒一賞(2人授賞)

   1 オクムラユウスケ


  授賞理由

 福岡の音楽シーンの重鎮である“ボギー”氏と知り合ったのは、2013年5月31日のことである。
 存在は99年頃には聞き知っていた。ボギー氏は私より4歳年下だが、当時すでに福岡の音楽シーンのキー・パーソンの1人となっていたのだろう。ミュージシャンとしての活動もさることながら、おそらくそれ以上に、個性的な音楽イベントを次々と仕掛けるイベンターとしての活躍がすさまじかったのだと思われる。
 ボギー氏の側もだいぶ以前、たぶん07年の都知事選よりずっと以前から私の存在は承知していたはずである。90年代、20代での私のさまざまな革命的活動は、とくに地元福岡で大量の敵を作り、その悪名は一部では現在も語り継がれているようで、会ったことない人にも蛇蝎のごとく嫌われていることはよくあるし、ボギー氏もやはり、「存在は知っていたが、正直あまりいい印象は持ってなかった」と知り合ってから語ってくれている。
 2013年の出会い方も実はあまり良いものではなかった。むしろ危機一髪だったと云ったほうがいい。私の関係者経由でボギー氏主催のライブに飛び入り出演した、もちろん私自身もよく知らないゴミくずミュージシャンが、当日さんざん不義理を働いてくれたのである。対応を誤ると、初対面のボギー氏にいきなり“やっぱり外山ってのはロクでもない”という評価を決定づけさせてしまいかねない危機的局面だった。
 まあその時のことは今さらどーでもいい。詳しくは私自身が珍しくtogetterにまとめて“名編集者”ぶりを発揮したページが残っているので、興味のある人はそちらを見るよろし。
 私はおそらく対応を間違わなかったということだろう、その一件を機に、むしろ急速にボギー氏と親しくなった。私が現地スタッフ代表を務めている「劇団どくんご」福岡公演にも毎回ご来場いただけるようになったし、ボギー氏が主催するヘンテコなイベントにも“出演者”として誘っていただけるようになった。
 私自身が出演する時であれ、そうでない時であれ、ボギー氏のイベントには毎回感心させられる。ボギー氏があちこちで見つけてきた面白すぎるミュージシャン、パフォーマーたちが大量に出演していて、私もまだまだ全然、重要な人たちを知らなすぎることを反省することしきりである。さらに、前記の初対面の時の“事件”とも関連することだが、ボギー氏はイベントそのものにはもちろん、イベント終了後に出演者や観客たちを互いに“交流”させることにも力を入れていて、つまり福岡というしょーもない地方都市にナニガシカの“シーン”を形成することに全力を傾けているところにも私は感動している。偉大な文化活動家であり、本来ならボギー氏に外山賞を授与したいところだが、私が持ち上げるまでもなくボギー氏はとっくに福岡の音楽シーンの重鎮であり、歴戦の闘士すぎて、私がボギー氏をちゃんと知るのが遅すぎたことを悔いるしかない。
 昨2016年はとくに私にとって“ボギー漬け”の1年だった。
 正月早々の1月6日にいきなり、ボギー氏がこのところ連年開催しているという「新春即興祭」なるイベントに出演者の1人として呼ばれた。ボギー氏の交友関係の中から、ボーカリスト、ギタリスト、ベーシスト、ドラマー、そして“その他”(キーボードとか管楽器とか)をそれぞれ4人ずつ集めて、当日その場でクジ引きによる“即席バンド”を結成、完全にアドリブで30分ずつステージを務めさせる、というムチャすぎる企画である。しかもアドリブに慣れた他のパートはともかく、ボーカルなんて普通アドリブでやるもんじゃないし、私はその“ボーカリスト”の1人として呼ばれたのだから、ほんとに一体どうなることかと焦りまくった。絶対に大恥をかくと思って私はほとんど告知もしなかったが、どうにか及第点のパフォーマンスはできたようで、終わってホッとした。
 10月1日に開催された「ヨコチンロックカーニバル」(ボギー氏主宰のイベント制作集団の名称が「ヨコチンレーベル」)という、ボギー氏界隈の恒例の年間最大イベントらしきライブにも、これはフツーに客として行ってみた。「どくんご」のメンバーにオススメされていた「イェーイ青木」という“音楽を通じて仏の教えを世に広める”活動に邁進しているお坊さんが出演すると知ったからでもある。イェーイ青木氏、素晴らしかった。袈裟を着て、“エレキ琴”の弾き語りで“ありがたいこと”を絶唱するんだが、私が行ったこのイベントでの動画はYoTubeでは見つけられなかったので、参考までに、袈裟は着てるが“弾き語り”ではない動画と、“弾き語り”だが袈裟は着てない動画を1つずつ紹介しておく。
 ボギー氏のやるイベントというのは、少なくとも私が行ったものに限って云えば常にどこか極端で、この時も14時半開演、深夜0時すぎまで10時間ノンストップで、20組以上が出演するのである。どの出演者もいちいち個性というかウリがあって面白いのだが、そのバカバカしさにおいて私は「カシミールナポレオン」に唖然とさせられた。聖飢魔Ⅱのパロディというか、そもそもヘヴィメタルのパロディである聖飢魔Ⅱのそのまたパロディというか……これもこの日のステージではなく、東京かどこかでのライブらしい動画を紹介しておく。
 そして年末12月28日の、(人数に多少の変動はあれ)やはり連年の恒例企画らしいのだが、「56人弾き語り忘年会」という、“1人1曲”という縛りで5時間以上続く、これまた非常識にバカバカしすぎるイベントに私も“出演者”として呼ばれ、数少ない弾き語りの“持ちネタ”である例の「無職青年社のテーマ」を披露した。まさにボギー氏で始まりボギー氏で終わる1年であった。
 なお今年に入ってからも、ボギー氏が主催した、元「たま」のドラマーというかパーカッショニストというか例の“ランニングに半ズボンの人”石川浩司氏の3月17日のギター弾き語りライブと、翌3月18日のトークライブも観に行った。弾き語りライブのほうでは、“余興”と云っちゃっていいのか、これもボギー氏が石川氏を福岡に呼ぶたびにやってるらしい、ボギー氏を含む福岡のミュージシャンたちと石川氏による“本人1人入り「たま」完全コピーバンド”がバカバカしいやら感動的やら、とにかく贅沢であった。トークライブのほうは、石川氏とボギー氏が代わる代わる“持ちネタ”の笑い話を披露するというもので、石川氏もボギー氏も観客を一瞬たりとも飽きさせないエンターテイナーぶりである。
 肝心の授賞についてだが、多くを語る必要はあるまい。前記「ヨコチンロックカーニバル」で私は初めてオクムラユウスケ氏の弾き語りを観た。そういえば書き忘れてたが昨年春にはボギー氏主催の花見にも行ってて、そこで私は初めてオクムラ氏に対面したんだが、氏がボギー氏の実弟だと知ったのはその時だったか、それよりさらに後だったか……。
 「ヨコチンロックカーニバル」では、オクムラ氏はソロでのフォーク・ギターの弾き語りを披露し、何曲かやったが、とくに「ロックスター」という曲が強烈に印象に残った。ボギー氏の“陽”に対してオクムラ氏の“陰”……というほど“陰”というわけでもないが、対照的ながらこの兄弟スゲェぞと思い知らされた。ちなみにボギー氏のご子息・モンド君も現在中学生ながら美術シーンですでに有名な“天才似顔絵描き”であるらしく、とんでもない“芸術一家”である。
 「ヨコチンロックカーニバル」の打ち上げの席でオクムラ氏本人から聞いたところによれば、いろんなイベントに呼ばれるが大半はパンク・バンドと同じステージに立つことになり、バンドの音量・音圧にアコースティック・ギター1本でどう拮抗しうるかを追求してきた結果として、現在のスタイルがあるのだそうだ。
 さらに「56人弾き語り忘年会」にもオクムラ氏は出演していて、そっちも、笑いを挟みながら強烈なステージだった。
 前者「ロックスター」は、私が観たソロではなく、バンドでのバージョンがYouTubeに上がっていた。後者「動物大図鑑」は、まさに私が観た「56人弾き語り忘年会」でのそれがあった。観れば、そりゃ外山賞も受賞するわな、と納得していただけることだろう。

 まあ、単に私が知らなかったというだけで、オクムラ氏もボギー氏同様そのシーンではすでにヒトカドの人物で、こんな授賞などやっぱり却って失礼にあたるのかもしれないのだが……。


   2 吉田一郎(大宮市議というか「自称さいたま市」市議)


  授賞理由

 高円寺「素人の乱」の中心メンバーというか創立メンバー3人のうちの1人である山下陽光氏(他2名は云わずとしれた松本哉“総帥”と小笠原慶太氏)が、この4月、福岡に移住してきた。2014年に東京から郷里長崎へ妻子と共に移り、約3年を経て、今度は福岡へと移ってきたのである。4月11日に新・山下氏邸で移住記念パーティがあり、そこで山下氏の口から吉田一郎なる埼玉の風変わりな市議会議員の存在を知らされた。
 なんでも自称さいたま市(云うまでもなく私は“平成の大合併”への頑固な否定派なのでこう書く)が、「さいたまトリエンナーレ」なる芸術イベントを昨年、“第1回”として開催したらしく、“途中でやめる”という自ら「想像以上に低クオリティ」と称するヘンテコなファッション・ブランドを運営している山下氏は、すでに現代美術シーンでもヒトカドの存在であり、同イベントにも出品者(出演者?)としてお声がかかったわけだ。
 関わり始めてみて、「さいたまトリエンナーレ」の開催に強硬に反対し続けている市議会議員がいることを山下氏は知ったらしい。以下、山下氏の文章から、ちょっと長いが引く。なお文中の「新しい骨董」とは、山下氏も参加しているアート・ユニットか何かの名称である。
          ※          ※          ※
 さいたま市議の吉田一郎氏の発言は血税を使ったイベントで人も集まらずアートなんかやるより危険な道路整備等に優先してお金を使っていくべきだという凄くまっとうな反対意見だけど、吉田一郎氏の言葉の言い回しや立ち振る舞いなどが、やたらとしなやかで、声がとおる。この方は何者なんだろうか?と調べてみたら、香港がイギリス領土だった頃に存在した九龍城に住んでた方で、九龍城は香港の中で唯一中国の国土になっていた、いわゆる飛び地と言われた場所で、そこから吉田氏は世界中の飛び地を研究された本を執筆。『世界飛び地大全』(引用者註.2014年・角川ソフィア文庫)。この本がまたクソ面白くて読んでる途中で下道氏に貸してしまったので今度返してね。
 さらに吉田氏はタモリのインチキ四カ国語マージャンに影響を受けまくったというネット情報を入手。
 吉田一郎氏の動画を観まくると、外国人に選挙権を与えない方がいいと言ってる動画があって、文字情報だけでみると差別主義者っぽいが、吉田一郎氏が言ってるのはその部分ではない。彼はさいたま市議会で広東語で選挙運動をしても理解できないでしょ、と突然広東語で話し始めると議長から吉田議員やめなさいと言われながら、いいえやめません。と続いてですよ、コレが北京語だった場合はどうなりますか?と北京語で話しはじめる。
 彼が影響を受けたハナモゲラマージャンをさいたま市議会で実現している。どうですかこの反転のさせ方。
 僕は吉田一郎さんと出会い方を間違えただけで、きちんとお会いして謝罪して話すとわかりあえるのではないかと思った。
 吉田一郎氏を新しい骨董のメンバーとして一緒にやりたい。さいたまトリエンナーレの飛び地として吉田一郎氏が言いたい放題のさいたまトリエンナーレ批判をやりまくったら最高だと思い、新しい骨董メンバーで大盛り上がり、著作を読み、事務局にその事を伝えると全力でやめてくださいと言われた。
 僕は脱原発デモとか反対運動とかやりまくったんですが、今回のこの騒動で初めて反対される立場に立たされた。
 そして反対された側の対応は、身内を守るだけで反対された中身については一切考えないということ、それは吉田一郎氏に対してとても失礼な対応だと思う。
 しかし、反対運動された側は反対している中身やその人よりも自分らが酷い事をやっているのを隠し、問題のないような規制だらけでがんじがらめにして反対やクレームを言われないようにする対応しかできてない。
 マジかマジかでやめたくて仕方ない。

          ※          ※          ※
 結局、山下氏らは吉田氏と会って飲み交わした際の焼酎のボトル(吉田氏のサイン入り)を“作品”として出品したらしく、山下氏の対応もさすがだが、このエピソードを聞いて、私もガゼン吉田氏に興味が湧いた。ちょっと調べたところで、実は私も吉田氏の著作を1冊持っており、すでに読んでいたことにも気がついた(『国マニア』2005年・ちくま文庫)。
 昨年の外山賞発表の際にも少し書いたが、我が九州ファシスト党の“芸術部門”担当者たちは、“芸術批評誌状の芸術弾圧機構”と称する『メインストリーム』での活動を通して、このテのくだらない“街おこしアート”イベントの撲滅に力を入れている。が、いかんせんコミュ障の2人組のことゆえ、その試みは毎回“介入失敗”の敗北続きで、それらの“失敗談”をむしろネタにして、美術シーンの一部でちょっと話題にしてもらえている程度のフガイなさである。それに比してこの吉田氏は、もちろん時勢ゆえイベント開催の阻止までは無理ながら、きちんと“運動”を組織して強力な反対運動を展開しているらしい。スゴイじゃないか。
 吉田氏は、「さいたまトリエンナーレ」に関連して、1億2千万円の予算を投じた“プレイベント”への来場者が1日あたりわずか10人ほどでしかなかった事実を暴露し、さらなる追加予算案の約2億円を3分の1近い約7千万円へと減額させるという具体的戦果も上げている様子なのである(氏の「市政レポート」の「2016年1月特別号」などに詳細あり。しかも吉田氏はその減額案にさえ「ゼロにすべきだ」と反対票を投じていて、その徹底ぶりがまた素晴らしい)。
 さらに調べてみると、吉田氏、やはり正しくも私と同様、頑固な“平成の大合併”撤回派らしく、現在でも引き続き“大宮市の分離独立”を掲げており、「大宮市亡命市役所」なるサイトまで立ち上げている。とことん素晴らしい。
 そもそも吉田氏は、自称さいたま市を解散させ、浦和・大宮・与野の旧3市(現在ではさらに岩槻市も滅ぼされて旧4市)に当然にも戻すべく、選挙に出始めたらしいのだ。01年に自称さいたま市長選に「住民投票で合併解消」を掲げて立候補したのが最初で、さらに03年の自称さいたま市議選での落選を経て、私が都知事選に立候補したのと同じ07年、ついに初当選を果たしている。現在、当選4回(その間に1度、2013年にまた自称さいたま市長選に立候補して落選している)。
 改めて云うまでもなく私はそもそも民主主義・議会主義それ自体に反対しているファシストである。が、こういう議員になら是非ともたくさん誕生してほしいし、実は将来的に我が九州ファシスト党が議会進出する際にも、ファシスト党議員たちにはこの吉田氏のような方向での活動をさせるつもりでいたりする。革命政党にとって議会なんぞパフォーマンスによる宣伝の場にすぎず、政権獲得は議会進出以外の方法で追求されなければならない。そういう意味でも、吉田氏は見事なモデルである。
 ちなみに吉田氏はどうやら、かの有名な(?)“法大黒ヘル”の出身者でもあるらしく、06年以来の法大当局による学生運動弾圧に抗議する「統一OB会」に参加していた時期もある、とつい先日、元・法大黒ヘル指導者の中川文人氏から聞かされたところである。