第六回・外山恒一賞 受賞者発表 | 我々少数派

第六回・外山恒一賞 受賞者発表

 ※検索サイト等からいきなりこのブログにアクセスした方へ。ここには「我々団」もしくは「外山恒一」に関する詳しい情報はありません。公式サイトへ移動してください。
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   外山恒一賞

 主に反体制的な右翼運動、左翼運動、前衛芸術運動などの諸分野から、「いま最も注目すべき活動家(もしくはグループ)」を、外山恒一が独断で選んで一方的に授与する。辞退はできない。

 外山恒一のファシストとしての再臨(2004年5月5日・ファシズムへの獄中転向を経て福岡刑務所を満期出所)を記念して、2011年より毎年5月5日に受賞者の発表をおこなう。

 授賞は、外山恒一が受賞者の活動に「全面的に賛同している」ことを意味するものではなく、あくまで「いま最も注目している」ことを意味するものである。多くの場合、授賞は好意的評価の表明であるが、時にはイヤガラセである場合もありうる。

 外山恒一が創設した革命党「我々団」の公然党員は授与の対象とならない。

 賞状・賞金・賞品はない。「外山恒一と我々団」や「我々少数派」などの外山恒一関連サイトで授賞が発表されるだけで、受賞者への通知もないが、受賞を知った受賞者は「外山賞活動家」であることを周囲に吹聴してまわって存分に自慢することが許される。外山賞受賞は活動家として最高の栄誉であり、いくら自慢しても自慢しすぎるということはない。


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 昨夏「シールズ」が国会周辺を埋め尽くしていた頃、「来年の外山賞はシールズで決まりだ」などとツイートしてるスットコドッコイを何人か見かけたが、そんなわけないだろう。リベラルな運動が盛り上がるのは停滞期の特徴であって、そりゃ原発も再稼動されてしまうはずだ。
 “若者のラジカルな社会運動の高揚は10年周期”、“xx年代後半が高揚期”という“戦後70年”ずっと続いてきた法則がこの2010年代にはついに当てはまらなくなってしまうのか、それとも単に私が何か重要な動きを見落としているのか、とにかく2010年代も半ばを過ぎたというのに何もそれらしい前兆がない。
 もっとも、私が一番よく知っている80年代の運動の推移を振り返っても、82、3年に「反核運動」などという愚劣この下ない空疎な運動の“高揚”があり、しかしこれに感化された年少部分から生じて85年頃に最盛期を迎えた保坂展人の反管理教育運動や辻元清美のピースボートが、さらに年少部分が担うことになる80年代末のラジカリズムの揺りかごの役割を果たしたのだから、3・11以来の反原発運動の空疎な“高揚”に感化された年少部分による2015年の「シールズ」は、これに飽き足らず今年か来年あたり暴走し始めるさらに年少のラジカル派をすでに内部に抱え込んでいるのかもしれない。
 その意味では私はシールズ界隈の今後の展開に注目しているし、サカシラにシールズを批判し、言葉の上ではそりゃあごもっともなことを云ってみせちゃいても、かといってシールズとは違う社会運動を別個に立ち上げる意思もないシニシスト学生どもよりも、とりあえずシールズに参加して運動現場であれこれ試行錯誤しているような学生の方を圧倒的に支持する。
 が、情報収集に怠惰なせいかもしれないが、とりあえず今のところ私の視野にはシールズ界隈にまだラジカリズムの萌芽でありえそうな動きは捉えられていないし、この1年、いや「レイシストをしばき隊」に外山賞を授与した2013年以来、見るべき社会運動など1つも新登場してきていない気がする。
 来年にこそ期待、ということで今年の外山賞はお茶を濁すことにする。

 まず昨年同様、惜しくも(?)受賞を逃した方々の紹介から。
 ちなみに昨年この枠に入った“ノイホイさん”こと菅野完氏の“「日本会議」に関する研究”は、つい先日『日本会議の研究』として単行本化され(扶桑社新書・4月末刊)、目下まさにものすごい売れ行きのようである。世間一般にそこまで評価されるほど偉大な業績をあげても、なお外山賞はなかなか受賞できない超ハードルの高い賞なのだということがよく分かるはずだ。
 やはり昨年のノミネート枠、“官邸ドローン事件”の反原発活動家・山本泰雄氏には今年2月16日、「懲役2年・執行猶予4年」という反革命・国家権力側からの“評価”が発表された。この事件、反原発派の間ではほとんど忘れ去られており、山本氏への支援の動きもおそらくほとんどないままに裁判は推移し、そんなことだから反原発派は勝てないのだと身をもって教えてくれたという意味でも山本氏、実に偉大な活動家である。おそらくこの一審判決の瞬間まで山本氏は拘束されたままだっただろうし(あんな微罪で10ヶ月もの拘束である。日本に言論・表現の自由があると思ってる奴は北朝鮮でもイスラム国でも楽しく暮らしていける)、この判決は確定したのか、それともこれから控訴審が始まるのか、こんな重要な情報に関して不思議なことにネットで検索しても何も出てこないのだが、少なくとも我々ファシストは山本氏の偉大な闘いを決して忘れはしない。
 そんなわけで以下、順次お茶を濁そう。

 ノミネート1 『メインストリーム』編集部

 2011年に創刊され、2012年に第2号および別冊が刊行された“芸術弾圧誌”の、ほぼ4年ぶりとなる第3号が今年4月に出た。一見ただの芸術批評誌だが、当人たちは“芸術誌状の芸術弾圧機構”を称している。
 今号は内容的には彼らのこの約4年間の“活動報告”で、その多くは、昨今ことに猖獗を極めるいわゆる“地域アート”、行政とタイアップしたポンコツ芸術家どもが「芸術のあふれる街づくりを!」とか「アートの力を地域活性化に活かそう!」などといった寝言を云いながら全国各地で開催している数多の税金の無駄遣いイベントへの、批判的介入(未遂を含む)の記録である。
 どれもひどく面白い。個人的には、福岡でこのテのイベントへの参加アート団体が公募された時に、彼らの本音を満載した「ダダイスト・インターナショナル」名義の応募書類と、“アートの力で人々を笑顔にしたい”みたいな寝言を書きつらねたキラキラ・ネーム的な名称のダミー団体(「アート集団ソレイユ」とか何とか)名義のそれとを送付し、案の定、ダミー団体の方だけ公募に通ってしまう顛末のレポートがオカしかった。同様にレポートが掲載されている、昨今の“アート”シーンへの悪意に満ちた抱腹絶倒のイタズラ・イヤガラセ的な実践の数々は、どれ1つとってもそれだけで充分に外山賞の栄誉に値する水準に達していると云ってよい。
 が、改めて説明するまでもなく(?)この「『メインストリーム』編集部」の“中の人”は私が主宰する革命結社「九州ファシスト党〈我々団〉」の山本桜子と東野大地の2人である。外山賞は“身内には授与しない”建前なので、泣く泣く授賞を見送る。まあ、わが党がいかに優秀な党員を抱えているか、ということである。
 同誌の入手方法は下記に。
 http://kollaps-nicht-viel-zeit.blogspot.jp/


 ノミネート2 素人の乱「アジア反戦大作戦」

 松本哉がまたオカしなことをやらかした。3・11直後の反原発運動で中心的な役割を一瞬(半年間ぐらい?)担って以来、「素人の乱」あるいは「松本哉」の動向がとんと伝えられなくなったように思うが、もちろんあれ以降もアノ松本哉がずっとおとなしくしていたわけがない。どうも諸外国とくに近隣アジア諸国のヘンテコな連中(政治的であったりなかったり)とのネットワークの構築に忙しく動き回っているらしいとは、私のところにまで漏れ伝わってはきていた。つい先月、その途中経過報告のようなイベントに足を運んでみると、私なんかが漠然と想像していた以上の成果を着実に上げているようで、改めて松本氏の“天才活動家”ぶりに驚愕した。
 「アジア反戦大作戦」は、それら一連の流れの一環として松本氏らが提起した、日を決めて世界各地で同時多発的に何らかの反戦パフォーマンスをおこなう、という2015年8月末の企画である。ノミネートはそのうちやはり松本氏によって“日本でのパフォーマンス”として敢行された、戦争勢力(?)のものらしき車が武装した反戦派の集団によって白昼堂々襲撃され、鉄パイプなどでボコボコにされる、という内容である。以下がその動画。
 https://www.youtube.com/watch?v=2XYvRQCfDxs
 もちろん“フェイク”である。字幕で説明があるように、事前に「映画の撮影」と称して道路使用許可をとり、どのみち近く廃車にする予定だった知人の車を犠牲に供した、とのことである。役所に提出した道路使用許可申請の書類には、どんな場面の撮影で、具体的にどういうことをするのかなどは一切書かなかったようだ。しかし許可は下りたのだから、それらがどんなにショボいものであっても脇にカメラなど“撮影機材”さえ伴っていれば、仮に仰天した通行人の通報で警官が駆けつけてきたところで「ちゃんと許可をとっています」で何のお咎めもないのである。“問題のシーン”については何の記載もない、どーでもいいような内容の“ラブストーリー”の脚本もわざわざ書いて役所に提出しておいたというバカバカしい細部へのこだわりも素晴らしい。
 この内容的には無意味なパフォーマンスが外山賞に値するのは、「映画の撮影」を口実にするという、路上で“何か”やる際の新戦術をまた1つ編み出し、実際にそれをやってみせたという点である。こういうことの積み重ねが諸運動を前進させていくのであって、松本哉はやはりマジメで立派な活動家なのだ。
 ……が、今さら「素人の乱」「松本哉」に外山賞授与、なんてのはそれこそ“マヌケ”もいいところだろう。そもそも仮に外山賞が昔から存在しているとしたら、松本哉にはその「法政大学の貧乏くささを守る会」の活動を絶賛して98年の時点でとっくに授与しているはずである(同じく、だめ連には95年、矢部史郎には96年、雨宮処凛には00年、劇団どくんごには02年の時点でそれぞれ授与していたはずである)。外山賞はそれぐらい“早い”賞なのだ。


 ノミネート3 YouTube動画「総統閣下が都構想の失敗でお怒りのようです」

 橋下行政をおちょくった動画で、それなりに“ヒット”していたようだから、知っている諸君も多いだろう。アップロード日は2015年5月1日となっており、厳密には今回の外山賞の授与対象期間からは外れるが、私がこの動画の存在を知ったのは昨年の外山賞発表以後のことだし、私が独裁的に選考する以上は私の判断で授賞検討対象とする。
 たかが橋下ごときをヒトラー先輩になぞらえる浅薄なリベラル根性には同じ得ないが、しかしこの動画の完成度はそうしたマイナスを補って余りある。この程度のユーモア・センスを持った者が、この動画の作者以外にももう少しリベラル派の諸君の中にいてくれれば、と無理を承知で思ってしまう。
 https://www.youtube.com/watch?v=BaWRlz5J8Oc
 

 ノミネート4 たむろ荘

 今年3月、群馬県は佐波郡玉村町などという実にマニアックな地域に「たむろ荘」なる新たな“シェアハウス”が誕生した。首謀者は、群馬県立女子大の学生で、「県女を面白おかしくする会」なる謎の団体を主宰し、かつての松本哉の“鍋闘争”をアレンジした、“ちょっと「食器」が大袈裟なだけの単なる昼食”と称しての“流しそうめん”闘争などを同大学構内で展開したりしている、通称“エログロさん”である。このエログロさん、実は昨夏に私が福岡で開催した第3回目の“学生向け教養強化合宿”の参加者の1人であり、また群馬ではやはり同大学構内での公演が定例化している「劇団どくんご」の現地スタッフの1人でもある。
 合宿参加後、年末あたりからクラウドファンディングで出資者を募り、ついに(たぶん大学近くの)ボロボロの一軒家を買い取ってしまった。まだ改修作業を進めつつの試行段階という様子だが、今後きっとさらなる謎の展開をするに違いない、という期待を込めてのノミネートである。
 エログロさんのtwitterアカウントは下記。
 https://twitter.com/blue05410n?lang=ja


 ノミネート5 熊本大学ワタミ粉砕闘争

 昨年10月、いわゆる“ブラック企業”の象徴的存在だと云ってよかろう極悪人、かの“ワタミ”こと渡邉美樹氏が、熊本大学で“起業のススメ”的な講演会をおこなう、との告知が同大学当局によって発表された。
 そんなものをすんなり開催させてしまうようでは熊大の恥、と起ち上がったのが、かつて「熊本大学アナキズム研究会」を立ち上げようとして挫折し、続いて「熊本大学エスペラント研究会」を立ち上げたらあっというまに10数名の部員を獲得し、ついには文化系サークル連合組織のトップにまで上り詰めた、韓国からの留学生(だが日本人と同じ入試を受けて“留学生枠”とかでなくフツーに入学)で、アナキストなので当然“反日で反韓”だという、学生運動シーンのグローバル人材・準君である。
 準君はさっそく講演会場とされた教室と同じ建物のすぐ真下の教室を、講演の同日同時刻に使用する申請を当局に提出して受理させ、「何をすればいいですかね?」と私にも相談を持ちかけてきた。準君はかねてより、現在の熊大で例年おこなわれている“御用学園祭”を打倒し、90年代半ばまでノンセクト系学生活動家らで自主運営されていた当局非公認の「黒髪祭」を復活させることを目論んでいたので、「じゃあ黒髪祭を一瞬“復活”させるようなイベントにすればいいんじゃないの?」と私は提起した。といっても露骨な“学生運動ノリ”のイベントに今の大学生を結集させることは難しいだろうから、準君の指導下にある文化系の諸サークルにそれぞれ好きなことをやってもらう小規模な“合同発表会”みたいな感じで、ただし「テーマは“黒”」ってことにして、例えばロック研とかは「ブラック・バード」(ビートルズ)とか「黒くぬれ」(ローリングストーンズ)とか、そんなのばっかりやる。“ワタミ批判”みたいなことは一切やらずに、ただひたすら“ブラック”を連呼して、当日はその建物の中も周辺も“ブラック”と大書された張り紙だらけにしてしまう、というのはどうだ? などと謀議をめぐらせた。
 が、どうもワタミ側にこうした不穏な動きを察知されたらしく、開催告知からわずか10日ほどで今度は「中止」の告知が出た。ワタミ本人もFacebookで、「あえて言いますが、講演(註.結局、学外の別の会場で開催された)を前に熊本で小さな嫌がらせを受けました」(2015年10月24日付)などと悔しさをにじませている。
 まさに大勝利である。が、実質何もしないまま“流れた”闘争なので、外山賞授与まではちょっと憚られる。
 ちなみにこの準君も、昨夏の“第3回・学生向け教養強化合宿”の参加者の1人である。“外山合宿”の優秀な出身学生たちは、こうしてすでに各地の大学で大活躍を始めているのである。
 残念ながらつい先日、赤紙が届いて準君は徴兵にとられてしまったが、2年後にはまた熊大に復帰するとのことだ。そのとき熊大は、軍事知識まで身につけて戻ってきた学生運動指導者の恐ろしさに、これまで以上に震え上がることになるだろう。



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   第六回外山恒一賞

   たかゆき 2011年以来継続中の“世界一周”旅行ツイート


  授賞理由


 “箸休め”的な授賞である(笑)。
 もともと賞創設の当初から、丸1年何も見るべき動きがなかった場合は、“受賞者なし”とせずこの「たかゆき」氏(平仮名表記は読みにくいので以下カギカッコをつける)に授賞して1回分やり過ごそうと決めていた。幸い昨年まではどうにか「これは!」という人・団体・活動があり、意外といけるもんだと油断していたら、今年ついに恐れていた「何もないじゃん!」の事態がやってきた、というわけだ。
 「たかゆき」氏は旧い友人である。知り合ったのは97年だからもう20年近く前ということになる。当時の彼は純朴な長渕青年で、大阪からストリートミュージシャンとして彼自身にとって初めての旅で福岡は中洲へとやって来た。私が歌っていたところからちょっと離れた場所で歌い始めた「たかゆき」氏だが……という話にはすでに彼自身が詳しく回想した文章がある。
 http://takayuki-taira.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_ca48.html
 当時の私は、“職場”で旅の同業者と知り合うと「泊まるとこないならウチに来なよ」と誘うのが常で、この「たかゆき」氏も誘い、話し込んでみると長渕青年にしては予想外に面白く、それから2週間ぐらい連日のように長い時間を共に過ごし、「長渕以外に音楽とか聴いたことない」という「たかゆき」氏に、ここで順番を間違えてはいかん、長渕ファンでも「いい!」と反射的に感じるに違いないマトモな音楽は何だろう、と考えた末にCSN&Yをまず聴かせるところから徐々にロック系王道の教養を“詰め込み教育”し、福岡を経って大阪に戻る頃にはすでに「たかゆき」氏は長渕に対する不敬な冗談を連発する立派な音楽青年へと更生していた。
 「カネ目当てに歌うなんて…」と長渕青年らしい潔癖な価値観を抱いていた「たかゆき」氏だが、私のギターケースに大量の千円札が入っているのを目の当たりにして簡単に信念を揺るがせ、知り合った翌日には自分もギターケースを広げていた。
 長渕に憧れてほとんど宗教的な情熱でもってギターを猛特訓する長渕青年というのは、概してギターはメチャクチャ上手くなるものだ。「たかゆき」氏もそうで、ギターケースを広げるやいなや私なんかよりずっと儲かる。気をよくした彼は大阪へ戻ってからも、大阪の繁華街で“完全お金目当て”のストリートミュージシャン活動を続け、私と同様、案の定それだけで生計を立てるようになった。妙に職人的なこだわりをしかも音楽以外のところにまで持ち始めてしまう性格らしく、そういう側面は例えば彼のこんな文章にも表れている。
 http://takayuki-taira.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_d73d.html
 ちなみに大阪で「たかゆき」氏のストリートミュージシャン稼業の現場を目撃して衝撃を受け、その2度目の福岡への旅に同行し、「弟子です」との紹介で私に引き合わされたのが、今やフォーク界では知る人ぞ知るそれなりの存在となっている良元優作君である。この私-「たかゆき」氏-優作君という“ストリートミュージシャン稼業での師弟関係”は、もちろん“下”へ行くほど、音楽に対する情熱も演奏の腕も格段に上がる。

 とまあ、そんな話はどうでもよろしい。
 とにかくこの「たかゆき」氏、今は日本にいないのである。
 大阪の高級飲み屋街で数年にわたって荒稼ぎをした彼は、充分な資金を手にし、3・11のほんの少し前、2011年の2月に、前々からの念願であった“世界一周旅行”に旅立ってしまった。
 http://takayuki-taira.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/bon-voyage.html
 上の文章の末尾には、「1,2年後日本に帰って来た時に」云々と書いてはいるが、私も「たかゆき」氏がせいぜい1、2年で日本に戻ってくるとは思っていなかった。何事にもこだわりが強く、興味が湧けば片端から見て回って、旅はかなり長いものになるだろうと予想はしていた。
 実際、まずは日本から空路、ブラジルはリオデジャネイロへと飛んだが、それから1年が経過した2012年2月、「たかゆき」氏はまだ広い南米大陸をウロウロし続けていたのである。さらに1年が経過した2013年2月には、「僕は元気です。今はバカ広いメキシコ各地を放浪中」などとツイートしている。想像をはるかに下回るペースである(https://twitter.com/takayukirainbow/status/360609176025706496)。そのキャラクターをよく知っているつもりの私にも、まさか「たかゆき」氏が、出発から5年以上が経過したこの2016年5月現在もまだ日本に戻ってきていないなどとは予想しなかった。
 昨年5月時点でのツイートによれば、それまでの4年間あまりの旅の経路は、「「日本→ブラジル→アルゼンチン→パラグアイ→ボリビア→アルゼンチン(2回目)→ウルグアイ→アルゼンチン(3回目)→チリ→ボリビア(2回目)→ペルー→ブラジル(2回目)→ベネズエラ→コロンビア→エクアドル→→コロンビア(2回目)→パナマ→コスタリカ→ニカラグア→コスタリカ(2回目)→パナマ(2回目)→コスタリカ(3回目)→ニカラグア(2回目)→エルサルバドル→グアテマラ→ホンジュラス→グアテマラ(2回目)→ホンジュラス(2回目)→グアテマラ(3回目)→メキシコ→→グアテマラ(4回目)→ベリーズ→メキシコ(2回目)→グアテマラ(5回目)→コスタリカ(4回目)→ニカラグア(3回目)→エルサルバドル(2回目)→グアテマラ(6回目)→メキシコ(3回目)→キューバ→ジャマイカ→ドミニカ共和国→ハイチ→ドミニカ共和国(2回目)→→セントマーチン(オランダ領&フランス領)→メキシコ(4回目)→カナダ→アメリカ合衆国→カナダ(2回目)→アメリカ合衆国(2回目)→カナダ(3回目)→アメリカ合衆国(3回目)→カナダ(4回目)→フランス→スペイン→フランス(2回目)→モロッコ→スペイン(2回目)→ポルトガル→→スペイン(3回目)→モロッコ(2回目)」とのことである。もちろん現在ではそれからさらに1年が経過しているのだが、twitterによれば今なお「たかゆき」氏は南欧もしくは北アフリカのあたりをウロウロしているのではないかと思われる。
 授賞は、出発を目前に開始され、今も続いている「たかゆき」氏のtwitterでの旅のレポートに対してである。

 「たかゆき」氏、とにかく妙な人なのだ。“こういう人です”と説明しづらい。ギターはメチャクチャ上手いが、だからどうだというほどではないし、長渕教団から脱会した後はあれよという間にものすごくアンテナのいい王道サブカル趣味人と化したのだが、優れた消費者であるという以上ではないし、先に一部紹介したブログの文章を読めば何とも絶妙なユーモアセンスの持ち主であることも誰にも分かろうが、それは“文才”とかとはまた違うものだったりして、要するに多方面にそれなりの才能を示す多芸多才でかつ超センス・エリートで、何でもそれなりにこなすが特に「これ!」というジャンルがない人なのである。
 だから「たかゆき」氏のtwitter上での“世界一周記”が今回の外山賞受賞作品ということにはなるのだが、その文章がいいとか何とかいうのでもなく、しかもツイート量は膨大でたびたびどーでもいい脱線もあるので今から全部を読むのもおそらくかなり大変で、ずっと読んでいるとこのアカウントの魅力は明らかなのに、ちょっと覗いてみてそれがパッと分かるとも思えない。まあ興味のある人はヒマな時にコツコツ読むといいとは思うけれども……。
 たまに「たかゆき」氏のツイートが話題になることもあって、一番最近では昨年9月、シリアからの難民がヨーロッパにどっと押し寄せて社会問題化していた頃、ちょうどハンガリーにいた「たかゆき」氏からの“現場レポート”がそうなっていた。
 https://twitter.com/takayukirainbow/status/646876486872526850
 個人的には2013年8月の、中南米の“危険な”国々についての3日間にわたる濃密なツイートによく表れた「たかゆき」氏の極めて正常な感覚に感動した。
 http://twilog.org/takayukirainbow/date-130816/allasc
 http://twilog.org/takayukirainbow/date-130817/allasc
 http://twilog.org/takayukirainbow/date-130818/allasc
 時折唐突に報告される、何か思いついた特定のテーマでのプチ企画にも面白いものが多い。例えば比較的最近の、戦国時代に伊達政宗が派遣した船に乗っていた日本人たちの子孫で、苗字がそのまんま「ハポン(日本)」というスペイン人たちを訪ねて回る話。
 http://twilog.org/takayukirainbow/date-160227/allasc
 旅のもはや初期ということになるが、見た人は幸せになれるというぐらい滅多に見られない超珍しい“幻の鳥”ケツァールを探し求めて山中へ分け入り、すぐ見つけてしまう話。
 http://twilog.org/takayukirainbow/date-111107/asc
 先に「たかゆき」氏には特に「これ!」といった表現ジャンル・手段がないと書いたが、あるいは「写真」がそれだとは云えるかもしれない。こんな膨大なツイート量のアカウント、“ざっと”読むのも大変だよ、という場合にはとりあえずアップされた写真の数々だけでも眺めていくといいかもしれない。
 私はビジュアル面のセンスに決定的に欠けていて、絵とか写真の良し悪しを云々することはできないのだが、たぶんかなりの才能なんじゃないの? という気はしている。
 https://twitter.com/takayukirainbow/status/582187411121242112
 https://twitter.com/takayukirainbow/status/582200143941885952
 https://twitter.com/takayukirainbow/status/590324316056768512
 https://twitter.com/takayukirainbow/status/630943326460583936
 https://twitter.com/takayukirainbow/status/632676422310567936
 https://twitter.com/takayukirainbow/status/637825569187590144
 https://twitter.com/takayukirainbow/status/705945674412658689
 凝り性の「たかゆき」氏だから、ヘンな写真も時々アップされる。
 https://twitter.com/takayukirainbow/status/381317359559921664
 https://twitter.com/takayukirainbow/status/398377036915277825
 https://twitter.com/takayukirainbow/status/582212450923184129
 たまーにアップされる動画も脱力的で良い。
 https://www.youtube.com/watch?v=G3YekZUBvXQ
 https://www.youtube.com/watch?v=FwOGyIPMVcU
 https://www.youtube.com/watch?v=Tlmo8CnCYoc
 https://www.youtube.com/watch?v=r3RAmBUA97c

 というわけで長々と書いてきた。
 長年の友人に“授賞”なんつうあるイミ“上から目線”なことは我ながらどうなんだ、とは思う。
 が、こんなにすごい旅をもうかれこれ5年以上も続け、それをレポートし続けている「たかゆき」氏に、フォロワー千人足らずというのはどう考えても不当だと思うし、彼に注目する人が少しでも増えるきっかけになれば、と本来なら“受賞者なし”となる年が来てしまうことを実は本当は心待ちにもしていた。もちろん「たかゆき」氏は帰国したら意外と“プロ旅行者”だか何だかとしてブレイクしちゃうんじゃない? それをさっすが外山恒一、こんなに早くから注目していたとは……、となるかもという下心もある。何度も云うように、どこがどうというわけでもないので伝えにくいんだが「たかゆき」氏がとにかく“すごい奴”であることは間違いないと思っており、単に「オレこんなスゲェ奴と友達なんだぜ」と自慢したいだけ、というのもある。

 「たかゆき」氏のtwitterアカウントは、
 https://twitter.com/takayukirainbow
 膨大なツイート量なのでtwilogの方が読みやすいかもしれない。
 http://twilog.org/takayukirainbow/allasc