来年の抱負?(含、野間易通氏へのさらなる疑念) | 我々少数派

来年の抱負?(含、野間易通氏へのさらなる疑念)

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 12月20日、「クラック九州」(「レイシストをしばき隊」の後身団体である「クラック」の九州支部)の“最低賃金を上げろ”デモを見物してきた。主張の内容にはもちろん大賛成だが、大きな違和感もあったので、“参加”はせず遠巻きに“見物”するにとどめたのである。
 その後の数日の間に、そのデモにも普通に参加した福岡の親しい活動家数名と何度か話してみて、私が抱いていた違和感の正体がおおよそ分かってきた。
 今回のデモはクラック九州が独自に企画したものではなく、例の野間易通氏が率いる首都圏のクラックの周辺に(またもや?)「エキタス(AEQUITAS)」なる新団体が結成され、まず東京で10月に開催、そして12月には13日に再び東京、20日に福岡と名古屋、23日に札幌、と全国4ヶ所で波状的に敢行されたデモ・シリーズの1つである。主催が「クラック」なのはこのうち福岡だけだが、経緯から云って4つともすべて“クラック系”と見なしてよい。
 当初の違和感は、要するに「テーマを拡げすぎなんじゃないの?」というものだ。「野間易通 徹底批判」でも述べたとおり、当初は“シングルイシュー”にこだわっていたはずの野間氏が、原発問題からヘイトスピーチ問題にシフトし、さらに秘密保護法反対(「サスプル」)とか安保法制反対(「シールズ」)とかの学生たちの運動を積極支援(というより主導?)し、こうした戦線の拡大に疑問を呈する者は野間氏の周辺からどんどんパージされ、あるいは自ら距離を置く者も多く、それは要するに野間氏が〝マルチイシュー〟の共有を周囲に強要し始めたということであり、一体どうしちゃったのかと、「しばき隊」あたりまでは野間氏の活動を好意的に見ていた私も、幻滅してアタマを抱えていたのである。そこへ今度はさらに“最低賃金を上げろ!”なんてことにまで取り組もうというのだ。主張の中身には賛同するけれども……という複雑な気持ちに当然、なる。
 似たような違和感を持ちつつデモには参加した友人たちと話しているうちに、ふと気づいたのである。気づいたというか、思い出した。
 そう云えば野間氏はかなり早い段階で、左翼運動の再建を目指していることを公言していたはずだ。野間氏の真の目的は、原発を止めることでもヘイトスピーチをやめさせることでも秘密保護法や“戦争法”の成立を阻止することでもなく、そりゃ原発にもヘイトスピーチにも秘密保護法にも“戦争法”にも反対ではあるのだろうが、おそらくは当初から、何よりこの日本に左翼運動を再建することだったのである。そう分かってみれば、今回また突然のように“最低賃金”を云々し始めたことにも合点がいく。おそらく今後も野間氏やその周囲の野間エピゴーネンたちは、いかにも左翼が掲げそうなテーマに次々と手を出していくはずである。
 左翼運動の再建、という野間氏のテーマ設定そのものは、私も、賛同はしないが理解はできる。現在の日本では左翼勢力が異常に弱い。もちろんそうなったのも仕方がないような日本独特の歴史的経緯はあるのだが、単に現象だけを見れば、少なくとも先進諸国でそんな国は日本だけである。そもそもちっとも素晴らしくなんかない二大政党制とやらを億歩譲って肯定するとしても、それは保守政党と社民政党とが綱引きを演じるようなものでなくてはならないはずである、“普通の先進国”ならば。来年の参院選に向けてまたぞろ“野党再編”なんてことが云われているようだが、しょせん“第2自民党”みたいな政党が自民党と“対決”する、なんて構図を何度生み直したって無意味であるに決まっている。自民党(あるいは自民党に代わる保守政党)と政権を奪い合うのは、社民的な左翼政党でなければならない。そんな政治構造を作り出すことを目指す運動に私は乗らないが、一般論としてそれは私にも理解はできる。
 しかし野間氏の目論見は絶対にうまく行かないことを私は断言する。理由は2つある。
 1つ目は、野間氏が左翼運動史に関してあまりにも無知なことだ。野間氏は“既成左翼”が大嫌いである。そのことは彼の言動からヒシヒシと伝わってくる。アイツラに期待していてはダメだ、オレが日本の左翼運動を再生させてやる、という気負いもヒシヒシと伝わる。殊勝なことである。つい応援してしまいたくもなる。が、野間氏は“既成左翼”を軽蔑するあまり、その歴史についてもちゃんと知ろうとはしない。それなりに“勉強”はしているつもりだろうし、実際しているのだろうが、そもそもモチベーションの低い“勉強”なので、世間一般に流布している間違いだらけの左翼運動史、あるいはそのイメージをなぞるものでしかなく、野間氏がそれらしいことをたまに云うと必ずトンチンカンである。
 おそらく野間氏は、中核派や革マル派や革労協やナントカ派やカントカ派といった新左翼、要するに“過激派”の連中が無数のろくでもない事件を引き起こしたことが、日本の左翼運動に壊滅的な打撃を与え、現在の状況を生んだと考えている。だから、シールズなどまで含めて野間氏の強い影響圏内にある諸運動では「新左翼排除」の方針が公然と打ち出されている。
 たしかに現象の上っ面だけをなぞれば左翼運動史はそのように見える。新左翼が70年代以降に起こした誇大妄想的なさまざまのテロ事件や、なかんずく新左翼内部での殺し合い=内ゲバの悲惨さによって、世間は左翼運動総体に愛想を尽かした、ように見える。だが、左翼運動史をちゃんと(それほど仔細にではなくとも)勉強すれば、そうした新左翼運動の悲惨も、元凶は日本共産党であることに誰でも気づくはずなのである。共産党が党内に異論の存在を絶対に認めない体質を持っていたから新左翼が誕生した。共産党のそういう体質を新左翼も受け継いでしまったから諸党派が乱立した。内ゲバ体質も、もともと共産党の中にあったもので、具体的な例も枚挙にいとまがないし、結局は共産党のミニチュア版でしかなかった新左翼諸党派の運動展開の過程でそれが戯画的に露呈されただけのことである。そしてそのような歴史について共産党は一切公式に反省していないし、内心反省しているけれども公に云わないだけなのではなくそもそも体質が少しも変わっていないのだということは、3・11を機にそれまで原発推進政党だったくせに指導部が反原発に転じるや末端党員まで一斉に反原発に転じたところからも明らかである。
 新左翼が悪くないとは云わない。新左翼は悪いことをたくさんやった。しかし共産党はそれ以上に悪いのである。というか共産党こそがそもそもの元凶なのである。野間氏らが「新左翼排除」を打ち出すのはいいとしても、共産党と仲良くしているようでは本末転倒である。“野間系”諸運動では、「過去において、殺人を含む暴力事件を多数起こした上に、自己総括や罪の償いが未だないこと」などが新左翼を排除する「理由」とされているが、共産党だって「過去において、殺人を含む暴力事件を多数起こし」ているし、そのことに関して「自己総括や罪の償いが未だない」点もまったく一緒である(「あの時期は指導部がスパイや反革命分子に乗っ取られていた」的な真摯でない“反省”は表明している)。20~30年前の話ならダメだが、50~60年前の話なら不問に付す、というのでは話が通らない(さらに云えば共産党が積極的に武装闘争をやっていたのは戦前から戦後すぐにかけてだが、60年代末から70年代にかけては共産党vs新左翼の「内ゲバ」も盛んにおこなわれた、というよりむしろそれがこの時期の「内ゲバ」のメインで、共産党の側ももちろん武装して新左翼を襲撃することを繰り返したし、71年には沖縄で革マル派の活動家を1名殺害しているほどだ。「意見の違いを暴力で解決しようとした」時期は、共産党だって新左翼と比べてそれほど昔というわけでもないのであり、かつすでに宮本顕治の絶対的指導が確立していた60年代以降の話だから、宮本直系の指導部が続いている現在の共産党はこれらについて一切“真摯でない反省”すら表明していない)。野間氏が、“ろくでもないことばかり繰り返して運動を壊滅させた既成左翼”とは手を切って、本来あるべき左翼運動をゼロから再建するんだと本気で決意しているのなら、自らの運動圏域から新左翼より先にまず共産党を排除しなければならない。
 野間氏の“左翼運動再建”が絶対にうまく行かないことを私が断言できる2つ目の理由は、結局また「憲法9条」とか云い出すからである。自衛隊が(あるいは警察予備隊が)発足した時点で9条はすでに死んでいる。それどころか今や海外派兵だって何度も公然とおこなわれており、9条の存在は軍拡路線(さらには実質的な参戦にすら)への何の歯止めにもなっていない。“解釈改憲”で、やろうと思えば何でもやれる。核武装だってやれるに決まっている(やらないのは9条のせいではなく単にアメリカが許してくれないからである)。もし現在の安倍内閣の“解釈改憲”でもまだやれないことがあるなら、また“解釈”を変えればいいだけのことだ。
 9条は、むしろ左翼に9条依存症を発症させているだけである。「9条ガー」と云い続けているかぎり左翼は世間に相手にされない。そもそも9条なんかなくても反戦運動はいくらでも可能である。野間氏らが羨望しているであろう欧米先進諸国の左翼運動は、9条などという便利すぎて使えない武器は持っていないが、ちゃんと反戦運動をやっている。9条は日本の反戦運動が説得力を持つことをむしろ阻んでいる。9条こそ、それに依存しきりの日本の左翼運動が興隆できない主要な原因の1つですらある。野間氏と違って左翼の復活など望まない私は、したがって9条を断乎擁護するし、左翼が「9条ガー」と云い続けている間は安心していられるし、9条を撤廃せよと叫ぶ保守派や右派は(もし本気でそんなことを云ってるのなら)バカだと思っている。
 野間氏への苦言的声援はこれくらいにして、私はつくづく後悔していることがある。
 3・11を機に反原発運動が(88年以来)再び盛り上がり始めた時、それが結局は左翼が主導するものとして展開・推移すれば今回もまた負けてしまうだろうと私には分かっていた……というのは少し云い過ぎで、あれだけの事故が起きれば左翼がいかに無能でも世論を背景に原発ぐらい止められるだろうと淡い期待は持ってはいたのだが、もしかしたら左翼は無能すぎてこの負けるはずのない闘いに負けてしまうかもしれないという不安もはっきり抱いており、だからこそ私は、“反原発右派”の形成を3・11直後から意識的に追求していた。ところがタイミングの悪いことに3・11はちょうど私が福岡でバーを開店したところに起き、ほぼ丸1年間、ほとんど身動きがとれなかった。福岡でも繰り返し敢行され始めた反原発デモに、「反原発右派」のプラカードを掲げて数回参加するぐらいが関の山だった。その間に、反原発運動は案の定、またもや左翼が主導するものになってしまった。
 例えば3・11の直後は、在特会ですら「原発賛成」の立場を固めてはいなかった。「美しい国土を守れ」でも「シナ・朝鮮の目の前に格好の攻撃目標をズラズラ並べるな」でも、“右傾化した若者たち”を反原発の側に獲得するスローガンはいくらでもありえた。山本太郎だって3・11直後は決して左翼ではなかった。むしろ根っこの部分では右翼的心情の持ち主だったはずだ(だからこそ後に陛下にも直訴したのだ)。もちろん在特会のように品の悪いものではなく、もう少し穏健な右派の反原発運動を3・11直後の早い段階で形成できていれば、山本太郎はそっちを象徴する存在になった可能性が高いと思う。
 個人的にあまりにもタイミングが悪かったので仕方ないのだが、3・11の直後から、もっと本格的に、全力で、“反原発右派”の形成に取り組むべきだった。何事もなかったかのように次々と原発が最稼働し始める現状を目のあたりにすると、悔やんでも悔やみきれない。
 そう云えば野間氏もそもそも右翼っぽい要素が濃厚な人だったのだ。3・11以前、「アナルコ・ナショナリスト」を自称していた時期すらあるらしい(その頃に使用していたネット上のアイコンは、アナキズムを象徴する黒旗とナショナリズムを象徴する日の丸を組み合わせた“黒地の日の丸”、つまり我々「九州ファシスト党」の党旗とまったく同じデザインだったという!)。野間氏も、もし3・11以降の反原発運動に右派勢力がもっと大きな比重で存在していたならば、そっちの主要な顔ぶれの1人となっていたのではないかと思うし、実際、反原発運動の中心が、異端的とはいえ既成左翼の圏域から脱しきれてはいない松本哉の「素人の乱」から、ノンポリの「反原連」に移行した時、私は少し期待したのだ。が、主催が代わろうとその時点ですでに反原発運動の参加者の大部分が左傾してしまっていた、あるいは左翼主導が進行した最初の1年間のうちに左翼に違和感を持つ一般参加者の大部分が脱落してしまっていたのだろう。もしも野間氏が、節を曲げず、“左翼運動の再建”ではなく“アナルコ・ナショナリズム運動の創成”を一貫して目指していれば、やがて共産党と手を組んだり9条を云々するような、したがって最初から破産を約束された空しい試みに踏み出すこともなかっただろう。野間氏がもし「アナルコ・ナショナリズム」の立場から“マルチイシュー”化を推し進め、原発に反対し(どんな立場からであれ原発は容認しえまい)、それこそ“マトモなナショナリズム”の立場からヘイトスピーチに反対し、安保法制にしても「9条ガー」的観点ではなく対米自立を求める観点から「甘い」と反対し、もちろん秘密保護法だのマイナンバー制だのといった国民監視政策に反対し、国民を分断する格差社会化の進行に反対して「最低賃金を上げろ」と主張する、そういう展開になっていれば、私は野間氏にあれこれ苦言を呈するどころか、全面的に、積極的に支持し、おそらく完全に共闘する関係を構築しようとしていただろうに。
 “マトモな(っぽい)左翼運動”が存在する欧米先進諸国の政治状況は、そりゃ日本の現状を思えば私も時に羨ましくなったりしないこともないが、あんなしょせん“穏健右派vs穏健左派”の主導権争いに、本質的には何も期待できない。本当は、少なくとも“マトモな左翼運動”ではなく“マトモな右翼運動”が、再建あるいは創建されなければならない。より正確に云えば、右翼でも左翼でもない、もしくは右翼でも左翼でもあるような、まったく新しい反体制勢力(我々はそれを「ファシズム」と呼んでいるわけだが、要するに「アナルコ・ナショナリズム」と云っても同じである)を形成して、既成右翼や既成左翼からさまざまのイシューを奪い取り、欧米先進諸国のさらに一歩先を目指さなければならない(左翼がほぼ壊滅した日本の現状は、その際むしろ好条件である)。だが野間氏が現在やっている諸々は、新左翼からさまざまのイシューを奪い取って、共産党(新左翼用語で「旧左翼」という)にお返しするお手伝いをしか、せいぜい結果しない。
 もちろん、他人に期待すんな、である。私自身が、やるべきことをやらなければならない。先日の大阪ダブル選への“ニセ選挙運動”方式での介入の終盤でチラッと予告した“真の民主主義を求める運動”も含め、“まるで左翼運動みたいな右翼運動”の具体的形成に踏み出す、というのが私の“来年の抱負”(の1つ)かな?