外山恒一の「学生運動入門」第8回(全15回) | 我々少数派

外山恒一の「学生運動入門」第8回(全15回)

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 学生運動史に関して書き残していたことがいくつかあります。
 まず、五六年に誕生し六八年にピークを迎える新左翼運動は、冷戦構造の中でソ連側に奉仕する陣営の中から誕生しつつも、次第に「反米反ソ」の立場を鮮明にしていったわけですが、これはつまるところ何を意味するのでしょうか。
 二〇世紀の歴史は、その初期の「一次大戦後」の段階で、いったんは資本主義陣営と社会主義陣営とファシズム陣営による三鼎対立の様相を呈しました。それは「普遍的正義」の実現をめぐる三つ巴の闘争であり、「反普遍主義というもう一つの普遍主義」というアクロバットを掲げるファシズムを含め、普遍的正義の候補はこの三つ以外に存在しないはずでした。
 ということは、「反米反ソ」という立場は、その当事者たちが自覚しているか否かに関わらず、やがてはファシズムに収斂していくはずのものではなかったでしょうか。
 一般的には、新左翼運動は、スターリン流に硬直したマルクス・レーニン主義を脱却しアナキズムへと転身してゆく運動であったかに総括されています。一連のポストモダン思想も実質的には現代ふうに再構築されたアナキズム理論であり、その最新版であるネグリ&ハートの「帝国とマルチチュード」三部作も要はアナキズム理論書です。ネグリ&ハート以外にも、近年のポストモダン系アカデミズムの界隈では、海外の最新アナキズム理論の翻訳が盛んです。
 しかし偏見を捨てて歴史を調べれば容易に見てとれることなのですが、ファシズムの創始者ムソリーニはもともと限りなくアナキズムに近いマルクス主義者であり、「戦争を内乱に転化せよ」というレーニンの立場とほとんど同じ観点から一次大戦への参戦を提唱して(そもそも参戦しなければ「戦争を内乱に転化」できませんから!)、反戦派が主流だったイタリア社会党を除名されたムソリーニのもとに結集し、初期ファシスト党を構成したのはモノホンのアナキストと前衛芸術家たちだったのです。
 通説にはなっていませんが、全共闘運動が「プレ・ファシズム運動」であったことを当時最年少にして最左派のアナキズム理論家として活躍した千坂恭二氏が指摘していますし、絓秀実氏も一連の「六八年」論の中で全共闘運動が少なくともファシズムに親和的であり事実いくぶんファシズム運動への傾きを有していたことを認めています。
 しかし全共闘運動がついに最終的にはファシズム運動へと転化しなかったのは、やはり「華青闘告発」事件に負うところが大きいのだと思います。華青闘告発によって、ノンセクト・ラジカルの革命運動は革命の「総体」を志向しない、さまざまの個別課題に散る「マルチチュード路線」への展開を決定的にしました。マルクス・レーニン主義からアナキズムに転じ、さらにはファシズムへと転じたかもしれない「ポスト全共闘」の運動は、その中途でアナキズムにとどまることを選択したとも云えます。しかし、その選択は果たして正しかったのでしょうか。
 今日では、「PC(ポリティカル・コレクトネス)の脅威」が、抑圧的な社会制度の形成に敏感な人たちにとって最重要の課題の一つとなりつつあります。差別的な語彙を公的な場から追放し、「政治的に正しい」云い回しに置き換えてゆくPCとは、要するに耳になじんだ日本語で云うところの「言葉狩り」です。差別的ではあるかもしれないがさまざまのニュアンスに富んだ旧来の云い回しが、誰も傷つけないかもしれないが無味乾燥でフラットなPC用語に置き換えられていくことを、どうにも居心地の悪い、表立って異論を唱えにくいが何か納得できない気分でただ指をくわえて座視しているという人は多いでしょう。しかしこのPCこそはまさに「六八年」を機に世界的に主流化したマイノリティ諸運動の現代的な帰結なのです。
 新左翼運動が展開する過程で、マルクス・レーニン主義のスターリン的解釈がまず疑われ、スターリンによって歪曲される前の「本来のマルクス・レーニン主義」が希求されました。やがてそもそもマルクス主義のレーニン的解釈がスターリン主義を必然化するのではないかとの問題意識が広まり、レーニンによって歪曲される前の「本来のマルクス主義」が求められました。さらに進んでマルクスの思想が盟友エンゲルスによって「マルクス主義」として体系化される過程にスターリン主義を必然化する萌芽があると云われ、いやそもそもマルクス自身の思想の内にすでに「唯一の真理の体系」への志向があり、国家主義や産業主義が内包されていると指摘されて、マルクスの生きた時代にマルクスに対立したバクーニンらアナキストたちの思想の復権が目論まれたのでした。とても「わかりやすい」理路ではあるのですが、アナキズムではなくファシズムに到達する別の理路もよく考えたら実はありうるのです。
 一口に「マルクス・レーニン主義」と云っても、「真理の体系」を体現しているのはマルクス主義であり、レーニン主義はそれを実現するための「唯一の前衛党」の必要を云う運動論にすぎません。であれば、レーニンではなくマルクスを捨てて、べつに「真理の体系」を保持しているわけではない「唯一の前衛党」によるアクロバチックな革命運動の理論が構想しうるのではないでしょうか。前衛党は唯一無二ではあるが、「普遍的真理」とは無縁の党であるから、党を割ることだけは許さない代わりに内部の議論は何でもアリ、革命運動に身を捧げようという決意さえホンモノであれば誰でも「同志」として遇するという、傍目にはおそらく意味不明なハチャメチャな「革命党」のイメージ。しかしこれまた実際のムソリーニのファシスト党は、そういう党だったのです。
 話を戻すと、さまざまの反差別運動を中心とする「六八年」の「マルチチュード」的展開(説明が遅れましたが「マルチチュード」とは日本語で云えば「有象無象」のニュアンスで、簡単にひとくくりにできない多種多様な諸個人・諸団体の諸運動ということです)は「PCの猛威」を結果しただけではありません。
 「真理の体系を教授する場」としての大学の権威も崩壊させられ、重々しい「学問」を提供するのではなくフラットな「知的サービス」を提供する、何ら権威のない単なる「教育産業」としての大学も、「六八年」が意図せず生み出してしまったものです。
 自治会や労働組合のような形で公的に組織された学生や労働者であることを拒否し、何らかの「大きな物語=理念」を共有することで成り立っていたには違いないそれらの組織に従属しない「自立した個」であることを希求した「六八年」の運動ですが、「非正規雇用」が常態化し、「自己責任」で「スキルアップ」の絶え間ない努力が求められる現在の労働のありようは、「手にしたものをよく見てみれば望んだものと全然違う」(ブルーハーツ)ではあるかもしれませんが、そもそもは「六八年」の担い手たちが自ら「望んだ」結果でもあるのです。
 その他にも、「エコ」も「嫌煙権」も「男女共同参画社会」も「ロハス」も「心のケア」も「ナンバーワンではなくオンリーワン」も「みんな違ってみんないい」も、すべて「六八年」に淵源するものです。国家権力と正面衝突して完膚なきまでに粉砕されたかに思われた「六八年」の運動が求めたものが、気がついてみると現代社会の支配的な風潮として「こんなはずじゃなかった」感じで完全に定着している。このことを捉えて私や絓秀実氏は、「全共闘(六八年の運動)は実は勝利している」と云っているのです。
 「反米反ソ」の新左翼運動は、冷戦構造の破壊を目指しました。それは八九年に実現し、新左翼運動はその目的を果たして役割を終えました。冷戦の終焉は、単に社会主義陣営が崩壊したということにとどまらず、資本主義陣営の決定的変質をも伴う形で到来します。ライバル・ソ連の消滅で全世界の覇権を握ることとなったアメリカは、しかしすでに自身がPCに代表される「六八年的な正義」を掲げる国家へと変質させられていたのです。