外山恒一の「学生運動入門」第1回(全15回) | 我々少数派

外山恒一の「学生運動入門」第1回(全15回)

 ※検索サイト等からいきなりこのブログにアクセスした方へ。ここには「我々団」もしくは「外山恒一」に関する詳しい情報はありません。公式サイトへ移動してください。
 現在、外山恒一は「全国ツアー」と称して各地を行脚しています。直接いろんな話を聞きに行きましょう。詳しくはコチラ



   1.

 どうすれば社会を変えられるのでしょうか?
 いろんなことを云う人がいるでしょうが、答えはハッキリしています。
 まずは学生運動が復活しないことには何も始まらないのです。
 学生運動の復活、ということを抜きに社会変革の構想を語る人がいたとすれば(実際、私とあとは文芸批評家の絓秀実氏を除いては、そんな人たちばかりなのですが)、その人は何も分かっていないので、マジメに取り合う必要もありません。

 「学生運動」という言葉は、多少は広い意味にとっていただいて結構です。
 その主体は、若くて、ヒマがあって、かつ一定以上の知性を持つ人たちです。「若い知的なヒマ人たち」、こういう層が社会変革の情熱に燃えて盛んに行動した時にのみ、社会は本当に変わります。
 若くてヒマで知的であれば、べつに「学生」でなくてもいいわけですが、現実問題、それは「層」としては「学生」以外に存在しにくいことは云うまでもありません。歴史的には、例えば日本で云えば「幕末の志士」たちもそういう「若くてヒマで知的」な存在でしたが、現代においてはやはり「学生」ということになるでしょう。
 諸外国でも同様です。近代以前には貴族(日本の武士階級に当たります)のうちの若い不満分子たちが、近代に入ってからは学生が社会変革の主役、少なくとも先駆けになってきたことは、万国共通です。
 六〇年代末(象徴的には六八年)に世界中の学生たちが反乱を起こしました。西側(先進資本主義国)でも東側(共産圏)でも南側(発展途上国)でも、それは爆発的に盛り上がりました。それらは一過性のもので結局は何も変わらなかったかのように、大多数のモノの分かってない人たちは云いますが、ダマされてはいけません。六八年の学生運動は世界を変えました。それは、いわゆる「試合に負けて勝負に勝った」ような勝ち方だったので、試合結果しか目に入らない単純な人たちが負けた負けたと云っているだけです。このことは日本でも同じです。
 六〇年代末の学生運動が実は勝利していた(ちなみにこのことをはっきりと指摘しているのも私と絓秀実氏だけです)というのはどういう意味なのか、それはどうせ後で詳しくお話しすることになるでしょうから、ここではとりあえず措いておきます。

 とにかく、学生運動(若くて知的なヒマな人たちの運動)がまずは復活しないことには、社会変革はその端緒すら拓かれません。
 これを抜きに夢みたいなことを云う人たちというのは、学生運動なんか復活するわけがないと思い込んでいて、であれば社会変革など不可能なのに、そこをなんとか学生運動が復活する以外の道筋で社会変革の構想を描けないものかと、そもそも無理なことを無理矢理に追求しているだけです。そうでないケースはありません。みんな、もっともらしいことを云っているでしょうが、前提が間違っているのですから、展開も結論も必ず間違いです。
 学生運動の復活なしに社会変革など始まらないという単純明快な真実を堂々と主張する人が私(と絓氏)以外にほとんどいないことには、もちろん理由があります。
 第一には、学生運動がほぼ壊滅しているという日本の現状があります。こんな事態は、北朝鮮などの特殊すぎる例外を除いて諸外国では見られないものだし、近代日本においても初めてのことです(暗黒時代のように云われている昭和十年代の日本においてさえ、若い知的な軍人たちによる革命運動などがそれなりの規模で存在したのです)。そんな現状を見て、ほとんどの人が日本にはもう学生運動が復活するようなことはないと諦めきっているのです。
 第二に、その極めて珍しい「学生運動のほぼ完全な消滅」という事態が日本に生じた時期に関する誤解が、社会学や現代史の研究者のような人たちまで含めて、広く共有されてしまっています。日本の学生運動がほぼ消滅したのは実は九〇年代の初頭なのですが、ほとんどの人が、それが七〇年代のうちに消滅したかに誤解しているのです(「七二年の連合赤軍事件を境に学生運動は急速に衰退し」という決まり文句を読んだり聞いたりした人も多いでしょう)。日本に学生運動がほとんど存在しないのは本当はここ二十年ほどのことにすぎないと私は知っていますが、私以外のほとんどの人は、それはもう三十年も四十年もずっとそうなのだと思い込んでいるのです。
 さらに云えば、学生運動がほぼ壊滅した九〇年代以降も、必ずしも学生とは限らない「若い知的なヒマ人たち」が社会変革を目指す運動は、実はそれなりの規模で、現在に至るまで途切れることなくずっと継続されています。そのことを知らない人(要するに私以外のほとんどの人)は、例えば3・11以降、首都圏の反原発運動の中心の一つとなっている「素人の乱」を3・11以降に初めて知って、「どこからこんなスゴイ若者たちが出てきたのだ」と驚きますが、私は本当の歴史を知っているので少しも驚きません(したがって「素人の乱」に驚いて今さら飛びついているような無知蒙昧な「知識人」たちを信用しないことです)。
 まとめると、私は、狭義の「学生運動」が九〇年代に入るあたりまでずっと続いていたことを知っているし、「広義の学生運動」つまり必ずしも学生ではないが「知的でヒマな若者たち」による社会変革の運動がその後もずっと続いていることを知っているので、学生運動が本格的に復活することを当然ありうることとして自然に想定できますが、私以外のほとんどの人たちは、学生運動はもうここ三、四十年ナカッタと思い込んでいるので、ナイことを前提にものを考える癖がついてしまっており、結果として歴史認識も現状分析も将来の見通しもすべて誤るのです。
 私以外に正しいことを云う人がほとんどいないというのは、考えようによっては、みなさんは私の云うことだけをとりあえず聞いていればいいのでラクです(何度も云うように絓秀実氏も正しいことを云っていますが、絓氏の文章はほとんどの人にとっておそらく難解すぎます)。