御冥福を…… | パパは過労死寸前〜素朴のグルメ〜

パパは過労死寸前〜素朴のグルメ〜

娘2人に囲まれながら、2015年より小規模な会社を立ち上げて、日々、家事&仕事でフル回転中の男一匹34歳。糖質オフ本を制作したことにより半年で10キロ減に成功。毎日が締め切り的な業務で週に2日は帰れない……。そんな多忙パパの食日記&適当な徒然育児日記。

朝飯→スクランブルベーコン、ウインナー
昼飯→小田急相模原の居酒屋にて
夜飯→ツナちくキューキャベサラダ、生姜焼き、シチュー
飲物→炭酸水、瓶ビール、黒ホッピー、淡麗350ml、ボウモア(炭酸割り)



























どん。
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急遽、会社関係の方の葬儀に出席することになったので、昼飯を仕込んで行かなければならず、子どもらに贈ったランチセット。

猫飯、魚&肉球ハム、こまさん&ドラえもんかまぼこ、ハムきゅうりミギー、そしてチキンナゲット。

ちょいと物足りないないかなとも思ったが、ブタメンも置いてきたのでなんとかなるかなと。

















ハムきゅうりミギーがわかりづらい。





食べるーーー。




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ウインナーとスクランブルベーコン。

冷蔵庫の中身次第で、瞬時に何を作ればいいかの判断が徐々のできるようになってきた。



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葬儀のあと、葬儀場最寄り駅の居酒屋にて。

ビッグチキンカツ。

昼からの開催にもかかわらず、お清め食事的なものが省略されるという驚きの展開だったため、何度も酒を飲んだことがある故人を偲んで昼間から一杯呑らせて頂いた。



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焼き鳥もー。

このまま箱根まで行って温泉にでも入りたい気分になった。



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そして、なぜだか一緒に行った仕事関係の仲間が鰻重を食いたいと言い出す展開。

しかも国産と中国産との値段の開きがハンパねー。

輩が、国産でいいですかと言い出したので、問答無用で中国産に留まらせておいた。



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昨日のシチューとサラダに生姜焼き。

レシピ本見ながらはじめての生姜焼きに挑戦。

意外とうまくできたようで、子どもたちからも「ハナマル」を頂くことができた。

というか、シチューが大人気過ぎて、10杯分くらいあったのに、2回目の食事ですべてが消え去った。

拍手!

















いやっほーい。

いや、葬儀に出席したにもかかわらず、いやっほーいというテンションでその後を続けていいのかはわからぬが、とりあえず色々とヤキモキさせられた葬儀だった。

そもそも通夜と葬儀が一緒な上に、さまざまなものが簡略化されている。

いや、もはやそういうことについては、現代は多様な葬儀方法があるので、何が正しいとかはまったくないのであろうけれども、こんなにヤッツケ感漂う葬儀は正直はじめてだったので、少々というか、結構面食らってしまったのである。

故人を偲ぶ言葉なのに、誰が書いた原稿なのか、故人の人生とは相容れぬ、よくわからないプロフィールを述べる代表者、香典をあげる流れになったのに、最後の参列者が香典をあげ終わる前に次の流れへと移ってしまい、結局何人かの方が香典をあげることができないというカオス展開、お花を会社名で出していたのにまったく別の会社名でお花が飾られていたという衝撃、どんな角度からこの葬儀を検証してみようとも、明らかに親族というか、残された者たちの故人に対する思いが希薄すぎるのがビンビンと伝わってきてしまい、悲しみというよりも同情という気持ちしかわいて来なかった。





彼とは、年齢的にも20くらい離れているが、2年前まで同じ職場内で一緒に働いており、ほぼ毎日のように顔を合わせ、さまざまな仕事をこなしていた。

私がこの業界に入った時に、ちょうど私と同じ年のフィリピン女性と結婚した。

そのフィリピン女性は、とあるラーメン屋のオーナー女性の養子になっていたようで、結婚の条件はそのオーナー女性の戸籍に入ることだった。

自分の姓を捨て、婿養子として入籍した彼。

しかし、相手の女性は、オーナー女性のラーメン屋で毎日フル回転で働かせられ、彼自身も編集者という立場上、帰宅できる日が少なかっために、ほとんど一緒に過ごすことはできなかったようだ。

そして、私が今年まで所属していた会社をクビになると、直後、国が難病指定するほどの呼吸器系の重病を患ってしまい、国からの補填で入退院を繰り返していたという。

奥さんがどれくらい見舞いに来ていたのかはわからないが、ほぼ放置だったというウワサだけは耳に入ってきた。

むしろ葬儀すらしないのではないか、と、いうような予測すら飛び交うほどだった。

けれども、本日の葬儀は無事に執り行なわれた。

おそらくスピーチ原稿はフィリピン女性の奥さんから話を聞くことで書き上げたものなのだろう。

だが、それはまったく彼という人物を知らないどころか、彼と共に人生を過ごしてきたとは思えぬほど、客観的で他人感が丸出しなスピーチだったのだ。

少しでも彼を知ってる人ならば、こんなスピーチは信じられないだろう。

彼が人に自分を語らないタイプだったから、奥さんもまったく何も知らなかったというのか?

いや、いくらなんでも、愛し合って(まずここに疑問も残るが)結婚した2人であるならば、もう少しまともな、いやまともというか、正確な情報がスピーチされていてもおかしくはないはずだ。

そんな違和感だらけの葬儀だったのだが、それでも奥さんおよび奥さんを養子として迎えたラーメン屋のママさんは、ことあるごとに涙を流していた。

その涙が本物なのか、涙の理由は何なのか、そこについては詮索する気も、疑う気もないのは当然だが、でもだからといって、何だかどこか納得いかないような、どこかしっくりとこない、複雑かつ奇妙な感情が沸き起こってきているのは事実である。。。












これ以上はもう何も言うまい。

だが、ひとつだけ突っ込んでおきたい真実として、最近、周囲で40代、50代の死が立て続けに起こっていることへの言いしれぬ恐怖感である。

ついこないだまで元気にしてた人が……なんて例は、おそらく相当あるのだろう。

だからこそ、みなさん健康には……なんてことを言うつもりはないが、少なくとも自分自身だけでもできることから改善していかなければという気にはさせられる。

長大な地球の歴史に比べれば、我々の人生なんぞ、10年長く生きようが10年早く死のうがたいしたことのない時間感覚なのかもしれないが、それでも圧倒的に短い有限の時だからこそ、、、















壮大か!


いや、なんというか、むしろどうシメてよいのかがわからなくなってしまったので、このへんで切り上げないといつまでもグダグダ言いそうな感じがあったため、無理やりぶった斬ることにして、キュキュっと結ばせていただければと思う。









兎にも角にも、この業界に入ってから何かとお世話をしていただき、ご教授いただき、本当にありがとうございました。

御冥福をお祈りいたします。