昼飯→もり蕎麦、ミニカレー、紅生姜天
夜飯→魚のフライ、唐揚げ、冷しゃぶサラダ、キャベツの千切り、味噌汁、白米、大豆
飲物→野菜ジュース、水、むぎ茶
仕事→某アイドル雑誌の編集、某アダルト雑誌の編集
どん。
主演のケイト・ブランシェットがアカデミー賞を受賞したことで話題となっている「ブルージャスミン」。
何度かこの場で申し上げているが、私が最も好きな映画監督ウディ・アレンの最新作である。
ウディは毎年1本の映画をコンスタントに世に送り出すことでも知られており、私にとって彼の映画を劇場で観ることは、1年に1度の自分のためのご褒美でもあるのだ。
午前中に休日出勤をし、いくつかの仕事をこなした後、夕方の回を観に銀座へ……。
久々に幸福な時間を堪能させて頂いた。
せっかくなので、ご飯のあとに、ちょーっとだけ感想を述べてみたいと思う。
ママちゃんにも、「あれ、いったい何なの?」とクールに突っ込まれてしまった。
退院後、久々の蕎麦。
陽気も暑いくらいだったので、冷たい蕎麦が胃に沁みた。
紅生姜天が美味。
本日の我が家は子ども天国だったらしく、遊びに来ていたお子さんのママが、「夕ご飯作る時間もないだろうから」と、唐揚げや魚のフライを差し入れしてくれたそうだ。
おかげさまでお腹いっぱい頂いた。
はい。
そんな流れで、再び銀幕の世界へと舞い戻ってみよう。
あらすじ的な話をすると、ニューヨークでセレブ生活を送っていたヒロイン・ジャスミンが、とある事情で夫も財産も失い、サンフランシスコに住む義妹を頼りに空港に降り立つシーンから始まる。
義妹は、ジャスミンのかつての優雅な生活とはかけ離れた人生を生きており、ジャスミンにとってみれば、蔑みの対象でしかなかったのだが、結局は自分もその立場まで転落してしまったわけで……。
そして、そこから彼女の再生の物語が展開されつつ、彼女の身に起こった過去が明かされていくのだが、あまりにも元の生活とのギャップが激しいこともあり、心の闇に犯されて少しずつ精神を病んでいってしまうのだ。
そんな中、似たような境遇の将来有望な男性と出会い、再びセレブの仲間入りをしようと、男性にウソをついてまでしてアプローチ。
果たしてジャスミンは再び華やかな社交界に返り咲くことができるのか‼︎⁈
と、いった内容である。
セレブ女子の転落物語だけに、「人の不幸は蜜の味」的な感覚なのか、「ざまぁみろ感を抱くだろう」といった論評が目立っているのだが、私は正直、そうは思わなかった。
虚栄心の塊のようなヒロインなのだが、そこはウディが描く女性……どんなに高飛車で傲慢であったとしても、堕ちてしまった自分の人生をやり直そうと必死でもがく姿は、時に健気で可愛らしく、いつの間にか応援してあげたい気持ちの方が強くなってくるから不思議なのだ。
コメディが得意とされるウディだが、実は彼の真骨頂はシリアスな映画にあったりする。
しかし、だからといって、ただただ悲しいだけの悲劇ではなく、喜劇の中にある悲劇、言い換えれば悲劇の中にある喜劇とも言えるような、複雑で繊細な、だけれども実は至って単純な、言っていて私自身がだんだんよくわからなくなってきたが、そんな表裏一体的な映画が最も得意だったりするわけだ。
ブルージャスミンはまさにそれを地でいく作品で、観る者によっては悲劇にも喜劇にもなるだろう。
だからこそ、劇場内での観客の笑いという反応が、各人で異なってのは事実だし、ラストシーンに何を感じたかは、相当に十人十色だと思われる。
そして、そんな喜劇と悲劇の狭間を行ったり来たりしている名人芸とも呼べる脚本に、確かな狂気を吹き込んだのは、主演のケイト•ブランシェットの力量の為せる技だったのは間違いない。
彼女の鬼気迫る演技が、さらなる悲喜劇の曖昧さに拍車を駆けている気がする。
いや、多くの人にとって、本作は悲劇なのだと思う。
ただ、ウディ映画をこよなく愛する私からすると、ラストシーンはただの突き放しただけの悲劇ではなく、どん底まで落としに落としたヒロインが、ここから再生していくことを観る者に想起させるような、そんな意図があったのではないかと深読みしている次第である。
人の持つ滑稽さや愚かさを愛しているウディだからこそ、その後のジャスミンについては語る必要もなく、どういった形になるにせよ、今の彼女にとっての等身大の幸せを発見できるのではないだろうか。
亡き夫とのはじめての出会いに流れていたという、ジャズのスタンダードナンバー「ブルームーン」。
彼女の栄光ともいうべきその曲が、物語の幕を引く。
それは、過去に囚われ、いつまでもその呪縛から解放されないジャスミンを象徴しているのかもしれないが、そこに微かな希望を感じ取れた気がしたのは、私の感覚がズレているからなのだろうか。
ブルームーンには、あまりポジティブではない意味が込められていたりする。
「once in a blue moon」とは、「極めて稀なこと」、「決してあり得ないこと」といった意味で使われる慣用句であり、カクテルのブルームーンには、「叶わぬ恋」「出来ない相談」といった消極的な意味があり、さらに古来より欧米では青い月は不吉なことの前兆と見る傾向にあった。
だが、最近では「ブルームーンを見ると幸せになれる」といった別解釈というか、誰かがうそぶいた迷信的なものであるのだろうが、そういった新たな伝説が誕生したりもしている。
だからこそ、物語のラストに流れたブルームーンにも、ほんのちょっぴりだけかもしれないが、ウディが「幸せ」の魔法を込めているのではないかと、都合の良いように考察してみているわけなのだ。
ジャスミンの花言葉は、「愛らしさ」、「可憐」、「素直」、「優美」、「優雅」、「官能的」などなど。
もはや「優雅」さを取り戻すことは不可能かもしれないが、彼女自身がどん底から這い上がる意思を再び持てた時、その時はきっと、ジャスミンは今までとはまったく異なる「可憐」な花を、咲かせることができるのではないかと思ってしまう。
どん。
すでにもう一回観に行きたい衝動に駆られてます。