以前にも話したが、長女は異常なほど"月"に対して、深い興味を示している。
とある満月に近いお月様が出てる日のこと。
クッキリと夜空に浮かぶ月を、長女はウットリと眺めていた。
しかし、ふと薄い雲が流れてきて、満月が隠れてしまった。
「あっ、お月様が隠れちゃった」
長女は少し悲しそうに呟いた。
ロマンチック少女全開な長女に対して、妻がさりげなく問いかけてみる。
「○っちは、お月様に行ったことあるの?」
すると、長女は条件反射的に即答。
「あるよ……」
その後、逆に長女がさも当たり前かのように妻に問いかける。
「ママはないの?」
妻は正直にないと答え、長女にお月様はどんなところなのかを尋ねてみた。
「ぞうさんと、うさぎさんと、しかさん……動物さんがいっぱいいたの。あとは○っちだけいた」
もう、この時点で相当スピリチュアルだ。
しかし、聞く人によっては、幼い子どもの空想の世界だと感じるかもしれない。
月にはウサギがいる……そんな迷信すら知らない3歳児から得られた月の情報は、穿った見方をせずとも、ほぼあり得ない話だと解釈するのが当然だろう。
続けて妻は問いかけた。
「ソコにはいつ行ったの?」
ここからは、常識にとらわれ過ぎた大人では想像もできない言葉が飛び出してくる。
「パパが信号機渡ったとき……」
えっ⁉
「そのとき、○っちはピョーンって飛んでったの」
えぇっ!?
「あっ、○○(次女のこと)がまだ生まれる前だよ」
もはや言葉もない。
次女が生まれる前、パパが信号を渡ったときに、長女はソコから月へと飛んで行った。
パパが信号渡ったときというのが、ちょっと怖い感じもするが、とにかくひとつひとつの答えに色々な解釈が出てきそうだ。
うん、めちゃくちゃスピリチュアル。
って、コレが感性なのか?
いや、むしろ、感性で片付けられるほど、コトは簡単な話ではないと思う。
多くの芸術家たちが、感性ではなく、スピリチュアル的なメッセージとして、作品を残してきたように、長女の発言もまたスピリチュアル的な要素がふんだんに散りばめられているのではないだろうか?
やはり、月とは何かしらの繋がりがあって、切っても切り離せない関係にあるのではないか?
そう感じてしまうほど、彼女の月への想い入れはハンパない。
晴れの日、お月様が見えてくると安心する。
逆に曇の日は、お月様が隠れていることに、こちらが驚くほどの不安感を露わにする。
けれども逆に、太陽にはまったくといっていいほど、興味を示さないのだ。
現状、特に長女と月の関係について、明確な答えは出ていないが、もしもコレを読んだ方のなかに、似たような経験があるとか、子どもと月についての何かを知っている方がいましたら、是非ともお話を聞かせていただきたいです。
奇しくも8月31日はブルームーン。
いやぁ、コレは何かあるとしか思えませんな。
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