残念 大阪万博@大坂城再建で使われなかった「残念石」、400年経て大阪・関西万博でトイレの柱に | 堺 だいすき ブログ(blog)

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大坂城再建で使われなかった「残念石」、400年経て大阪・関西万博でトイレの柱に


2024/01/19 15:302025大阪・関西万博スクラップ 


江戸幕府が大坂城を再建する際の石垣用に切り出されながら、使われなかった「残念石」と呼ばれる巨石が、2025年大阪・関西万博の会場のトイレの柱として活用されることになった。


関西の若手建築家3人が企画し、石を管理する京都府木津川市の協力を取り付けた。


3人は万博のテーマ「いのち輝く未来社会のデザイン」にちなみ、「石に『いのち』を吹き込みたい」と意気込んでいる。(大槻浩之)


「『人生の宝物になる万博』目指そう」…協会事務総長が年頭あいさつ万博会場のトイレの柱として活用される「残念石」。


この中から少なくとも4個を使う(昨年7月、京都府木津川市で)=竹村さん提供 計画を進めるのは、滋賀や奈良で建築設計事務所を営む小林広美さん(31)、大野宏さん(31)、竹村優里佳さん(32)の3人だ。


小林さんと大野さんは滋賀県立大、竹村さんは立命館大で建築を学び、作品のコンペに一緒に参加した縁で知り合った。


[PR]残念石を活用したトイレの模型を持って意気込みを語る小林さん(左)と竹村さん(大阪市浪速区で) 42歳以下の若手建築家を対象に、万博会場の休憩所やトイレなど小規模施設20か所の設計委託者を選ぶ日本国際博覧会協会の公募に応募し、22年8月、協会から会場南西のトイレの設計を委託された。


建設費は約6300万円。 3人は、材料を調べていた時に近畿や中四国に点在する残念石のことを知った。


小林さんは「歴史のある石で、素材として面白いと感じた」と話す。協力してくれる自治体を探したところ、木津川市の了承を得た。




 残念石を活用したトイレのイメージ=竹村さん提供 活用するのは、同市の木津川支流・赤田川の河原にある4個の 花崗かこう 岩(長辺2・8~3・2メートル、重さ7・5~13トン)。


石を割るために開けられた「矢穴」がくっきりと残る。 木津川流域には、これらを含め約500個の残念石があるとされる。周辺を統治していた武将の藤堂高虎が1620年以降に近くの山から切り出したものの一部で、舟で運ばれず予備用に留め置かれたとされる。 


トイレの延べ床面積は約50平方メートル。形を読み取るデジタル技術を駆使して屋根と石とを接合する部材をつくり、石本体を加工せずに屋根を水平に載せる。座って休めるスペースも設ける。


 郷土学習で地元の小学生に残念石の歴史を伝える木津川市のNPO法人「ふるさと案内・かも」副会長の田中勝男さん(79)は「石の形がそろうように割る当時の職人の技術力の高さが感じられる。万博で多くの人に見てもらえれば、石も本望ではないか」と期待する。 


石の運び出しは6月を予定している。石の数を増やすことも検討しており、昨年12月から今年2月18日まで300万円を目標に、インターネットで資金を募る「クラウドファンディング」を始めた。今月19日時点で約50万円が集まっている。 


3人は、今回委託された20組の中でも、最も若いグループの一つ。竹村さんは「海外からの来場者も多い万博で作品を見てもらうことができ、やりがいは大きい。大坂城の石垣になれなかった400年前の残念石を『万歳石』としてよみがえらせたい」と話している。 


万博閉幕後は、場所を探して移設することを検討したいという。 


 ◆残念石 =豊臣秀吉が建設した初代大坂城が1615年の大坂夏の陣で焼失した後、江戸幕府2代将軍の徳川秀忠が約10年かけて再建工事を行った際に使われなかった石垣用の巨石。工事は多くの大名が担当しており、木津川流域だけでなく、六甲山地や瀬戸内海の小豆島などから切り出され、大坂城まで運ばれた。六甲山地や小豆島の採石場は国の史跡に指定されている


以上引用

なんか違うような

別に残念石使う必要あったのかな?




ここに大阪城の再建のために使われた巨石が、ここにあることがいみがあり、

400年前の巨石が、ここにあると言うこと


万博に巨石を持って行ってもあまり、意味がない?

まあ、400年前と同じやり方で、万博まで運んだら、意味があるかもしれないがな…