若かりし頃のアルバイト 最終回
若かりし頃のアルバイト。最後は北海道の酪農家でのアルバイトの話。
母校である北里大学には乳牛、いわゆる酪農部門が無かったので、夏休みを利用し、北海道の酪農家でアルバイトを計画。
「アルバイトニュース」という雑誌に載っていた「別海町の酪農家で働きませんか」に応募、即、決定。
正直、2日目で帰りたくなりました。
・毎朝5時起き。家の人は起こしてくれません。自己責任。
・仕事が終わるのは午後7時。
・隣の家に行くのにも車。なので、毎日、働いている酪農家の家族以外とは会えません。
・毎日、来る日もくる日も乾草収穫作業。当時は機械化が進んでおらず、四角い乾草を手でトラックに積み込み。
・地平線しか見えない牧草地。牧草地回りの雑草を刈ってこいと鎌を渡され、気が遠くなる。
・お盆。ストーブが点いてた。
酪農家にとって乾草は大切なもの。家族達は毎日、天気予報を見ながら、「低気圧が来ないといいな」
しかし、乾草作業がキツイ私は一人「低気圧が来るといいな」と心の中で祈ってました笑
いい事もありましたよ。夜は真っ暗で、生まれて初めて「天の川」を見ることができました。
結局、40日、働きました。
今となってはいい思い出。そして畜産人として働くためのいい経験でした。
本当に酪農家の作業ってキツイ。酪農家の苦労を考えると、牛乳の値段が安すぎると思うのは私だけではないはず。
~終わり~
若かりし頃のアルバイト その2
①ガソリンスタンド。
原付バイクが全盛期。満タンで2リットルなんてのもザラでした。一度、フォークリフトに間違えて有鉛ガソリンを入れてしまった事がありました。幸い、エンジンをかける前に気づいたので、燃料を廃棄することで事なきを得ましたが、もしエンジンをかけてたらオーバーホールだったそうです。思い出してもゾッとします。
②ビルサービス
学生時代(昭和59年頃)の十和田市はアルバイト情報が全くなし。友人からも頼まれて、私一人で飛び込みでアルバイトの交渉。青臭い学生です。社長から
「学生さんは、時給、いくら欲しいんだ?」
と聞かれた私。東京よりは単価は安いんだろうなぁ。あまり高く言ってもなぁ・・なんて考えながら、思わず
「ご、五百円!」
すると社長
「雇った!何人集められる?」
仲間の元に戻り
「やったぞ!バイト先見つけた」
仲間「時給は?」
私「500円」
仲間「ふざけんなよ。やれねえよ」
私「うるさいよ。じゃあお前らも探せよ」
と文句は言われましたが、結局、皆バイトに精を出しました。
仕事の内容もいろいろでした。
①開店前のスーパーの床掃除
②閉店後の銭湯の清掃
③吹雪の中、ガスボンベを背負って、建設現場の屋根の融雪。命綱無し。
④宣伝カーの運転
⑤窓ふき等々。
面白かったのは社長の麻雀の代打ち。私ではなく仲間が任命されたのですが社長の指示が面白い「振り込むな、上がるな」
後で聞いてわかったのは、時給500円の我々より、若手社員の給料が安かった事。びつくりでしょ。
つづく