いよいよ、最後の篇になりました。

本当にここまで来れるとは、思ってなかったけど、

亀の歩みでも、ちょっとずつを何年も続けたら、

こんなとこまで来れるんだなあとびっくりです。

最後の篇なので、締めくくりの話かと思ったら、

そうでもなく、いつもどおりの、

知りたい王様と何でも答えてくれる岐伯の話です。

全部読み終わったら、また本を作ろうと思っています。

私が、黄帝内経に何が書いてあるか、知りたかったので、

知れたことをまとめます。

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このおはなしは、黄帝内経霊枢より第八十一

「癰疽論」をもとにしています。

癰疽とは、膿血のある出来物です。

黄帝内経には、これまでたびたび出てきました。

 

素問二十八では、

季節を考慮して治療するべきか迷ったりせず、

すぐに治療に取り掛かる、と書かれていました。(素問28

 

素問七十七では、

治療する兪穴がちゃんと分っていなければ、

六腑に癰が発症する、と書かれていました。(素問77

 

霊枢六十では、

予想外の喜や怒があったり、

飲んだり食べたりが適切な量ではなくて、

陰気が不足したり、陽気が有余になったりして、

営気が正しく行かなくなると、

癰疽の病が生じる、と書かれていました。(霊枢60

 

霊枢六十八では、

癰が胃腸の管の内側にあると、深い所で痛み、

外側にあると、痛みは浅い所に浮いていて、上の皮膚が熱くなるとあって、

深い所も浅い所も、癰が起こると分かりました。(霊枢68

 

霊枢七十五では

癰は、鍼の中でも、切り開き、切り取れる鈹鍼を使って、

治療すると書かれていました。(霊枢75

 

この篇に出てくる癰疽は、

死に直結するものばかりです。

感染症も、腫瘍も、癌も出てきます。

皮膚の出来物も、内臓の出来物も、同列に並んでいるので、

病理が分かっている現代から見れば意味が無いかもしれません。

 

しかし、出来物の様子から

死ぬ日数が書かれているのを読んで、

どれだけの患者を診て、看取っていったのか、

医者たちの苦悩も思い浮かびます。

古代でも現代でも、

東洋でも西洋でも、医者の心は同じです。

患者に向き合う先人の医者を思いながら、

読みたいと思います。