こんにちは、いや、こんばんはか。
最近、色々物思いにふけることが多いけれども、時間が取れない。時間は生涯の友と言えるが、最大の敵だろう。私を追い込み苦しめる。忙しく感じさせるのは私自身のせいであって、客観的には忙しくないはずだ。にもかかわらず 、いつも何かに追われている衝動にかられる。いつも気が張っているのだ。あらら、脱線してしまった。ほんとは予定だけ書く予定だったのだが、書き出すと止まらないのだ。話すより、こうやって一方的に想いを書き連ねるのが好きなのだ。心にモヤモヤがこびりついているのが、文となって取り除かれる。日本直販の掃除機のように。まぁ細かい文章の表現や誤りの訂正に時間をかけるくらいならば、ズボンのチャックを開けたまま電車に乗る方がマシですけどもね。
さて、本題に移って土曜日曜くらいに、三題くらい書きたいのです。文にしたくて仕方がない。
1つは澁澤龍彦の『快楽主義の哲学』についてです。サドを日本に紹介した気色の悪いやつなのですが、案外この本の内容と彼が伝えたいことは、かなりプラグマティックで唸らせるところがあると思うので、それは口では言えないから、文に起こす。
2つ目は死について。私は死についてなど、皆目考えていなかった。怖いとも、良いとも思っていなかった。しかし、後輩が死への恐怖を訴えていて、向き合いたいと思ったのです。
3つ目は承認について。友人が承認無くしてはやっていけないらしい。承認について、石田晴夫の『自己不安の構造』なんかをあてにして、考えてみたいと思います。