回顧録大学編です

 

読みたい人向けです

 

高校までは↓を見てください

 

 『ラストブログ本編 @松本』こんにちは四年のまつもとです回顧録はこないだあげたのでメッセージ性のあることを書いていこうと思います被っちゃう部分もありますがそこは多めに見てください🙇とは…リンクameblo.jp

↑本編はこっち


合格発表からしばらくしてから
姉や典子さんを通じて東大水泳部に連絡をとり

一つ悩みがあったものの羽賀さんに説得され入部しました




受験が終わってから水泳の人たちとずっと遊んでいましたが
みんなJOがあって楽しそうにしている中
自分だけ出られないのが嫌で
(7月からプールに入っていなかったのだから当然なのですが、)

自分もまたみんなと同じレベルの試合でたいなあ

なんて思うようになっていました



それもあり入学後すぐの
4月初めの六大学にも出場しました

六大学は最終組は各大学一人ずつで
毎レース東大だけダントツ最下位になっていて
チーム全体としても六大学に怖気付いているような感じがしました

一方で私立大は楽しそうに勝負していて
閉会式で前で表彰される優秀選手賞や国際大会代表も
他の5大学ばっか


「いつかは自分があそこに立ちたいなぁ」


なんて思っていました

とはいえ自分も最終組エントリーが嫌で
先輩にお願いして回避したのですが、、



その後は
今までとは違い誰からも監視されない
自由で自分のやりたいように練習できる東大水泳部の練習が楽しくて
練習を頑張れていた気がします

4月にあった復帰後の初の長水路のレースでは

2Brが2:20
1Brが1:04

都高校のときとほとんど変わらないタイムで泳げて
プレッシャーや他人の目を気にしなくていい水泳がこんなにも楽しいんだ
って思いました


どうせタイムは落ちてるんだからどこまで行けるのかなーって
チャレンジ精神を持てたことも楽しさの一因でした


レースプランを考えるようになったのもこの頃からです



押切さんに連れていってもらったダッシュ新潟の合宿も
体の動かし方とかを学んで充実していたし
先輩たちと初めての合宿で楽しかったです




ダーツのせいか肘を故障しつつのシーズンとなりましたが、
当時インカレ突破者が大川さん一人しかいなかった東大水泳部では貴重な戦力で
5月の東部国公立でも3つのリレーのメンバーに選んでもらいました

僕たち一年生にとっては初めての、
コロナで中断していて先輩にとっても久しぶりの東部


トリプルスコアくらいつけている近頃しか知らない下級生は信じられないかもしれませんが
このときは全国公の団体権も持っていなくて

東部は学芸と大接戦で
実際リレーもMRしか勝っていませんし
チーム全員が一点でも多くとる意識で
必死に泳ぎました

2Brは水着をスタンドに置いてきてレース前に走り回っていたのでイマイチでしたが、
1Brは1:03.2でまさかまさかのベスト更新

泳ぎ込んでいた高校生のときに出したベストだったので驚きでした






目標だった男子総合優勝をつかみ取り
チームの雰囲気も良かったのを覚えています




続く6月の夏季公認(横国メイン長水路)でも
4IMを軽く4:33で泳げて
シンガポールで全力で泳いだ4:36を上回れて
いい感じすぎました


しかしその後練習で
妙に調子が悪くなり
7月のチャレンジ公認ではギリギリインカレを突破したものの
調子いい感じは無くなってしまいました


翌々週の七帝戦(@仙台、短水路)では
牛タンがうますぎてずっと食べていました

4IMでは4:20で優勝
2IMでは2:02くらいで2位
ラスト勝ったって思って気抜いたら端のコースの人に負けました
情けなかったです



4FR, 4MRは負けちゃったけど
リレーは8継のアンカーで1:50でラスト刺して優勝して
全体としても男子総合優勝

いい思い出で終われました


このときはレース前4IM泳ぐのが怖かったのと
2IMも負けたらどうしようって思って
泣いちゃったり
メンタルがお豆腐さんで
よしはるくん状態でした







七帝は試合も観光も楽しかったけど
その分1Sのテストにツケが回ってきます


大学初のテストで大苦戦しました



練習も1限でやるときもあれば
休むときもあって
全然練習できませんでした

あらかじめわかっていたテストなので
それまでに準備していなかった自分が悪いです




そのままカンカレに突入します



当時は横国開催だったので
先輩たちと泊まって楽しかったです

結果も2Brは2:18とシーズンベスト
1Brもそこそこ

そしてインカレがかかったメインレースの4FRでは
全員がベストな状態で臨んで見事突破

自分も初の52秒台で泳げました


8継は肘の状態も考えてメンバーを変わってもらい

それなりの結果で終えて一日空いて迎えた金沢全国公

大川さんが体調不良で欠席し
大幅な戦力ダウンで不安なまま臨みました

初日の4MRで引き継ぎ1:02で泳げて個人的にはいい感じでしたが
カンカレの疲れやその他様々なことがあって
チームとしてもかなり限界な状態でした



翌日の4IMの予選はまじでキツくって
優勝や表彰台を狙った決勝でも全然ダメ

軽く泳げた夏季公認のタイムを上回れず4:34で4位



情けなさすぎて
キツすぎて
表彰台の裏でガン泣きしたの覚えています


そりゃあ直前あんなに泳がなかったら
4IMなんて泳げるわけないよな、、

この頃には身体がキツすぎて
もう力が入らない状態になっていました



その後の4FRも気持ちが戻らないまま泳いで53.7
カンカレより1秒近く遅くてダメダメ


次の日の2IMの予選はなんとか9位(鹿屋が上に3人いたため繰り上がり)決勝に残れました

ここで
いろんなアドバイスはいったん置いておいて
自分の強み(後半)を活かしたレースをしよう
って方向転換して

決勝は前半を1:03.9でまわり
後半は1:05.4で帰ってきて少しはいい感じで泳げました


ただこのとき七帝ではいい勝負だった阪大のたいごさんが
隣でメダルを獲得



真面目に練習してこなかった自分が情けなかったです


8FRは1:57でイマイチでしたが
4年生のラストレースを間近に見届けて
もう一緒に泳げることはないんだって泣いちゃいました
泣いている僕を見て先輩は相対的に冷静になれて泣かなかったみたいです

あと、このレース前にスタンドを出る際に
マネ含む全員とグータッチしてからレース行ったみたいで
マネの先輩が引退式ですごい嬉しそうにその話してくれたのも印象深いです


総合は僕とひでとしさんで稼いだ13点でギリギリ8位入賞
https://zenkokko.jp/2022/documents/Result/points.pdf

入賞したのは良かったものの
全国公前のブログでも書きましたが
この年の全国公は空気が重くて
筑波や鹿屋の雰囲気に圧倒されて
四年生に余計なこと考えさせちゃって
ラストレースに思い切り臨むことができていなかったような気がします


この経験が
自分だけでも絶対にいい結果を出して
得点を稼いでリレーも引っ張ってやるんだ
っていう気持ちで来シーズン過ごすことにつながります






インカレ前には
慶應に大川さんと益子と行ったのも覚えています
あのときプールを貸してくださった慶應の方々には感謝の気持ちでいっぱいです


しかし
全国公後流行病にかかり
当時の東大が全国公でシーズン終了だったこともあり
2食で孤独に練習することがほとんどで
インカレまでの練習が十分にできずに
インカレに臨むことになります







あのインカレは今でも忘れないです



前日練習&一日目

当時はこの日に50Frがありました
予選を見ていたのですが
ウッドデッキにいるシード校の応援に衝撃を受けます

ベストを出すと予選から大歓声
決勝のランキング発表でも大歓声


今までの全国大会とは全く違う雰囲気でした

言葉にすると簡単になっちゃうけど
大学生活かけてきてその分盛り上がっているんだなって






翌日から始まった自分のレース


これでもかっていうくらい
自分のレースに集中できず
壊滅的なタイム

復帰明けの4月の試合とタイムが変わりませんでした



最終日の2Brの予選後に明治の友達と話したとき
「全然ダメだった悔しい」
って言われたんです

自分も全然ダメだったけど
努力してないから、かけてきたものがないから
悔しいっていう気持ちは芽生えなかったし
そりゃあダメだよな〜〜って思いました

 

これも言葉にするとあっさりしちゃうけど

泣けもしない惨めさを味わいました



2日目も
今年のインカレは自分は勝負できないから
とにかくレースを見て活躍している人たちの姿を目に焼けつけよう
って判断しました


慶應に席を貸してもらい
決勝の全レース見ました


仲間の応援を受けて
自信を持って戦っている人たちが
輝かしかったです


高校まではライバルだった人たちが
全然違う世界にいっちゃって
自分だけ取り残されちゃったんだな

 

 

 

言語化するのは難しいんだけど
午後の部に残らないとインカレにただ泳いだだけで参加したとは言えないんだな
って思いました

あの熱気に参加するには
インカレという試合を楽しむには
努力して午後に残るしかない

そう痛感します



インカレ中に姉のコーチに頼み込んで
オフ明けの10月の練習に参加させてもらうことになりました






9月中は東大は水抜き期間に入り
他大の練習に参加させてもらいます




インカレの2日後
インカレ終わりだし軽く泳いでリクトレでもしておくかぁ
って行った他大の練習




トップスイマーがいました


持田くんもトップスイマーと呼ばれていますが
それとは違いガチガチのトップスイマーです



そこで優雅に泳ぐわけにはいきません

いつの間にか
クソ速い練習に必死に喰らいついていました


練習はめちゃきつかったですが
追い込みまくりました



このとき会話して
とにかく練習が足りんというようなことを言われました




全国公後病気で休んでいたのに
またオフとっている場合じゃない

オフ取るような練習や生活を先シーズンしていた?

普段授業を言い訳にして練習が減っていたのに
今の実力はみんなからおいていかれているのに
授業がない間に追いつこうとしないで
速くなりたいなんて言えたものじゃない



すでに計画していた旅行のとき以外は
練習しまくりました



このとき付き合ってくれた益子やみなとさん、まじでありがたかったです


あと午後練終わりにそうたろうさんや野村さんと話していたときに
泳ぐ距離増やした方がいいし、それならクラブ練行った方がいいと思う
ということを言ってもらい決意が固まり
10月以降の生活についても考え始めます





そして10月
代表経験者ばっかのトップチームの練習に
インカレ63位(78人中)の男が参加させてもらいました



ドリル期間にお邪魔させてもらい
今まで知らなかった泳ぎの作り方をならい
ウエイトも教えてもらいました


そして話していくうちに普段の生活や
レースや練習への姿勢についても学びます


しつこいくらい泳ぎについて質問して見てもらって
どんどん泳ぎが良くなっていきました

本当に充実していました

これがなかったら今の自分はないでしょう











少し話は変わって
インカレ後思ったことの一つに
シニアの全国大会にでないと
ということがあります

シーズン初の試合でBr3つで日本選手権を突破すること

12月のJAPAN OPENに出ることを
目標というか最低条件に掲げました



12月のJAPAN OPENのラストチャンスでもあった10月末の都シニア

初日の1Brの予選でベストを更新
決勝で59.3で1.5ほどベストを更新しJAPAN OPENを突破



ビデオに羽賀さんが応援してくれて
突破したところを喜んでいる声が入ってて今見ても嬉しいです


そして翌日の50Br
予選は28秒台で昨日の前半と変わらなかったものの
決勝でまさかの27.40

前年度の日本選手権の標準も突破できました

このときのビデオにも羽賀さんの声と
りほさんのえ??みたいな声が入ってて面白いです笑


この試合でJAPAN OPENを切ったことで
早稲田とかの先輩とかとも仲良くなれて
ようやくそっちの世界に少し入れた気がしました










ドリル期間だけ参加させてもらうという話だったので
11月からは今も所属しているドーム巣鴨でお世話になることになります


今まで練習という練習をしばらくしてこなかった僕にとっては
ありえんくらいきつかったですが

日本一を目指すなら日本一の練習やらないと!

自分はセンスがあるわけではないからその分努力しないと!

去年の全国公の4IMみたいな気分味わうのは嫌だ!


って思って必死に練習していました




次の試合の東水招待
4IMで4:30で泳げてその練習が確実に良い方向にいっていることを実感できて
自信を持てました

金井がまねできてくれていましたね


そしてJAPAN OPEN





初めて出るシニアのトップの試合で
アップもみんな泳ぎ綺麗でずっとみていましたし
師匠から速い人のアップとかみておきなって言われて
ずっと観察していました

個人のタイムも50,100ともにベストで成長を実感できました





↑↑レース後基礎実験のために駒場に向かいました



冬場に一回50*30の練習を手抜いてたのを見抜かれて怒られましたが
実験があり合宿に行けなくて孤独な練習の中でも
目的に向かって練習を詰めました


年始はまたトップの方の練習に混ぜてもらい、
まじできつかったですが貴重な機会でアドレナリンが出てたのか
めちゃめちゃ練習速くて頑張れました


その後そっちの週末合宿にも参加させてもらい(めちゃめちゃきつかった)

翌週のKK杯で2Brのベストも更新できました

六大学ではタッチで失格取られて
次のジュニアの試合の2Flyでもタッチのときの完全水没で失格しましたが
タイムはよくて

実はもりけんと同じ組で泳いでいたKONAMIオープンでは100でBest更新

翌日から始まった東大の郡山合宿もロングチームで結構きつかったですが
この中で一番強くなってやる
っていう気持ちで追い込めて

いい感じに過ごせていました


そしてその翌週の短水路の2試合

実は日本選手権の標準が上がったため都シニアのタイムでは僅かに足りませんでした
そのためこの2試合で突破しなければ日本選手権にでられないという状況

木曜日の1Brで59.15で僅かに届かず、
金曜日の50brも土曜日の1Brもダメで
いよいよ日曜の50Brのみという状態

めっちゃ緊張していましたが
朝の4継を気楽に泳げて緊張が解けて
チャレンジレースで突破



本当のラストチャンスものにできてよかったです




大2



4月には日本選手権で初めてTACに入ります
初めての日本選手権
みんなの泳ぎをみて自分はまだまだだなと思いました
決勝を初めて生で見てプチ感動しました


有り余る時間で遊びに行ったりして華の2Sを謳歌しつつ
その後もコンメも含めて順調にBestを更新していき
東京都選手権では2:15に突入しました


それで浮かれて少し中弛みしちゃいました


東部も楽しめましたが
その結果見事に夏季公認でズボリ反省します


町田開催の七帝は
準備のお手伝いもありまじで疲れたままの試合でしたが
準備の仕事も楽しかったのでOKです




カンカレも直前まで合宿で2,4Flyやってて疲れは残っていましたが
100,200ともにBestで終われました

シード校の人と競り合える貴重な機会で楽しかったです





そして迎えた全国公

初日の4MRで
3:48(引き継ぎ1:01.4)で
メダル獲得して勢いに乗って

翌日の4IMも4:28で3位
最終日の2IMも2:05で3位


最後の8継はバテバテでダメだったけど
狙ってた種目でいいタイムでメダル獲得できて
総合でも33点でシード獲得



去年のリベンジが果たせました


そしてそして
シーズンメインの試合のインカレ
 
一年間準備を重ねてきて自信を持って臨みました
1Brは予選で1:01.3
B決勝で1:01.10で2番
富永さんの東大記録も更新します
 
2Brでも予選で2:13.3
B決勝は前半から攻めて2:13.1
 






2種目とも短水路より先に長水路で日本選手権の標準を突破し
去年のリベンジは果たせました
 
B決勝が終わった後ダウンを途中で切り上げてA決勝を見ていたのですが
旗を振って入場してくる姿だけでなく
全員が入場からかっこよくて会場の解説もついてB決勝とは全然違う姿で
来年はあそこに残ろうと思いました
 

 

大川さんにこのブログ書いてもらって

努力を認められて嬉しかったです

 

 

 


シーズンオフをとり、
旅行に行き練習に戻りました
 
インカレで目標を達成できたことで燃え尽き感がありましたが
A決勝に残っていないのに満足している暇はないと思い直し気合いを入れられました
 
都シニアでは100,200Frでインカレを突破し
Br, IMもベスト更新
 
いい感じのまま迎えた日本短水路
 
初日の100は少し浮き足立っちゃって満足いく結果ではなかったけど
他の種目の決勝見てて、バックボードに名前と顔写真載るのとかかっこよくて
200では何がなんでも残りたくて前半から突っ込んでまさかの4番で決勝進出
決勝は本当に怖かったけど
花車くんが優しくしてくれたのと
役員できてたゆうへいに直前に会って応援してもらって
自信を持っていけました
 
とにかく前半から攻めて175までは2番でしたが
そこからバテまくり4番に
 
ちょっと悔しかったけど大収穫の試合でした
 






ただこのとき急にレベルが上がったことで次の目標に現実味を感じなくなり
辛い時期に入ります
 
ただこの時期の練習がスプリントだったことで乗り越えられました
短水路の50Brで26秒台に突入できましたが
長水路の試合はイマイチなときも多かったです
 
パリ選考会の前の合宿もうまく追い込み期と調整期を自分で管理できずに
試合もイマイチでした
タイムはベストに近かったけどビシって決まっている感じがなくて
ライバルたちが準決勝、決勝に進んでいる中で一人だけ取り残された感じがしました
 




落ち込んでいましたが
春六でベスト出したら上のチームに入れてもらえることになったので
オフをとっている場合ではなく練習を積みました
200では2:05台で泳げましたがベストに及ばす、

しかし100では58.00でベストを出せて
しかも大会記録も出せていい感じでした
 
翌週の長水路も50Brで27秒台、
100,200もまあまあの記録で泳げました
 
その後GW合宿も記録がよくって
GW明けに移籍します
 
 
しかし先生との関わり方や指導方針がガラッと変わり
なかなか慣れずにいました
 
 
6月の東京都選手権や東部では調整していないとはいえ4月よりだいぶ遅くなって
気持ちは暗くなっていきました
 
けど他の人たちが練習めっちゃ頑張るから下っ端の僕がそんなこと言っている場合ではなく
必死に喰らいついていました
 
その後もイマイチでしたがちゃれこうの8継は
インカレはきれなかったけどそれなりのタイムで泳げて、
七帝の1Br決勝、8継もいい感じの結果
 
カンカレもベストではなかったけど
レースプランはいい感じにできたり
ちょっとずつよくなってきました
 
そして全国公
 
 
 
詳しくはこのブログを参照してください

 

 
 
絶対メダル取れる、なんなら銀メダルもあると思っていた初日の4MR
まさかの4位
 
岡大にアンカーの太一でさされました
 
次の日も得点の取りこぼしが続出し危機的状況でした
僕も4FRで飛び込みとターンやらかしてしまいました
 
最終日、
引退してもマネージャーとしてチームのために動いていつ4年生を見て
絶対にいい結果を出して恩返しする!って決意します
 
予選の感じも悪くなくて
決勝はこのチームの前で泳げるラストチャンス。
ほんの少しだけど11ヶ月ぶりにようやくベストが出せました
ようやく応援席に笑顔向けられました
 
ただそこで広島と同点
リレーでのメダルが0だったため絶対に3位で来ないとダメでした
 
ど緊張でしたが
引き継ぎベストでこれて東大記録を更新し3位
チームの一体感も感じられて最高の3位でした
 
 
その後クラブチームに合流し
地獄の合宿を乗り切ります
 
優しい先輩たちがいなければ無理なくらい
練習がえぐかったです
 
 
そのおかげで自信を持ってインカレに臨みました
100では1:00.81で7番通過
師匠に1:01までは誰でも出せるけど1:00を出せる人はそうそういない
って言われていたので1:00というタイムは嬉しかったです!
 
初のインカレ決勝は歓声が凄すぎて自分のペースが崩れてダメでしたが、
それをもう一度味わいたいって思えて2Brのモチベになります
 







4MRは真剣に泳いだのに1:02かかっておしまいでしたが
たくさん寝て2Brはコーチを信じて新しいプランで泳ぎました
 
2;12で大ベスト、まさかの4位
 
ようやく200もベストが更新できてホッとしました
 








決勝は100みたいな情けないことしないために浮かれずに行って
2:11で4位
 
出来過ぎでした

 

ようやくコーチの理想に自分のレースが少し追いついた気がしました
 


次のシーズンまでの オフ期間には免許合宿に行きました
 
新シーズンが始まると練習がきつくて泳ぎも保てないこともありました
JAPAN OPENはダメダメだったしKKやKONAMIもイマイチ
練習は積んでいるのに、チームメイトはみんな調子いいのに
自分だけダメダメ
 
そんな状態で一ヶ月の富山合宿に行きます
 
 
 
 
まぁぁじできつかったです
 
 
今まで頑張っていたけどほんの少し余裕残っていたのは全てばれていたみたいで
全力出し切るまで上から声が飛んできました
 
 
普段とは次元の違う「もう無理」です
 
 
先輩や一週間参加のもっちー、吉晴などがいて空き時間の話し相手や遊び相手になってくれましたし、
ユニバーシアードの代表になって絶対にドイツに行くんだっていう思いがあったので
乗り切れました
 
コーチからもお前をユニバの代表に入れたいて言ってもらっていましたし。
 
 
ただ
 
 
 
 
本当に練習がきつかったです
 
 
 
 
 
 
 
 
ちなみに東大の二人は調整期を除いて一番楽な期間に来て
持田くんは僕にマッサージガンの騒音被害を一週間与えて帰っていきました
 






 
なかなか調子が上がらずに不安なまま迎えた日本選手権
練習積んできた自信はありました
 
100はなんとかB決勝に残れて
ただチームメイトみんなA決勝に残っていて僕だけ残れていませんでした
 
200は今までの練習を無駄にしないためにも絶対に残ると思って泳いで
ギリギリ8番で残れました
 
直後にテレビ局の軽い取材があったのですが
決勝どういうレースがしたいですか?みたいなこと聞かれて
もう少し前半から攻めていきたいです!みたいなこと答えたんですけど
直後に自分でも訳が分からず大号泣してしまい
横で取材されていた毛利さんがフォローしてくれたもののダウンまで永遠に泣いていました
 
 
代表経験者しかいないチームでなんとか練習に喰らいついていったのが報われて
日本選手権決勝という舞台に立てる選手になれたことが嬉しかったのか
それとも自分だけ実力が低くて負い目を感じていたけどみんなに追いつけてそのプレッシャーから解放されたからなのか
コーチにもなんで泣いてるんだよって言われるくらいずっと泣いてました
 
ちなみに自分が決勝に残ったのをコーチが確認したとき
嬉しそうだったみたいです☺️
 






 
決勝は今までのどの試合とも違う雰囲気
2日前のB決勝とも全然違う独特な感じ
 
新鮮でした
 

今見返してみても夢の舞台に立てたんだなって思います
 
レースは隣の大和くんが速すぎてめっちゃ波くらって
自分のレースができませんでしたが笑
インカレ以来の2:11
 
練習してきた甲斐がありました
 
 
 
翌週に相模原の試合でて大川さんの東大ラスト試合で
リレーを一緒に泳ぎました
 
 
その後色々考えた結果悩みながらも練習環境を戻すことに決めます
 
 
4月の春六は体調が最悪で4IMは棄権しましたが
個人の種目は泳ぎ切って男子優秀選手獲得できました
 




 
しかしその後の試合はダメダメ
ユニバーシアードの代表を逃したのを引きずっていました
 
練習中も

インカレが半年後にあるのに
この練習頑張ってもユニバ行けないじゃん
って思ってしまいましたし
 
寝ているときも
ユニバに行けた夢を7月くらいまで何回も見て
起きたときに絶望していました
 
 
東部とかも楽しい試合のはずなのに
全然楽しめず
 
よかったのは2Brの決勝くらい
 





みんながベスト出して喜んでいるのを見て
半分嬉しくて
半分はここで喜んでて楽しそうでいいなって僻んでいました
 
 
その後もなかなか気持ちが乗らず、、
長水路のゼロポジ着用のダイブで1:08でしか泳げなかったときは
別のコーチに心配してもらって1時間くらい電話で話してもらいました
 
そのくらい顔も暗かったみたいです
 
 
転機となったのは7月の東大の長水路練習です
 
普段のクラブ練習からしたら量が少ないし
先生や先輩の目を気にすることもない
 
ありえんくらい気楽に練習して
持田をボコボコにして部員からは速いって言ってもらえて
水泳の楽しさ(??笑)を思い出します
 
泳ぎ方がうまくはまったのもあります
 
 
七帝は1Brはいい記録が出る予感しかしませんでした
 










1:01.5で久しぶりの1:01秒台
 
200は全然進まなかったですが
8継でラスト大差を逆転してリレー初の三冠
 
 
コンパやその後の函館山からの走っての下山など
めちゃおもろかったです
 
 
ここで自信と楽しさを取り戻します
 
クラブチームが合宿に行ったため
カンカレに向けて東大での練習も増え、
やりたいように練習して練習しながら臨んだカンカレ
 
初日の50Brを久しぶりにうまく泳げて

100も1:01前半で
200は久しぶりの12秒台で泳げました


タイムが戻ってきたのはもちろんのこと
勝負することやレース前の緊張感の楽しさを久しぶりに感じられたことが大きかったです
ようやく試合での心のもち方を思い出しました

全国公では
4MRで去年のリベンジ
2Brでも12秒台
4FRも51秒台
1Brは11ヶ月ぶりのベスト
8FRも1;53.0で3位を守れました



その後は院試があり十分に練習することができませんでした
事前にわかっていたのに準備していなかった自分が情けなかったです
インカレ直前期に泳げなかったのとウエイトもできなくて不安だらけでした


前日も調子がいいわけではなく
みんな調子いいって言っていて
この試合のために大学選んで努力してきた人たちに直前に院試で休んでいた人が勝てるわけないよなって思って、


けど試合が始まってみんなが決勝に残っているのを見て負けてられないと思ったし
そしてベストが自分より遅い人に負けてたまるかとふと思って
気合が入りました


予選は後半バテバテだったものの1:00.5でベスト、
決勝は去年と違って落ち着いて楽しめました
レースも集中できてタッチしました



目が悪いからまさか2位な訳ないよなって思ってたけど
アナウンスでわかってめちゃ嬉しかったです
ずっと目標にしていたインカレのメダルが取れて
夢心地すぎました









表彰台でも初の花束、ぱちゃぽ
卓さんからもらえて言葉もかけてもらって
幸せでした


翌日のMRはB決勝残りたかったけど残れなくて
早く帰って寝ました


翌日の2Brの予選はレースプランに迷っちゃってイマイチでしたが
ギリギリ決勝に残れて
決勝はあの場所立ったら気合が入ってうまく泳げたけど
ラスト焦っちゃったのもあり抜かせませんでした



あーラストの表彰台のチャンス掴めなかったんだなって
放心状態になっちゃいました



院試で練習ちゃんとやってなかった人がそりゃインカレで優勝できる訳ないよな
って直後の取材で話しているときも思ったし
逆に4番入っただけでも上出来だよなって
複雑な気持ちでした



ただ一つ言えるのは
日本で一番熱い競泳の試合であるインカレを三年間目指して過ごしてきて
同じかそれ以上の情熱持つ人たちと競争できて
幸せだったということです



その中でたくさんの仲間、応援してくれる人ができて

そう言った人たちに支えられて、最後の入場でハイタッチして見送ってくれて、レースが終わったら声をかけにきてくれて

本当に幸せでした

ありがとうございました




今回のインカレで感じたことも踏まえて
まだまだ水泳を通じていろんなことを経験したいと思ったので
競技は続けます



回顧編終了!
次回ラストブログ本編!