こんにちは
四年のまつもとです
お待たせしました
ラストブログいよいよ書き終わりそうです
↑三部構成になりました
次のラストブログ本編に向けて
一旦それまでの水泳人生を振り返っておこうと思います
概要
幼稚園:友達と一緒にトウスイに通い始める
小学校
3年生:東水招待の50Brで優勝する、JOを初突破して長岡春JOに出る
4年生:JOに出続ける、春JOのMRで優勝する
5年生:夏JOで個人で決勝に残る(7位)、MRは優勝
6年生:夏JOは出て、受験のため9月からは月1スイマーに
中学校
1年生:中学の水泳部楽しい!けどスイミングでどんどんおいていかれる
2年生:全中にいけず関東中学行き、優勝する
3年生:全中で4位、ナショナルまであと少し&燃え尽き、春にシンガポール遠征に
高校
1年生:夏のタイムはイマイチだったが夏JOで決勝に残った
2年生:コロナ禍、受験意識し始めて辛くなる、コンメがめっちゃ伸びる
3年生:都高校で優勝して辞めて受験勉強へ
大学
1年生:
東部・七帝楽しかった分、全国公・インカレで痛い目みる
改心して10月にJAPAN OPEN突破、日本選手権もラストチャンスで突破
2年生:
全国公・インカレでリベンジ、B決勝進出
日本短水路でまさかまさかの4位、ただその後気持ちがコントロールできなかった
3年生:
新たな環境で慣れない中、なんとかインカレで決勝進出(4,7位)
冬場も必死に喰らい付いて日本選手権決勝進出
4年生
環境を元に戻すが、なかなか調子と気合いが戻らず、
なんとか七帝前から取り戻していって全国公ベスト、インカレ大ベスト(2,4位)
といった感じです!
ものごごろついた頃にはスイミングに通い、
周りと一緒に進級していきました。
一緒に始めた姉には最初からどんどんおいていかれることになります。
誕生日が東水招待の直後だったこともあり
8歳以下の区分で50Br優勝しました
ここで調子にのり見事直後にJOを突破することになります。
ちなみにこのとき2番だったのがくりけんだったりします。
あ、あと!
このとき50Baも3番に入ります!
今ではコンメのレース後にマネージャーに
「どうしちゃったんですか?」
と心配されている僕の背泳ぎでしたが、
この頃はよかったんですよ==
3年生の春(2013年)は辰巳が改修工事中で長岡でJOがあった年でした
当時の僕からしたらめっちゃ大人な高校生に面倒見てもらって楽しかったですね
小学生も最後の方になってくると
塾が入ってきて
塾を2コマ中一コマ受ける→練習へ
みたいな生活を送っておりました
それでも小学校から塾までの間は公園でサッカーしてましたけどね。笑
そして筑附に進学して水泳部に入ります
ただこのときは水泳部に入りたくなくて、
クラスの人と他の部活の体験にばっか行ってましたが、
中体連の試合に出れないので水泳部に入ります
中学は学習院との対抗戦(中学は水泳部のみ、高校は全運動部)があり、
各校3人ずつ、順位で点数がついて合計点で勝負でした
部員のほぼ全員が出場することになるので
みんなで速くなるという意識がチーム内にはありました。
ここでの経験が今でも役立っているのかなと思います
国立の中学でしたが
一個上にJO決勝に残っていた先輩がいたので
調子に乗ることなくやっていました
クラブチームの話に戻ると
中学1年生の春JOに同期の中で僕だけ出場できず
クラスも落ちてしまいました
それが嫌で頑張って中2の最初の試合でJOを突破して昇級しました
そこからは全中に個人とMRで出場することを目標に練習しました
しかし都中学の結果は
2Br:2:25(標準は2:23)
1Br:1:08(標準は当時1:07前半)
でメドレーリレーも確かあと3秒ほど足りずいけませんでした
一個上の先輩が全中決めてウキウキの中、
悔しい気分で吉野家でご飯食べて帰りました
関東中学は
2Br:2:23 1位
1Br:1:07 3位
で大ベストでウキウキでした
JOは個人はイマイチでしたが、
引き継ぎで1:06.4とかで泳げました
ここまで書いてて思ったんですが、
この時期は練習とかの記憶とかがほぼなくて試合の結果しか覚えていないです笑
当時は中学二年生までは東水招待もナショナル突破対象試合だったので
東水招待までとにかくナショナル突破を目指して頑張りました
当時は東京都でナショナル突破者は年末にグアム合宿に参加でき
それに参加したくって練習しましたが、
結局ベストも更新できずに終わってしまいました
そのあとは目標が達成できなかった投げやり感と
次の目標に切り替えられなかったことで
めっちゃいい加減に水泳やってました
コーチの話聞かなかったりテキトーに練習したりひどい態度でしたが
ちゃんと怒られて改心しました
年末の東京都の合宿(ナショナル非突破者のやつ、辰巳でやった)に参加したのも大きかったです
初めて所属のコーチがいない環境で、少人数のチームだったので担当コーチとのコミュニケーションもたくさん取れました
今まで知らなかった水泳の知識を吸収し、めちゃくちゃ調子が良かったです
ショートサークルのラストのhardが
2IMが2:26
2Frが2:10
1Frが1:00.0
まじでめちゃくちゃ楽に速く泳げてました
なんなら今より速いまであります
このとき同じチームだったメンバーは今でも結構残っています
いつもプール掃除しにきてくれる高橋けんたくんとはこのときからの繋がりです
その後、試合の結果はそんなよくなかったですが、
春JOで同期が活躍している姿を見て奮起して
GWの合宿は絶好調で追い込みまくりました
2Brのhardのaverageが2:36とかです
今やってもできるかわかんないくらい速いです
100*20の奇数が2K1Pだったのにそんなにキツくなかったので
ゾーン入ってました
そしてGW明けの試合で3秒ベストで2:20に突入しました
その後も練習後に自主的に陸トレしたり(半分先輩の煽りだったけど笑)
スイムでも自主的にUW12.5mやる制限つけたり
あと、授業中に息止めて肺活量鍛えているという
よくわからんトレーニング(??)を部活の同期に布教されて
やっていました
その甲斐もあって(??)
1•2Br に加えて
50Fr, 200Fr, 200,400IM もJOを突破し
順調なまま都中学を迎えて無事2種目突破
全中に向けても好調を維持したまま練習でき
本番はベストで小5のJO以来の全国大会決勝進出
決勝はさらに1秒近くベストを更新し2:19.16で4位
ずっと追いかけてきた人たちと同じ舞台で戦えて嬉しかったです
ただこのときナショナル標準まで0.08秒でした、、
マジで悔しかったです、、
あと次の日の1Brは1:06.4で少しベストよりも遅かったです
夏JOの個人は
1Brで1:07かかりましたがなんとか立て直して
2Brはベストからは遅れたものの2:20で5位
4継はアンカーで2人追い抜き0.01差で3位でした
練習頑張ったからこの1/100秒差をさせたし
頑張ったのはこうやって意外なところで報われるんだなって
このとき思いました
帰るときに辰巳の電光掲示板裏の通路でメダルの紐を振り子みたいに持ってたら
金具が取れて地面にメダルを落としてしまいましたが
これが全国大会最後のリレーでのメダルになります
その後はなかなか目標が見つけられずに
そこまで練習も身が入りませんでした
それまでが気持ちが入りすぎていた感もありますが。
急にレベルが上がったのと
中学生にとって高校生は大人すぎたのもあって
来年度の目標が具体的にイメージできなかったんですよね
年末の南関東合宿のミーティングで
各自が目標を前に出て言う場面で
「インターハイ決勝行きます」
って言ったんですけど、
全然想像がつかないまま適当に言った感じがありました
年始の合宿もきついのが嫌で高校の内部入試を理由に休んだりしていました
さっき触れた南関東ブロックの合宿はありえないくらいきつかったです
いまだに覚えているのですが
200のkickで10mおきにしか呼吸できないみたいな制限があって
肺が貧弱な僕にはマジできつかったです
具体的な目標がないときのきつい練習ほどきついものはないです、、
ただその練習を乗り越えたおかげで
冬場の2Brの短水路が中学ランキング2位になったりと
成果も出ていて先輩ともわいわい楽しくやれていました
練習の4IMのベストはこのころの4:39で
いまだに更新できていません
そしてシンガポール遠征に選ばれて
卒業式が終わってそのまま行ってきました
レース前日に南関東ブロックの選手とコーチ、ドクターの5人で
マリーナベイサンズに観光行ったのが懐かしいです
工事中のマーライオン
標準切っていれば
何種目でもエントリーできたので
50,100,200のBr
200,400のIM
50,100のFr
に出場しました
試合の方は簡潔に言うと
初めての一週間連続の試合で
どうしたらいいかわからず終わってしまって感じです
JISSではみんなで練習したのですが、
現地入りしてからは完全FPでした
試合の期間長いから直前まで長めに泳いだ方がいいのかなって思ってたけど
結局疲れが溜まったままになってしまいよくなかったですね、、
4IMがキツすぎて
レース後にまじで歩けなくなりました
あと僕はお腹が非常に弱いので
現地で永遠にお腹を壊していたのも
辛かったです
初めての海外遠征でしたが
試合に関してはいい思い出はあんまりないですね笑
同じ組だった現地の選手とサブプールで喋ったのですが
当時英語力が小学生で止まっていた僕は
「Army」という単語がわからず
1分くらいジェスチャーしてもらったのはすごい記憶に残っています
結局わからずに帰ってから調べたんですけどね。
けどここで知り合った人たちとは今でもなんだかんだ縁があって
特にイトマン港北の谷口先生とはこのときお世話になって
それからも試合で会う度にお世話になってますし
東大にもきていただくことにもなりました
初の海外遠征でJAPANと入った支給品をもらったり
外国の召集システムに戸惑ったり
いい経験になりました
その後のJOはマジでキツすぎてダメダメでした
ダメダメすぎて記憶が全然ないです、、
高校生になってからは
GW合宿頑張って
直後の試合の2Brで2:17を出して
学年ランキング1位になった気がします
ただ都高校の前にあった体力測定で
体育館の床で上体起こしの測定をやらされて
腰を痛めて泳げなくなりましたが
試合後にOBさんにお寿司に連れて行ってもらえることをモチベに頑張り
なんとか両方ともインターハイ標準突破して関東高校に進出しました
あと、このときの都高校で谷口くんと仲良くなれました
今振り返るとこういうときの縁が
後になっても活きてきたなって思います
話を戻すと
都高校直後にバスケの授業でボールに突き指して骨折、
しばらくキックだけで練習をして
関東高校も治ってないままでしたが
我慢して泳いでインターハイの標準は突破できました
ただ林間学校を挟んで一週間後に国体の最終予選があったのですが
年下に負けて国体を逃します
自分の限界というか、
その年下はベストで1秒近い差がついて完全敗北して
意気消沈してしまいました
その後も
練習がうまくいかずに
インターハイの結果はイマイチでした
1Brが1:05かかりましたし、、
練習の合間に某塾の無料体験に通って
うまく疲れが取れていなかったのが原因なのかなって思っています
高校生の当時は練習以外の過ごし方とか
わかってなかったんだなあって思います
2Brレース当日も寝坊して
顧問の先生を待たせてしまいました、、
歴史の先生だったので熊本観光満喫してそうで良かったですが、笑
その後のJOでは2Brの15-16区分で決勝にギリギリ残れて
これがラストJO決勝になります
高一の冬場は調子がめっちゃ悪くて
2Brの長水路で2:20かかったり、、
本当にお先真っ暗でした
練習チームが同じ先輩が引退してしまい
練習についていくのが終わって
自分で引っ張っていかないといけなくなったのもですが
高校生になって遊ぶ機会が増えたのも原因でしたね、、
さっきもいいましたが
高校生になって選択肢が増えた中で
自分をコントロールできていなかったのが
僕の高校水泳の失敗だったのかなと思います
Brの調子が悪すぎて本当に辛かったですが、
FrやIMの調子がよくて試合でもベストが出てて
気持ちを保てました
5ブロックっていう
東京内で東西南北の4つと市外部で
5つのブロックの対抗戦があるのですが
その試合で100Frで決勝に残れて
400IMも大会記録を出せて
辰巳で自分で大会記録のあの音楽を流すのが一つの目標だったので
嬉しかったです!
年末の合宿も乗り切って
2月に泳ぎを変えたら調子が急によくなって
ウエイトも1回やったら急に力が入るようになったのもあり
短水路で1:00.6という1.5くらいの大ベストがでます
このときも全国の学年ランキング2位でした
そこで急に自信を取り戻して
月末のJO予選で
1Frとメドレーリレーがチャレンジ引っかかって
1Frからメドレーリレーまで10分でしたが
リレーはオンタイムでJO突破
水泳楽しくできていました
10分後のリレーの引き継ぎでも1:00.6とかで来れていたので
JOの1Br、もしかしたら優勝もあるんじゃ??
って感じで練習積んでいきました
そしたらコロナ禍突入。
最初は三日後に迫っていたもののなんも勉強していなかった学年末試験がなくなった喜びしかありませんでしたが、
JO中止、しかもいろんな活動が停止してプールも閉鎖になりました
このときはほんとに練習を楽しく頑張れていて
アホみたいに声出ししてたので
まぁ試合なくても練習楽しいからいいやーって
思ってましたが
プール閉鎖されるといよいよやることがなくなりました
走りに行ったりしてはいましたが、
長続きせずにだらけていました
泳げない期間があったから
復帰後も調子上がんないし
9月のレースも久しぶりすぎてダメダメでした
他の人がベスト出しているのに,,って感じで
また意気消沈します
結果出してたのは
練習アホみたいに頑張ってた人たちで
やっぱその差なんだなって思いました
その後はだんだんいろんな活動が再開してきて
みんなでやる練習が楽しくて
毎週水曜に50*40 IM10本ずつのハードやってたけど
みんなで楽しく乗り越えて
Brのレースは相変わらずボロボロで
2:24くらいかかった東水招待のときはほんとにやめようかと思ったけど
直後の12月の東京都の短水路の試合で
1Baが57.3くらいで泳げて(しかも朝練で2IMのhardしたあとなのに)
1Frもまぁまぁで泳げて楽しくて辞められませんでした
このとき、東大とリレーを同じ組で泳いでいて、
ひでとしさんとかがいたみたいです
しかし
全く東大に入れる実力のなかった当時の僕は
東大の人いるー大学生怖いなー
くらいにしか思ってませんでした
高校ではみんな大学受験の勉強を本格的にしていて
自分もやんないとやばいと思っていて
水泳の練習中は勉強のこと考えて
集中できていなかったので
水泳がストレスになってて,,
けど練習頑張った成果か
2IMとかがめっちゃ伸びてベスト出て
試合でみんなに会えるのも楽しくて、、
って感じで悩んでいた時期でもあります
関東圏のいくつかの都県で開催されたJOの地方試合では
2Brで大ベスト、1Brで少しだけベストで
フリーリレーも決勝残れてきつかったけど楽しかったです
そのときの試合で記憶に残っているのが
調子悪かった僕が泳ぎの相談したら
Br仲間の二人がレース後でリレーの前なのに
僕の泳ぎをサブプールで見てアドバイスくれて
っていうのを何回もやってくれて
感謝しまくりでした
一方、受験の方は
春期講習がありいよいよ受験本番って感じでした
本格的に演習が始まり先生の授業も面白いし復習もちゃんとやりたいし、、
これ、もう水泳やっている時間なくない??
6月初めに都高校で辞めることを決意しました
終わりが見えたことで気持ちも固まり
3週間水泳に集中できました
迎えた都高校
予選から1:03.50のベスト出して
決勝はタイム少し落としたけどまさかの優勝
例年の優勝タイムが1:01ですから
その年はレベルが低かったので驚きでしたが
優勝できて嬉しかったです
そのダウンのときに
いつも一緒の2人に今大会で辞めるって言って
めっちゃびっくりされました
翌日の2Brは予選は2:19で
ベストではありませんでしたが
約2年ぶりの2:20切りで一安心しました
大学で水泳やるなんて考えはなかったから
決勝は本当に人生最後のレースだと思って
もうこの景色を見ることはないんだって思って
Z世代戦士みたいに大号泣していました
みんなに慰めてもらって
ラストということで火事場の馬鹿力(?)みたいなのがでて
2:16.9でベストを更新できました
ベストでたったわかったとき
嬉しかったのか、
緊張が解けてレース前の気持ちが戻ったのか、
またまたよしはるくん顔負けの大号泣
泣きすぎたので
その後数日間、目が真っ赤っかでした
みんなよってきてくれて労ってくれて
いい人たちに巡り会えたなって思いながら
引退します
そこからは受験生活です
今思えば
友達とわいわい帰って
いい先生とも巡りあえて楽しかったけど
2月とかは本当にもう無理ってなってたし
きついことも多かったです
紆余曲折を経て東大に合格し
東大水泳部に入部することになります
以上高校生までの水泳人生でした!
次回:ラストブログ〜大学水泳編〜


















