どもども、4年の長谷です。
最初に謝っておきますが、まだ僕は読んだことないです。これだけ書いて意味の分かるあなたは素晴らしい。
ちなみにぼくは「パラドックス13」とか「真夏の方程式」とか特に面白かった記憶があります。
それはともかく。
今日は関カレ最終日でした。結果は以下の通り。
男子50Fr
前田英俊(4) 24.19★予選第3位タイ★2部決勝進出★
横田海八(2) 26.94
神武秀歩(1) 25.15★初Best★
男子50Fr2部決勝
前田英俊(4) 24.10★2部決勝第6位★
男子200Br
羽賀遼太郎(4) 2:24.96★Best★歴代第7位★予選第10位★
持田隼人(3) 2:21.95★予選第4位★2部決勝進出★
松本恭太郎(3) 2:14.65★予選第1位★2部決勝進出★
男子200Br2部決勝
松本恭太郎(3) 2:13.56★2部決勝第1位★
持田隼人(3) 2:23.72★2部決勝第7位★
男子100Fly
後藤和希(4) 1:01.60
市川大祐(3) 59.44★Best★
伊藤大輝(2) 57.33★予選第8位★2部決勝進出★
男子100Fly2部決勝
伊藤大輝(2) 56.88★2部決勝第5位★
男子4×100FR2部タイム決勝
3:30.26★Best★歴代第3位★2部タイム決勝第1位★
松本恭太郎(3) 52.33★Best★歴代第4位★
佐々木翔(3) 52.30
前田英俊(4) 53.00
堀壮介(4) 52.63
女子50Fr
秡川典子(4) 29.61
馬場知世(1) 43.27
女子200Br2部タイム決勝
小野崎歩(4) 3:00.75★2部タイム決勝第5位★
女子100Fly
藤倉璃保(4) 1:04.32★予選第1位★
小野七晴(2) 1:05.00★予選第2位★
女子100Fly2部決勝
藤倉璃保(4) 1:03.40★Best★東大記録更新★2部決勝第1位★
小野七晴(2) 1:04.24★2部決勝第2位★
女子4×100FR2部タイム決勝
4:10.12★2部タイム決勝第3位★
秡川典子(4) 1:05.20★Best★歴代第13位★
西村和花(1) 1:03.85
小野七晴(2) 1:01.73
藤倉璃保(4) 59.34
全体としては、男子2部第2位、女子2部第2位、男女ともに1部昇格、と大健闘でした!!!みなさんお疲れ様でした。
特に、女子がエグいですね。。。リホサン(4)とななは(2)だけで何点取って来てんだ・・・
本日は洲鎌総監督、OB3年目の石井了さん、OB2年目の岩本世歩さん、嶋田さんが応援に駆けつけてくださいました。
お忙しい中、ありがとうございます!
また、押切さんも帯同していただきありがとうございました。
自分のことを少し書きます。
僕は初日の400m個人メドレーに出場しました。結果は、、、もうさよならって感じでした。ベスプラ4秒。
バックで力んでしまったせいで、ブレ・フリーが沈没したんだと思います。
よんこめって自分にとっては結構難しくて、今まで満足いくレースは一度も出来ていません。
全国公こそは。
悔いなく終わりたいですね。
さてさて。ここから本編ですー
お急ぎの方は、太字だけ読んでくださいね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
気づけばラストブログになってしまいました。
誰にも気づかれてないと思うんですが、僕のブログは絶対「どもども」で始まり「ではでは」で終わるようにしていました(深い理由はないです)。
それももう最後かと思うと、さすがに感慨深いですね。
長くならないように気を付けながら書いていきたいと思います。
どうせ長谷のブログは長い、と周りから散々言われてますが、たったの1万2千字です。
残念だったね、ばやしくん(4)。君の予想の20分の1しかないよ。短くて読みやすいね?
まずはじめに、僕の水泳人生を振り返っていきたいと思います。正直記憶が曖昧なので事実と少し異なる点があるかもしれません。ご承知おきください。
ぼくが水泳を始めたきっかけは、たしかぜんそく予防とかだった気がします。4歳くらいの時ですね。
それから4泳法を順番にやっていって、小1くらいの時に育成コース(選手コースの一個下)、小3くらいのときに選手コースに行きました。
と聞くと結構そのころはそれなりに速かったんだろうな、と思われるかもしれませんが、そんなことは決してなく、クラブ内のものも含めて全国大会なんて夢のまた夢、みたいなびみょーな感じでずっと続けていました。
そもそも、モチベーションが完全に終わっていて、毎日1秒でも早く帰ること、少しでも楽に練習を乗り切ることしか考えていませんでした。完全に行かされているだけでした。
当然、水泳は全く楽しくありませんでした。
そんな状況で速くなれるはずがありませんよね。
実際、周りからはどんどん置いていかれ、後輩からもどんどん抜かされていく日々でした。
やる気ない→速くならない→今まで勝っていた相手に負ける→もっとやる気なくなる、という悪循環に陥っていた気がします。
自分のことではあるんですが、悔しいという気持ちはなかったんですかね?
もっと速くなりたい、という気持ちはなかったんですかね?
どうやらなかったみたいです。
そんなふうに水泳を続けていたので、小学校高学年くらいの頃に限界が来ました。
祖母に車で送ってもらってクラブに向かう途中、涙が止まらなくなって、体が震えて動悸・息切れがするようになったんです。
その時は、コーチや祖母と話し合って、とりあえず入水だけしてみるか、となりました。泳いでみたらなんとか泳げたのですが、このままでは水泳が続けられないのは明らかでした。
それからしばらくして、祖母が別のクラブを探してきてくれました。
そっちに完全に移ったわけではなく、今までのところをメインに、新しいところに時々顔を出すみたいな感じで行くことになりました。
クラブといっても、15mプールで、数えるくらいしか生徒がいない、そんなところです。今はもう全然変わってるみたいですが、、、
これが僕にとって大きな転機でした。
ここでぼくは、はじめて「考える水泳」と出会いました。
「考える」というのは、単純にひとつひとつの動作を、フォームを考えながら泳ぐ、ということです。
何をいまさら当たり前のことを、と思われるかもしれませんが、当時のぼくは本当に闇雲に泳いでいました。
コーチから指導をいただくこともあったはあったんですが、やる気がなさすぎて定着する前に忘れていました。
本当に後悔しています。
そんなぼくですが、新たな環境ではなぜかフォームの話が入ってくるようになったんですよね。また、自分で考えて泳ぐということもやるようになりました。(なんか書いてて低レベルすぎて恥ずかしくなってきました。)
当時の新田先生、土上先生には本当に感謝しています。お二人がいらっしゃらなかったら、現在の僕は全く違った人生を送っていたでしょう。おそらく、水泳とは無縁な。今、本当に楽しく水泳を続けられています。その節はありがとうございました。
ここまできてようやく、水泳って少し楽しいかもしれない、と思うようになりました。
ですが、ここまでの積み重ねがないことがとても厳しく、あまり芳しい結果を残せないまま高校3年を迎えました。
ラストシーズンでなんとか長水路のベストは出すことができたんですが、短水路のベストは高2のタイムのまま最後は更新できなかった気がします。
少し話は逸れますが、なんで400IM/200Bkをやり始めたかって話もこの辺でしておきます。
クラブで同期が4人いたんですが、彼らが4泳法ひとつずつ速かったんですね。
それで、クラブの対抗戦で得点の最大化のために、比較的誰も出ない種目に出ることにしました。それがきっかけです。
気づけばよんこめとは長い付き合いになってて不思議な感じです。
閑話休題。
話を元に戻して、ここからは大学でのお話。
1年間なぜか時が飛んだんですが、まあ大学に入学しました。
OBの新保さんがクラブの先輩だったので、なんとなく水泳部の存在は知っていて、泳ぎたくはあるからなんとなく行ってみるか、という感じで体験に行きました。
最初は、大会に出るのはもういいけどとりあえず泳ぎたいなあ、くらいのノリです。Swimming for health(←高校の同級生が僕にずっと言ってきてた)って感じ。
でも、体験に行ってみて、その考えはガラッと変わることになります。
驚きの連続でした。
まず、羽根つき飛び込み台が完備されていて、一年中使えるプールがあるという環境に驚きました。
そして、みんな速すぎるくないか?ということに驚きました。
インハイ?インカレ?ふぇ?
あと、颯太郎も言っていましたが、みんなゴリゴリすぎるくないか?
ほんまにこいつら東大生か?
さらには、みんな相当「考え」ながら泳いでいるということにも驚きました。
フォームの感覚的な話はもちろんのこと、なんちゃらかんちゃら筋を拳上するとうんたらかんたら~みたいな細かい話までしていて、すごいなあと思ったのを今でも覚えています。
しかも、異なるレベル帯の人が分け隔てなくそういう話をして、アドバイスし合ったりしていたんですね。
これは速くなれる環境だわ。
ここでなら、高校のベストを更新できるかもしれない。そう思って入部を決めました。
ですが、実際にベストを出すまでは長かったです。
1年生。
一年生の頃、周りがぼくに抱いていたイメージは、理ロシ、練習中の声出し、ですかね。←水泳全く関係ないやん
ブログでは理系ロシア語クラスネタを擦りまくってましたね。最初っからこれなんでね。
そうそう、投稿日の大学生ブログランキングPV数1位を取ったこともありましたっけ。←タイトル詐欺です笑
↑なんで肩身が狭いかは当時の国際情勢を鑑みていただけると。。。内容ではこれについて1ミリも触れていません。
また、練習中の声出しが評価されることは個人的には驚きでした。
5秒前〜みたいなやつ。
小中の頃から、ずっと声出しはひとりで割としっかりやっていましたが、周りからは特に何も言われませんでした。
はじめて褒められたのでちょっと嬉しかったですね。
他大のマネージャーさんまで声出しでぼくのことを覚えててくださったのには、本当に驚きました笑。
今の競泳陣はみんな声出しながら練習してて、すごい良い雰囲気だと思います。
ここまで水泳関係なさすぎるので水泳にも触れておくと、、、
入部してから1年間のブランクは相当大きく、練習が遅すぎることに唖然としました。
こんなサイクルすら回れないのか、、、という毎日。
一旦レースには出ず、練習を積んだ方が良いな、と思って、2021シーズンの間はレースに出ませんでした。
これがひとつ目の間違い。
今となっては絶対に出ておいた方が良かった、と思って後悔しています。
早めに現実見るべきでした。
また、場数は踏めるだけ踏んだ方が良い。
1年生最後のトピックとしては、役員をやるようになったってことですね。
↑はじめての役員。
当時は学連担当の人のみが講習を受けてレースで協力競技役員をやる、という感じでしたが、同期の学連担当の遼太郎、颯太郎はもっぱらチームの重要な戦力だったので、必然的にぼくが役員をやる比重が高かったです。
裏方が性に合っていたんでしょう(なんで?)。
日本選手権やジャパンオープンといった大きな大会の役員にも顔を出すようになりました。
↑これはインカレのときですね。なんでメガホンもってんの??
大きな大会に行くと、ほんとにモチベーションアップにつながるんですよね。
このあたりから、「学連担当」「役員」はぼくの代名詞のようなものになっていくこととなります。
こんな感じの1年生でした。
え?電磁気?知らんなぁ。
2年生。
相変わらずベストが出ない日々が続きました。
関カレはたしか新保さんに枠を譲っていただいてかろうじて出れました。
全国公に至っては出場すら叶いませんでした。
この年は地元金沢での全国公で、出場できず本当に悔しかったです。
せっかく来たから、ということで軽く泳いだんですが、懐かしのプールで泳ぎながら、自分が本当に情けなくなりました。
なんでベストが出なかったのか?
まず、継続できないという自分の弱さ。
練習に毎日行くことができず、遅刻も多く、無断もしばしば。本当にいろんな方にご迷惑をおかけしました。申し訳ありませんでした。本当にアホすぎて言葉もありません。
そして、キャパが小さすぎて、水泳以外のやらないといけないことがあると、途端に練習にいけなくなってしまうという問題もありました。
課題とかテストとか。そういうものを溜めがちということもあって、課題提出やテストと被っている時期はろくな結果を出せていません。本当に、本当にくだらない。
水泳の反省はこのくらいにして、裏方関連の話もしておきましょう。
まず、マネージャーにハマり始めます(なんで?)。
練習でタイムを取りまくってたし、大会帯同もしました。
なんか楽しかったんですよね。ほんとになんで?
別に泳いでいないわけではないですよ。
ただ、マネージャーで出席数稼いでいたら、後々問題になって怒られました。その節はすみませんでした。
冬六の当番校についても触れないわけにはいかないでしょう。
たしか、まさるさんでしたかね?冬六当番校の担当やらない?と言われました。
・・・LINEの履歴を振り返ってみると、完全に外堀を埋めた状態で、誰かやらない?とまさるさんに聞かれて、ぼくがやることになってました。。。恐るべしまさるさん。
まあそれは良いとして、準備は大変でした。東大はだれも学連に入っていなかったので、何にもわからない状態で、完全に手探りで始まりました。
でも、出場する東大の選手の負担は極力減らせるように頑張ろう、と強く決意したことを今でも鮮明に覚えています。←お前も選手ちゃうんけ????
役員でゲットした人脈をフルに活用しながら、いろんな人に助けていただいて様々な書類を作ったり、各方面と打ち合わせをやったりしてなんとか迎えた前日。
完全にぼくは冬六に出場しないものと思って、朝二食でみんなのタイムや動画を撮っていました。
そして、立教に向かい、前日準備を終えて差し入れのミスドを食べていると、、、
学連の大人「長谷くん出ないの?」
長谷「えっ、出ていいんですか?」
学連の大人「空いてるとこだったらいいよ〜何出たい?」
長谷「えっ、、、(大困惑)」
ぼくは自分が出場する余裕なんてないと思ってました。
それでエントリーもしていなかったんですが、急遽この一言により、200mBkへの出場が決まりました。
急に言われても、、、
出るんやったら昨日練習してたのに、、
2日も泳いどらんよ?泳げんのかなぁ、、、
そして当日。
朝のマネージャーミーティングに間に合わせるため、開門に立ち会ったあとすぐ入水して、一瞬でアップを終わらせました。
そして、本部席で進行等のお仕事をしながら(実は結構代わりにやっていただいたのでほぼ何もしてません)、レースの時間が来ました。
やっぱりかける想い(?)が強いと結果って出るんですかね。
なぜかすんごい頑張れて、大学ベストが出ました。
その後、運営の方に戻って、なんとか冬六を無事に終えることができました。
↑たしか閉会式の一幕。一番右が自分。
これは自分の中ですごく良い経験になったし、自信にもなりました。
そうそう、もうひとつだけ。これは書かないわけにはいかんでしょう。
ぼくはいま競泳陣内では、本名で呼ばれることがほとんどありません。
はせおだのまことだの呼ばれることが多いです。
それは、この年の都新春から始まります。
とりあえず、これを見てください。プログラムの役員一覧からの抜粋です。
以上。そゆことです。
朝のミーティングで「はせ・・・???はせお・・・???」と主任の方がなぜか僕の名前を呼ぶのに手間取っていて発覚しました。
このあと、金井(3)が
はせお_まことさん、すみません
とか言い始めて、はせお呼びが始まりました。
今では他大にまで伝わっているみたいですね。何なん?
まあ良しとしましょう。
ゆゆうま?それはまた別のお話。
3年生。
講義が増え、忙しくなってきました。
少し2年の話に戻ります。
追い出しのため2Sは勉強頑張ってたんですが、進振りを乗り越えてから2Aは比較的水泳に集中できていました。
その結果、3Sの最初の方はちょっとだけ調子良かったかな。
東部で久々にちょっとだけ良いレースができました。
エントリー順のおかげではじめてゲート入場もできて、楽しかったです。
が、依然として生涯ベストは出ません。
200mBkはちょこっと出たんですが、よんこめはずっと出ません。
高校生の時の自分が、本当にこんなタイムだしたんか?と疑いはじめるくらいでした。
さて、3年生で1番大きな出来事は、やっぱり七帝ですね。
↑詳しくはこちら。
会場をとる段階では、ぼくは冬六にかかりきりになっていたので、冬六が終わってから準備に参加しました。
冬六とは異なり、自分たちが主となって動かなければなりません。それだけにやることも多く、大変でした。
話は前日にまで遡ります。
前日準備が終わらず、無理やり切り上げて、ホテルで電話しながら夜中の3時くらいまで入場の打ち合わせをしていました。
そんな感じで、あまり寝れずに当日朝を迎えました。
会場に向かい、当然アップなどできず、レース10分前にサブプールで300mくらい軽く泳いで、そのままレースに向かいました。
それでも、例によって意外とタイムは良かったです。
不思議ですね。
寝てなくても、アップできなくても、いける時はいけるのかもしれませんね。強い気持ちさえあれば。
また、競技進行も初挑戦で、タイムテーブルも初めて組みました。
すると、午前の進行が早まりすぎちゃいましたね、、。
でも、昼休憩で修正して、午後バシッとちょうど良く進行できたのはかなり気持ちよかったです。
僕らの代から始めた男女選手マネージャーごちゃ混ぜの混合リレーや、スキンレース(長水路なのに)が盛り上がっていたのもすごく嬉しかった。
これが伝統になってくれたらなぁ、、。(今年もやってましたね!)
本当に多くの方々に手伝っていただき、なんとかやり遂げることができました。
神奈川県水連の岡田さんをはじめとする役員の皆様、学連の皆様、それから来ていただいたOBOGの皆様、そして、部員のみなさん、全員が一丸となって無事開催することができたと思います。本当にありがとうございました。
↑前日最後まで準備した組。みんな泊まったんじゃないかな?あのときはありがとうございました!
最後の役員終礼の時、気の利いたことの一つでも言おうと思ったんですが、その場にいる役員全員の顔を見渡して、これだけの人が手伝ってくださって大会が開催できたんだ、と思うと目が潤んできてしまって、、、
結局用意したカンペを読むだけで精一杯でした。
ぼくにとって、とてつもない経験でした。
冬六も含め、こんな機会をぼくに与えていただいて本当に感謝しています。
↑ゆうへい(2)、片付けまでありがとうね!中神さんもありがとうございました。
そんな七帝が終わると、まさるさんからこんなことを言われます。
「長谷おつかれ、これからは自分のためにがんばりな」
ああ、そっか。今まで俺ってそんなことほとんど思ってなかったな。
同期の中で、もっと言うと部の中で、自分は対抗戦の戦力として弱いです。
その分自分に何ができるんだろう?
このことを、折に触れて考え続けてきました。
ひとつが、裏方としての仕事。
役員をやること、他人のタイムや動画を撮るのはもちろんのこと、冬六・七帝の当番校の仕事なんかもこれに入りますね。
また、部の運営に関わる仕事。
例えば、ぼくだったら出席カウントのシステム管理とかが入りますね。
他には、練習を盛り上げること。
幸い(?)なことに練習に関しては、
「練習だけ速い」
「スイム以外速い」
「道具使うと速い」
「プル何なん?」
というような定評を小中のころからもらっていたので、練習を頑張ることでその練習の雰囲気を良くすることはできるかなぁと思っていました。
先述した通り、声出しもこれに入りますね。
でも、そんなことよりももっと直接的に部に貢献できることってありますよね?
そうです、速くなって戦力になって得点取ってくることです。
ぼくはどこかこのことから逃げていたような気がします。本当に何してんだ。
「自分のために頑張れ」
この言葉を聞いたころ、ひとつ上の学年の引退が近く、自分の残り時間を明確に意識するようになっていました。
そんな中で、今自分がやるべきことはなんだろう?
速くなることだ。
そう考えて、ラストシーズンに突入しました。
側から見れば大してぼくの態度に変化はなかったかもしれませんが、とにかくぼくはこんなふうに考えていました。
まあでもすぐには結果出ませんよね。それに学科の課外活動で1ヶ月くらい泳げない時期もあり、依然としてびみょーなタイムが続きました。
転機が来たのは、郡山合宿です。
それまで調子が悪かったのに、途中で急に良くなったんですよね。
たしか、100*6*3 1:30のATの練習だったかな。なにか掴んだ感覚があったんですよね。
そのあたりからガンガンに調子が上がりました。
泳ぎ込みの成果が出てきました。
そして、4年生。
講義も全くないし、研究室も行かなくても特に何も言われなかったので完全に暇でした。
なので、ずっと泳いでました。
そしたら、春六で急に生涯ベストを連発しました。
まじで嬉しかった。
特によんこめのベストがとりわけ嬉しかったなあ。
本当に辞めないでよかった。
ここからフィーバータイムに入ります。
春季公認も理工科も大ベスト。最高じゃんか。
と思ってたら、東部からベストが出なくなり始めます。
東部直前で足を突き指したことや、そろそろ研究室をサボれなくなってきたことなどが原因でしょう。
明らかに泳ぐ量が減り、水泳以外での疲労が多くなった気がします。本当にくだらないですね。何やってんだろう。
そして、今回の関カレにつながります。七帝は200IMでミニベスト出たけど、よんこめがなぁ、、。春季公認以降振るわない。
あとはラストレースのよんこめ1本しかありません。
時間はありませんが、できることをやるしかありません。
最後の最後まで必死にあがこうと思います。
さてさて。
長いですね。もう読むのに疲れてますよね?ちょっと思い出の写真でも見てもらいましょうか。少し休憩。
↑新歓動画撮影中
↑おそうじ♪
↑自分の腕を犠牲にする河童隊長。
↑ほんとにお疲れ様!!
↑みんなで役員あまりにええなあ
↑かわいい。※河童踊り当日の夜です
↑2001年・2001年度生まれ。。。多くないか?!
↑封筒詰め手伝ってくれたみんな、ありがとう!
↑えっ、どういうメンバー?
とっても懐かしい気持ちになりました。
では。
ここからは後輩の皆さんにお伝えしたいことを書いていきます。
たった1つです!他は忘れてもらって構わないので、これだけ覚えて帰ってください。
一回の練習の質を極限まで高めてください。
我々には時間がありません。
水泳だけをやるわけにはいかないし、仮に水泳だけをやるとしても、たったの3、4年しかありません。
まず、そのことに焦ってください。
そして、その短い期間で結果を出そうとすると、一回一回の練習が本当に大切になっていきます。
練習日記書いてますか?
動画撮ってフォーム確認を定期的にやってますか?
練習の中で目標タイムを意識してますか?
練習の目的をちゃんと把握していますか?
周りにアドバイスを求めていますか?
もっと練習の質を高めることはできないのか?
常に自分に問い続けてください。
もちろん、練習だけのことを考えるのではなく、あくまでレースから逆算した上での練習、なので、そこはお忘れなく。
必要だと思ったらメニューを改変することも大いに結構だと思います。
周りへの配慮はもちろん必要ですが、自分にとってできるだけ有意義な練習をやってください。
でもお前遅刻しまくっとるやんけって言いたい人がいっぱいいると思いますが、ぼくのことは他山の石としてください。
ここからはお世話になったみなさんにお礼を言いたいと思います。
まず、家族に感謝を言いたいと思います。
大学に行って、高校までよりも熱心に水泳をやっているのは不思議だったでしょう。でも何も言わずに応援してくれて、本当にありがとうございました。なんとか最後まで泳ぎ切ることができそうです。
また、競泳を通じて知り合った他大のみなさん。
大会の時に競い合ったり、お互いの大学の練習に参加したりして、本当に刺激になりました。ほんとに楽しかった。ありがとうございました。
そして、洲鎌総監督、富永監督、押切コーチ。本当にお世話になりました。
様々なレースで会場まで来て応援していただいたり、二食にいらっしゃって様々なドライなどの知識を提供していただいたり、ありがとうございました。
洲鎌さん、富永さんには七帝や冬六でも本当にお世話になりました。ご迷惑もおかけしていたと思いますが、お二人に温かく見守っていただき、なんとか無事に開催できたと思います。
押切さんには、何度もDMや対面でアドバイスしていただきました。押切さんがいらっしゃったおかげで、見るに堪えなかったブレが改善されました。本当に感謝しています。
また、OBOGの皆様。
日頃からご支援いただき本当にありがとうございます。皆様のおかげで恵まれた環境で練習ができ、レースにも出場することができます。少し私事ではございますが、昨年の七帝の際には本当にお世話になりました。大変感謝しております。
そして、一緒に練習した先輩方。
みなさんの作り上げてきた競泳陣の土壌で、ぼくは大きく成長することができました。本当にありがとうございました。
みなさんの背中を追いかけてきたつもりですが、なかなかみなさんのようにかっこいい先輩にはなれないですね。。。最後、全国公でバシッとベスト決めて有終の美を飾ろうと思います。
新保さんへ。
粟崎(当時のクラブ)の中でめちゃめちゃ速くて、その上東大まで行った、ということで本当に憧れの存在でした。新保さんがいらっしゃったことが競泳陣に入るきっかけとなったので、感謝しています。ありがとうございました。
まさるさん、光一さんへ。
学連関係では、本当にお世話になりました。まさるさん、光一さんがいらっしゃったおかげで、学連の方と仲良くなれた、というのは間違いなくあります。今のぼくの立場があるのは、お二方のおかげです。ありがとうございました。
みなとさん、まさるさんへ。
七帝実行委員長、副実行委員長!七帝では、本当にお世話になりました。あのときは、顎で使ってしまってすみませんでした笑。
一緒にスーツを着て町田のプールまで行ったことや、3人だけで打ち合わせをしたこと、レース後に22:00過ぎまでミーティングをしたことなど、今となってはそれなりにいい思い出です。
ぼく1人では絶対に無理でした。本当に感謝しています。
次の東京開催の七帝もよろしく頼みますね!笑。
※彼らは疲れていただけです。責めないでください
ひかるさんへ。
ウエイトや栄養の面でいろいろ教えていただいて本当にありがとうございました。ラストシーズンでのベストの一因は、間違いなくひかるさんからの知識だと思います。大変助かりました。
としやさん、じょうすけさんへ。
ぼくとバックで競ってくださってありがとうございました。としやさんは途中でバックから変わっちゃいましたが、、笑。なかなかバックをやる人が少なかったので、本当にありがたかったです。
そして、後輩のみんなへ。
一緒に練習してくれて、仲良くしてくれてありがとう。
みなさんは本当にどこまでも行ける可能性を秘めていると思います。
そして、競泳陣は速くなりたい人にとって最高の環境です。
絶対に結果は出せます。
目標を意識し続け、地道に努力すれば。
自分を信じて、頑張ってください。
引退しても、草葉の陰から応援しています。
周平、ゆうへい(をはじめとする学連担当のみんな)へ。
まだちょっとおいおい、、となることもたまにはあるけど、もう僕らがいなくても大丈夫そうですね。君らが育ってくれて、本当に嬉しい限りです。
ぼくから伝えたいことはひとつだけ。
仕事をやりすぎるな。
そもそもぼくがなんで選手辞めて学連入らなかったか?
どう考えても向いてる裏方の方になんで行かなかったのか?
それは、自分がベストを出す瞬間が1番嬉しいからです。これは何物にも変えがたい。
だから、選手を辞めるという選択肢は絶対ありませんでした。
もちろん、裏方として部に貢献するのに至上の喜びを感じるというのであれば、別にそれはそれでいいです(ぼくもそういう側面は少なからずあったし)。
大切なのは、自分が1番やりたいことはなんなのか?ってことです。
ぼくは、ぶっちゃけちょっと仕事やり過ぎちゃったなーもうちょいわがままでもよかったなあ、、って思ってます。
みんなはあとから後悔しないように。
まあ杞憂ならいいですがね。
これを踏まえた上で、学連や水連との今のような関係性が続くよう願っています。
市川へ
みるみるうちに気づいたら200mBkの枠を奪われてましたね。それでも練習ではまだ張り合えることもあるし、市川が色々考えていたり努力したりしている姿を見て、すんごい刺激になっていました。ありがとう。お前ならインカレも切れる。頑張れ!
周平へ
学連関係はもちろんのこと、練習もロングや火夜で一緒のことが多く、周平とは話す機会が多かったですね。また、多くの刺激ももらいました。隣でプルをやったり、エンドュランスをやったりする時に、めっちゃ頑張れました。学連関係は頼んだ。選手としても期待しています。周平ならいける!頑張れ!
ゆうへいへ
学連担当で、特に同じ当番校責任者、という立場から、話をしたりご飯に行ったりすることが多かったですね。東部、それから六大学頼りにしてます。頑張れ!
あと、早く復活して植村パイセン倒してくれよ!お前ならできる!
最後に、同期のみんなへ。
みんなと同期になれて本当によかった。今までありがとう。
いろんな奴がいたけど、みんな最高でした。
迷惑かけることも多かったと思うけど、その度に叱ってくれたりして、感謝しています。
あと少し、全国公までよろしく!
ばやしへ
一緒に水中動画撮りあったり、ラーメン食いに行ったり、1番話すことが多かったと思う。フォームの話だったり、ウエイトや栄養面での話など、競泳に対するばやしの真摯な姿勢を見て、ぼくは何度も反省し、自己を改めることができました。御殿下に行けウエイトを始めろって何回言われたかわからん。本当に感謝してます。ありがとう。一足先の引退にはなってしまったけど、まだ応援とかあるよな?
全国公まで共に戦おう。
きんぐへ
お前は曲者揃いの競泳陣の中でも、とりわけ異彩を放ってた。えっ、どゆこと?と言いたくなるくらい。マジでおもろかった。特に火夜は最高だった。あと俺らの出るレースは全国公だけになっちゃったけど、頼んだぞ!陣長!
遼太郎へ
主将お疲れ様でした。そして、ありがとう。ぼくは練習態度とかで幹部代の足を引っ張ることが多かったと思います。本当に申し訳なかったです。それはそれとして、同じ学連担当として、一緒に頭を抱えることも多かったですね。冬六の時も、七帝の時も、遼太郎がいてくれて本当に助かりました。ありがとう。でも、ことあるごとに「学連入らないの?」と言ってきたことはさすがに許せんけどな!笑
あとちょっとになってしまったけど、最後までよろしく!!
しんちゃんへ
よんこめとかいうクソキツい訳のわからん種目を続けてこれたのは、ずーっと一緒に泳いでくれたしんちゃんのおかげです。ほんとにありがとう。しんちゃんのタイムの伸びは、本当にすごかった。特に生涯ベスト(4:57)を抜かれた時は本当に焦りました。負けてたまるかって気持ちで、なんとか今まで泳げた気がします。
ラストレースも同じ組のようですね。
最後一緒にベスト出して、笑顔で引退しよう!
長かったブログも終わりが近づいています。
僕に残された時間もあと少しです。
あとは、全国公、よんこめ1本、だけ。
いつも通りに。
でも、いつも以上に。
自分のレースをやりたいと思います。
自分の水泳人生の集大成と言えるような1本にします。
これまで関わった全ての人に愛を込めて。
ではでは。
東京大学運動会水泳部競泳陣4年
長谷雄真
Be One