お疲れ様です。

大変長らくお待たせしました。今回のブログは、4年の近澤が担当します。

 

今日は練習に、OB2年目の小島さんと樋口さんがいらっしゃって下さりました。4年生に労いの言葉をかけており、先輩の持つ余裕や優しさを感じました。ありがとうございます。

 

今日はドライは自由、スイムは佐々が担当でした。

スイムは全国公前ということでスプリントとドリルが多めのメニューでした。去年の七帝戦で生涯ベストが出たときの体の脱力具合を再現しようと頑張っていますが、こんな感じだったかなあといつまでも疑問符は取れません。むしろそういうこと考えない方が脱力できるんじゃ?と言われると、そりゃもはやシロクマのリバウンド効果みたいなもんでどうしようもないなあと諦めざるを得なくなります(分かんない人はググってください)。ただ、大きく楽に泳ぐという感覚は取り戻しつつありそうなので、この感覚をなんとか維持したいですね。

 

また、練習後には大会に出場しなかった部員のための部内記録会が執り行われました。

河村が主催となって会を仕切っており、記録会にかける情熱をひしひしと感じました。河村と原は学連の格好をして記録会の手伝いをし、体育チームから音響機器を借りてきて音源やマイクを使用するなど、細部まで凝った仕様になっていて非常に良かったと思います。将来的には以前原のブログで紹介のあったタッチ板やらスタート台の羽やらが装着されて、より本格派志向の「メインプール」が出来上がるのでしょう。

記録会の結果は以下の通りです。

 

男子200IM

安達陸(1)2:25.19

井出龍之介(1)2:32.23

 

男子400Fr

新保幸輝(1)4:27.69

 

男子100Fr

初田将吾(1) 57.94

 

男子200Fr

八代大智(練習生)2:08.70

 

男子100Fly

神谷啓介(3)1:01.53★Best★

吉野仁奈人(1)1:05.14

 

男子50Br

寺崎友規(4)31.86

 

女子50Br

田中希実(1)40.41

 

男子50Fr

遠藤春哉(2)26.98

米田蘇鉄(1)24.87

 

男子100Ba

小髙滉人(2)1:01.40

安達陸(1)1:09.52

 

男子100Br

井出龍之介(1)1:10.66

 

どの選手も力強い泳ぎで頑張っており、好タイムを叩き出した選手もいました。選手層はやはり1年生が多かったですが、大きな伸び代を持っていることは間違いないので、来シーズン以降しっかりトレーニングを積んで立派な選手になってくれたらと思います。

 

そして!本日をもって、今シーズンの二食下プールでの練習は終了となりました。4年生は特に大学水泳最後の練習となり、感慨深さを各自噛み締めていただろうと思います。俗に言うエモいというやつですね(最近使えるようになった言葉なので使ってみました)。

当の僕も、最初こそ古臭くて風通しの悪い二食下プールに馴染めずにいましたが、今ではホームグラウンドとなって非常に馴染み深いものとなりました。ここでの辛くも充実した練習の日々が思い起こされます。この生活が今後訪れることはないのかと思うと、寂しさに胸が熱くなります。水泳部マジサイコー!卍!(最近使えるようになった言葉なので使ってみました)

 

せっかく最後なので、同期で集合写真を撮りました。由真の猟奇的な表情とぶくぶく沈んだ(太った?)長谷川が個人的にツボです。

河越はまさかまさかの体調不良により欠席でした。全シーズンを通しても出席率が限りなく100%に近い彼がこんなタイミングで発熱することになるとは、大変残念です。お大事にしてください。まあそれはそれとして、同期仲の良さが見る側にまで手に取るように伝わってくる、良い一枚だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長く在籍した組織から身を引くにあたり、「ここにいて本当に良かった」と言い残す人がいます。ここ数日の一連のラストブログ群も、要は手を替え品を替え「この部活にいて本当に良かった」のバリエーションを重ねているようなものである、と言うことができます。では彼らは「この部活にいて本当に良かった」と本当に思っているのでしょうか。引退する人は、組織に在籍するというある種の負担から解放されるようなものであり、多かれ少なかれ幸せそうな表情を浮かべているものです。しかし、それは必ずしもその組織への総合的な評価とイコールで結ばれているとは言い切れません。本人は解放の喜びに洗脳されて評価を見誤っているだけで、幸福度の総和はもしかしたら負の値を示しているかもしれません。損切りできるという意味でそのような言葉を吐いているとしたら、そいつはとんでもないサイコ野郎です。

また、当たり前の話ではありますが、ラストブログは純度100%の生存バイアスがかかった感想が並べられるばかりで、部活を辞めていった・続けることのできなかった人たちの思想や、「部活を続けなかった世界線」の自分が有した思想は決して語られることはありません。部活を辞めていった人たちは何かしらの形で「ここにいて本当に良かった」の結末を遂げられない、或はそれ以上に求めんと欲する結末を追いかけたいという価値の比較衡量を行った上で部活を辞めたわけですが、彼らは己の幸福度を勘違いしたまま部活を続けてしまった人よりも余程合理的で健康的な選択ができたとは言えないでしょうか。彼らの胸中は他人事として推し測り理解することはできても、その事象理解の過程で捨象されてしまう、決断に伴う主観的な重さを直観することはおよそ不可能です。

これは「終わり良ければすべて良し」みたいなノリと勢いだけで済まされるべき問題ではありません。せっかくのラストブログなのだから、どっぷり感情移入しながら筆者のアツい思いに共鳴しようと試みるのは、読者の姿勢としては何一つ間違っていませんし、むしろそうあるべきだと当然思います。しかし同時に、そこに並べられたアツい思いに心だけでなく理性まで奪われて、金科玉条の如く崇め奉るような態度はあまりに冷静さを欠いており、合理的なリテラシーを持ち合わせたものであるとは言えないとも思うのです。読者の皆さんは、僕らの「魂の叫び」に「騙され」てはいけません。

注意喚起を促したところで、徒然なるままに心に浮かんだ由無し事をつらつら書き残そうかと思います。

 

 

 

全体主将としてこのような発言はふさわしくないかもしれませんが、部活動も所詮は大学生活を充実させる手段の一つに過ぎません。外に目を向ければ、部活に入って運動に生活を捧げずとも大学生活を謳歌している人間の方が圧倒的にマジョリティです。サークル、学生団体、留学、バイト、インターン…可処分時間が恐らく人生で一番集中しているこの大学生活において、充実のさせ方・謳歌の仕方は人の数だけあると言っても過言ではありません。

水泳による選抜を経たり水泳をするために東大に入ったわけではもちろんないので、水泳の実力や水泳に対する熱量について部員により大きな幅があるのが東大水泳部の特徴となるのは当たり前です。そうだとしても、水泳部員であるということは、数ある選択肢の中から水泳部を選び、水泳に携わり続ける大学生活を送ると決めた意思表示に他なりません。逆に言えば、水泳に対しこだわりがないならば、この組織に居続けることはもしかすると合理的な選択とは言えないかもしれません。

 

水泳が今後の人生で直接役に立つことは(水泳関連で生計を立てる以外には)まずありません。水泳で培った肺活量や筋力、体の動かし方、さらに筋骨の構成や栄養などの知識は、残りの人生においては「教養」とか「趣味」みたいな差し障りのない言葉に集約されてしまいます。キャリアパス構築にあたり直接役に立つようなことを学びたいなら、部活という組織の提供するサービスはとてもコスパの悪いものであると言えます。それこそそのような事項はインターンや留学、学生団体参画のようなことをする方が余程回り道をすることなく体得されるわけです。

それでも水泳部に居続けることにはそれなりに意味があると、僕は考えます。

ほんの一例にすぎませんが、例えば個人競技たる水泳をチームでやる意味は、何人かの同期が以前ブログで言及した通り、仲間の間で生じるシナジーにあると思います。そもそも努力をする上でうまくいかないことは起きて当然です。殊に水泳のような個人競技は、自分の努力の過程が全て自分の結果として帰着するため、失敗の重みも当然全て自分が受け止めることになります。加えてその評価基準は「時間」という非常に明瞭なものであり、その一切の曇りのなさは時に選手の自尊心を完膚なきまでに破壊し尽くします(「残酷」という文学的表現がタイムに対し用いられるのはこの側面のために絶望を味わってきた人が少なからぬ量いることを示唆しています)。タイムを伸ばす、ただこの一つの目標のためだけに凄まじい負荷を心身にかけるため、辛い、苦しい、辞めてしまいたいという思いは幾度となく脳裏をよぎります。

努力は成功を叶える上での必要条件に過ぎず、必ずしも報われるとは限らない(むしろ報われないことばかり)。ならば、ダメなことばかりで報われにくい現実を直視して受け入れつつ、それをブレーキではなくアクセルとして捉え直す端緒があれば、辛くても努力を続けられそうだ。そんなとき自分を励まし支えてくれるのが、仲間の存在です。タイムを伸ばそうと同じく努力する仲間と知識の共有や問題点の指摘をし、ともに高みを目指す心を確認し合う。そうして切磋琢磨し励まし合う中で、モチベーション向上のシナジーが作用します。「あの人が頑張っているし私ももう少し頑張れるはず」「あの人みたいになってみたい」「あの人には負けたくない」などの感情が、小さく燻る火種を火焔へと変身させ、奥歯を噛み締めて頂へと這い上がる力となるのです。

モチベーションというのは、考えてみればとても燃費が悪いものです。自分の意志に関係なく激しい上下動を起こし、維持する努力を要するため、原動力とするにはなかなか厄介な代物です。しかし、かかるシナジーによりブーストしたモチベーションが己の中で燃えたぎる限り、そこに敵と呼べるほどの存在はいなくなるのです。自分と向き合うにあたり他人とも向き合ってみる道を、この環境は教えてくれたということができます。

 

 

学んだのは水泳からばかりではありません。最高学年となり、幹部代で色々話し合いをして感じたことの一つに、不確実性による現状維持のインセンティブは予想以上に強く作用するということがあります。つまり、何か変革が起こる前は、変革によるリスクが実現することを恐れて反対する声が出る一方、変革が起こった後は、それがある程度軌道に乗ると今度はそれを覆さないようにしようとする力学が働くということです。人間誰しも安定性を求める本能があるのは当然なので、そのような雰囲気の流れが生まれるのは仕方のないことだとは思いますし、それを咎めるつもりはありません。しかし、それが積み重なって慣習・風土となることに、僕は些かの不安を感じます。

以前ブログで書いたような気もしますが再度言及しておくと、僕は伝統を、それを理由として保護の対象とする思想に疑問を覚えています。伝統とは、数多の時の試練をかいくぐり現在にまでその存在を保ったことに対する敬意という評価のことであり、伝統を守るために行動を起こすというのは評価ありきの行為となってしまい本末転倒です。僕らはあくまで理性的に振る舞うべきであり、そのために取るべきリスクがあるなら取らなければなりません。不確定性の霧の中をさまよう僕らに必要なのは、命惜しさに立ち竦む本能と怠惰ではなく、突破口に辿り着かんとして一歩踏み出す理性と勇気なのです。

僕の代が幹部代となり、部則やその他ルールについて様々な場面で議論が発生しました。僕らなりに部活のあるべき姿について考え、実行に移したつもりではありますが、完璧からは程遠い結果であったかもしれません。各学年ごとにその代のカラーが部に反映されるわけですが、代々受け継がれてきた「よくわからないもの」を打破してこれたのか、正直よくわかりません。シーズンが始まる前に部則をある程度整えはしたものの、それが何かしらの形でこまめにチェックされ微調整されたことは僕の記憶の限りではありませんでした。とどのつまり、僕らも現状維持のインセンティブという檻の中に閉じ込められたままだったと言わざるを得ません。

低学年のとき、幹部代のやることなすことをよく批判してきました。合理的に考えておかしい実態があるのになぜか改善がされないことを糾弾してきました。目の前の退廃的な現実に目を背け、自分に都合の良いことばかり考え、事なかれ主義を貫き続けた人たちを裏で感情に任せて叩いてきました。しかし、いざ自分たちが幹部代になると、考慮すべき事柄の多さ、不透明な優先順位、どう転んでも先の見えない損得勘定の曖昧さ、そしてそれを実行することにより発現するデメリットに対し自分は傷つきたくないと必死に自己防衛しようとする過剰な怠惰と恐怖心に辟易し、ただ時間による解決に委ねてしまうという事態が何度もありました。その場その場で下してきた数々の判断も、後から見返せば反省の余地が大いにあります。上の代の味わってきた苦労を理解すると同時に、そこに(頭で分かっていても直観的な)理解を及ばせることのできなかった自分の幼稚さを恥じました。偉そうなことばかりいいながら、火事場に遭遇したらその炎の勢いに立ち竦んでしまっている自分の不甲斐なさを悔いるばかりです。

そしてこれは弁解ではなく、一つの懺悔であることを誤解のないよう言い添えておきます。これは自分や上の代がしてきた間違いを擁護し、正当化しようとする趣旨のものではありません。自分が今後の人生で同じようなことを繰り返さないため、後輩たちが同じ轍を踏まないようにするため、そして自分たちの至らなさにより種々の不利益を引き起こしたことに対する謝罪のために、ここに書き残しておくわけです。下の代には、僕ら(及びそれより上の代)の数々の悪行を反面教師として、より善い部活を築いてくれたら幸いです。

 

 

こうして思うところを脈絡なく書いていますが、つまるところ僕も他の同期と同様「この部活にいて本当に良かった」側の人間です。大学生活を語る上で部活は切っても切り離せない存在となりましたが、常にハッピーだったわけではありません。先ほど、部活を辞めると決断を下した人の胸中は畢竟理解できないと言いました。しかし、決断に至るまでの惑いや悲哀、痛みや苦しみを直観することはできます。部員全員が部活を辞めることを考えながら部活に来ているわけではもちろんありませんが、そのような逡巡の先に待ち受ける結論は、ほんの紙一重の差でどちらにも転び得るのであり、それほどに揺らぎの多い運命の岐路に立たされてきたと思っています。それに部活にそれなりの頻度で出ていれば、誰もが何かしらの悩みに直面することになります。どんなに努力しても報われない、人間関係が思い通りにいかず心が疲弊する、ここまで生活を捧げることに意味があるのかと問い始めて道を見失ってしまう…。これに進路や成績など一般的な大学生の悩みも加えれば、美しいほどの四面楚歌の出来上がりです。のっぴきならない現在に何度も足元を掬われ、息の詰まるような苦悩に実存を抹消されてしまいそうな日々の苦汁は、程度の差はありますがどの部員も味わってきただろうと思います。

しかし、それでも僕はこの部活で生活できた経験をを自信を持って肯定することができます。ここで培った人間関係は、生涯に渡り僕の良き理解者となるでしょう。困難を乗り越える上で身につけた知恵と体力は、今後の生活を生き抜く武器となるでしょう。一喜一憂の中で流した幾筋もの涙は、不意に訪れる夜を照らす灯りとなるでしょう。

僕のたどり着いた地点は結果論にすぎませんが、このような結果論を享受できた僕は幸せ者であることに間違いはありません。

 

 

そして何より、ここまで部活を続けることができたのは、実に多くの人の支えによるものが大きいと言わざるを得ません。僕はそもそも大学では水泳を続ける気はありませんでした。高校でも水泳部に所属していましたが、厳しい練習を大学に入っても続けるビジョンは入学当初はかけらも持っていませんでした。しかし、高校の水泳部で関わりのあった方々(秋野さんや成澤、P)の誘いを受けてなんとなく入部することとなりました。そこで出会ったのは、現役部員を陰ながらも甚大な助力によって応援してくださった監督やOBOGの皆様、小生意気で無礼な僕を諭し力強く導いてきた頼もしい先輩方、後には部活に溢れんばかりの活力をもたらし人懐こく接してくれた後輩諸君、選手のサポートにひたむきに献身してくれた優秀なマネージャーの方々、そして紆余曲折を経ながらも山あり谷ありの生活を共に乗り越えてきた素晴らしい同期たち…。どの人たちも良い(意味で変)人ばかりで、人間理解の助けとなることが多かったです。非常に恵まれた物的・人的環境下で、とても充実した学生生活を送ることができたと確信しています。深く感謝申し上げます。

 

 

僕は何かにつけて優れた人間ではありません。大人の事情によりシーズン途中から全体主将を務めさせていただく運びとなり、今まで部活をしてきたわけですが、模範的な振る舞いができたかと言われるととてもそんな自信はありません(思い当たる節もありません)。冬場はしんどすぎて部活に来れないこともしょっちゅうありましたし、選手としても決して優秀な成績を残せてきたわけではありません。その当時の僕としては出来る範囲で頑張ってきたつもりでしたが、この期に及んで「なんでもう少し頑張れなかったかなあ…」と悔やまれることが多いです。他者に寛容でいられたかと言われるとそうではなかったような気がしてきますし、感謝されるようなことをしてきたとも思えません。名ばかりの立場ばかり先行していますが、部員の皆さんをヒーローとして引き立てるザコキャラのまま、ここまできたんだろうなあと思います。それならばせめて、カッコいいザコキャラとしてこの部活を去ることができれば本望だなあと、今は思うばかりです。

 

 

 

僕の水泳生活も、数日後の全国公をもって一旦終わりを迎えるわけですが、そのときまで、あとちょっとだけ、カーテンコールはお預けとさせていただきます。最近の大会では惨憺たる結果ばかり出ていて、とてもこんな結果で幕を閉じるわけにはいかないなという焦燥感に駆られています。いやーやっちゃったよーなんて皆さんの前では戯けていますが、内心ショックすぎてその場で崩れ落ちるんじゃないかと思うほどの屈辱と悔しさに打ちひしがれていました。残された時間は僅かですが、できる準備は全て尽くして当日を迎えたいですね。観客の拍手喝采を誘うような、悔いのないレースができたらいいなあと思っています。

 

 

 

 

さて、今回はラストブログということで、当ブログ上で皆さんにお会いするのはこれで最後となります。僕は普段のブログでは次回皆さんに再びお会いできることを期待して「ではまた」と締めてきましたが、皆さんと文面上でお会いすることは今後ありませんので、最後は別れの言葉「さようなら」で締めたいと思います。

では、

 

 

 

 

 

 

 

さようなら。

 

 

 

 

 

 

 

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