〜練習後の一幕〜



寺崎「俺、練習頑張ってんもん(天文)」

長谷川「それじゃあ今日も4個メやってもらおうか(応化)」

神谷「ちょっと待てこう!(マテ工) 河越さんもやりたがってます」

河越「イヤ〜待って(山手)くれよぉ〜」

吉野「先輩たちが揉めてる。困っと(駒東)」

佑奈「あららん(呆れ顔)」

神谷「お疲れさマテ〜」



こんな光景が見られるのもあと僅か。
本日は4年のサッサがラストブログをお送りします。


いやあ、まいったね。。。




まずは練習について。
ドライはFP、スイムは関カレに向けた調整メニューでした。先週土曜のレペでは好タイムで泳いでいた部員が多かったように思います。今シーズンも残りわずかですが、皆で良い結果で締めくくりましょう!






さて、ラストブログです。
ここ数週間どんなことを書こうか考えていたのですが、いまだに答えは出ません。
正直、無難なことだけ書いて終わらせようかとも思いました。しかし、昨日までの同期のブログを読んだら、そんなんじゃ駄目ですね。最後くらい、水泳に対する想いや3年半の水泳部生活で学んだこと、僕と関わってくれた方々への感謝。そういったことを赤裸々に綴るブログも悪くないと思いました。
小っ恥ずかしいですが、引退スピーチの場で話すのはもっと恥ずかしいので。笑
真面目な文章を書くなんて柄でもないのは僕自身よくわかっていますが、一生懸命書くのでお付き合いください。




そもそも僕は入学前の時点では大学で水泳をやるつもりは特にありませんでした。高3の都高校で引退して、それなりに納得できる形で水泳はやりきったと感じていたので。


でも僕が東大に合格したことを知った当時練習生の汐織さん(小学生の時にスイミングクラブが一緒だった)経由で秋野さん、続いて牧野さんからもLINEが来て、気がついたら体験練習に参加してました。
牧野さんとは高校時代に大会で隣のレーンで泳いでいたこともあって、最初からとても接しやすかったです。懐かしいですね。笑


たった一度練習に参加しただけで、沢山の速い先輩たちに憧れて、自分ももっと速くなりたいという気持ちが芽生えてきて、その日のうちに入部を決意しました。やっぱり自分は水泳が好きなんだな、と再認識しました。まだ3月のことでした。



(中略)



5月。朝練後の電車内で、吊り広告を見た寺崎がボソッと言った。

「お、あれ、シゲじゃん」

寺崎が指差す先に写っていたのは、綾野剛。

それからの1年弱は、東大水泳部の綾野剛として活動させていただきました。

「たしかに!!似てんじゃん!」と言ってくれた史悠さんみたいな人(むしろ史悠さん以外思い出せない)がいる一方、
「は?どこが似てるんだよ」「調子乗るな」「お前はあばれる君に似ている」(←これ言ったの秋野さん😡)などと言う人が大多数だった。
謂れのないバッシングを受ける芸能人の辛さを痛感した時期だった。

この1年生の時期を「綾野剛期」と名付けましょう。



もう辛いなぁ、芸能活動引退しようかなあ、と悩んでいた頃に転機が訪れた。



新2年生になる頃、新歓期。僕はある同期と共に新歓大臣に就任した。

そうですね、、、僕の相方の新歓大臣はすでに辞めてしまった部員なので、名前を出すのは控えましょう。
便宜上、彼女のことをAさん、、、いや、Bさん、、、いいや、Pと呼ぶことにします。



(中略)



まあそんな流れで、Pとは少し関係がギクシャクしてしまった。
たぶん、テント列当日の朝に「ウエイト行ってくるわ〜」と言ってしまったのが良くなかった。
Pは「ピーーーーーッ💢」ってなってしまった。


振り返ると、当時の自分の未熟さに気付かされる。(今でも未熟な人間であることに変わりはないが。)
相手の考え方とか、自分の行動がどう思われるかとか、そういったことにもっと配慮すべきだった。


「結(ゆい)」という言葉がある。

農村社会で古くからみられる、構成員一人一人が助け合い、協力して田植えや稲刈りをするような労働慣行を指す言葉だ。

「結」はまさしく新歓活動の本質を突いている。一人では決してできないほどの多大な労力が必要な仕事を、同期全員で協力しあって成し遂げていく。立て看板やパンフレットを製作したり新入生に勧誘メールをばらまく作業が田植えだとすれば、まんまと引っかかった新入生を水泳部に引きずり込むのが稲刈りだろうか。

とにかく「結」は大切で、美しいものだと学んだ。



今思うとPは僕の人間としての成長を促してくれたというか、とにかくこの新歓期は僕の人生における大事なレッスンとなった。


本当ならその反省の気持ちを、謝罪の気持ちを本人に直接伝えたかった。でも、勇気が出なかった。そうこうしているうちに、彼女はスイスに行ってしまった。追いかけることも勿論考えた。しかし僕の臆病な心はそれすら許さなかった。

数ヶ月が経ち、彼女は帰国した。
帰国直後、偶然にも本郷通りでこちらに向かって歩いてくる彼女を見かけた。
(今が最後のチャンスかもしれない…)
意を決して声をかけた。


俺「おお、久しぶり!」
P「わぁ、久しぶり〜😆また今度遊びに行くね〜っ!😉」
俺「おう!待ってるわ!(ファッ!?遊びに来るってどこに!?)」


、、、とまあこんな感じで今では全然仲良くやってます。


この時期を「P期」としましょう。
(同時期の寺崎の「ピーティー期」と混同しないように注意!)



(中略)



そして今、引退レースを目前にしながらこうしてブログを書いているのです。
僕は関カレ・全国公ともに200個人メドレーと200背泳ぎに出場します。

以下、大会に向けての抱負をインタビュー形式でお送りします。


──ついに関カレと全国公でラストレースを迎えるが、自己ベスト更新の自信はあるか。

「そうなればいいね。シーズン序盤から繰り返し言ってきたように、関カレと全国公は非常に重要なコンペティションだ。もちろん個人としても最高のパフォーマンスを見せたいが、最も重要なのはチームの勝利だ」


──今シーズン継続的に取り組んできた個人メドレーについてはどうか。

「非常にタフなレースになるだろう。ブレストのクオリティが圧倒的に欠けているからね。だがレースが始まればそんなことは問題じゃない。重要なのはトータルタイムだ」


──最後の大会で背泳ぎに出場するというのはある種のサプライズだったが。

「専門種目ではない背泳ぎで引退するとは1年前は想像もできなかった。でもフットボールの世界ではあらゆることが起こる。
背泳ぎに出場することが決まった時は情けなくて、正直レースをばっくれたかった。バックだけにね。
でも今は気持ちを切り替えている。いつまでも下を向いてはいられないから、自信を持って上を向きたい。背泳ぎだけにね」


──あなたは今夏で引退せず、来シーズンも部活に参加するという噂も流れている。現役続行を熱心に説く後輩もいるそうだが。

「そういった声があることを理解しているし、偉大な部活に関心を持たれることは光栄だ。全ての可能性に扉を開いているが、現時点で具体的なオファーは届いていない。何が起こるか見てみよう」


──最後に伝えたいメッセージは。

「OB・OGの皆様、お世話になった先輩方、愉快な同期、仲良くしてくれた後輩のみなさん、交流のあった他大学の方々、縁のコロちゃん。全ての方への感謝の気持ちを込めて。今までありがとうございました」



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