歴史を鑑みる時。
そこに現代の理屈を当て嵌めてはいけない。
時代時代によって常識は違う。
現代の常識を過去に当て嵌めても、それは無理があるというものなんや。
何故、明智光秀は織田信長を討ったのか?
パワハラ、モラハラというのは、いくら何でも現代常識に当て嵌めすぎと感じる。
明智光秀というのは有能な人間だったと思うし、単純に主君を討つという暴挙をする人物とは思えない。
じゃあ、何故、フルボッコにされるであろう暴挙に出てしまったのか?
当時の常識として、天皇の権威、というか朝敵になるというのは屈辱的な出来事だった。
それを考えると光秀は朝廷から何らかの意向を汲んでたんではないか?と推測できる。
勿論、それは事実と違うかもしれない。
しかし、明智の子孫がそれについて本を出している。
それは「本能寺の変431年目の真実」や。
本能寺の変は日本史の七不思議に数えられてる。
どうして光秀はあんな暴挙に出てしまったのか?
うちが思うに単独であんなことを考えるほど光秀は馬鹿ではなかったと思う。
何らかの手違いがあったんではないかな?
いろんな陰謀論があるよ。
朝廷陰謀論、家康との陰謀論、秀吉との陰謀論。
しかし、家康との陰謀論というのはどうもおかしい。
その時点で家康は信長とは比べ物にならないレベルの地方大名だった。
そんな人物と光秀は手を組むだろうか?
これは明らかに無理がある。
寧ろ、家康については信長の家康暗殺論のほうが信ぴょう性がある。
いや、知らんけど、常識的に考えれば、可能性としてはそっちのほうがある。
続いて秀吉との陰謀論。
これは根強く言われている架空の話だね。
本能寺の変で最も得をしたのは秀吉だから。
でも、それは結果論であって、実際は柴田勝家などの強敵もいた。
ただ信長、信忠を討ち取れば天下を獲れるという話ではない。
これも説得性に欠ける。
個人的に最も可能性があるのは朝廷との陰謀論。
光秀は細川藤孝とも仲が良かったし、ある意味、古い体質の秀才だったから、これが一番説得力がある。
しかし、現実には秀吉が中国大返しをすると細川は光秀に協力しなかった。
これも冷静に考えれば不自然な点が多い。
結局は何で光秀が信長を討ったのかは謎のまま。
ただ、信長はその前4~5年ほど実際の戦の場には出ていなかった。
ほとんど部下に任せていた。
それが急遽、秀吉の要請によって出陣することになった。
信長としては久しぶりの戦場ということで、気合も相当やったやろうね。
49歳だったし。
それも信長は有力な部下を何人か馘したり、放逐したり、亡ぼしたりしてた。
荒木村重や佐久間信盛が有名だけど、他にも細かい武将はいっぱいいる。
褒賞として与える土地が不足していたり、有力武将が多すぎて放逐せざるを得なかった人物もおるんやろね。
それが結果的に信長の命を失った原因ではないかと思ってる。
ある種の精神異常を来たしていたんではないかな?
信長の史実を見ると。
非常に庶民から慕われてたというエピソードが多いし、裏表のない人物だったように思える。
情け深い人間でもあった。
そういう信長を見て光秀は「田舎臭い」と思ったんではないかな?
いや、これはあくまでも歴史が苦手な素人考えであって、根拠のある話ではない。
ただ、うちは歴史上の人物では信長が好きやから、そういう風に感じてしまうんや。
信長くらい潔い生き方に憧れる。
人間は何らかの仮面を被っているけど、信長はあまりそういう面がなかった。
全然なかったわけではないけど、終始一貫していた生き方は男として憧れる。
うちはそんな生き方死に方をしたい。
嫌われない生き方よりも好かれる生き方や。→筋トレ社長
ほなな。