おう、お疲れ、うちや。
ちょっとこの記事を読んでくれるか?→第一印象は見た目55%
これに加えてアドラーの心理学を考えると、筋トレが如何に効果的なものかがわかる。
人間には承認欲求というものがある。
それを求めるがあまり自分が認められていないと感じると、その相手を恨んだり貶めようとしたりする。
しかしや。
それはあんたが自分に自信がないからこその行動心理なんや。
アドラーというのは100年くらい前の心理学者だから。
実はその理論というのは現代では当て嵌まらないこともある。
その一番の理由は情報量の違い。
100年前と言えば精々ラジオがあったくらいやろ?
しかし、今ではテレビ、ネットの普及により、100年前には信じられないほどの情報が飛び交ってる。
そういう時代にアドラーの心理学を当て嵌めようとしても無理があるということや。
昔は連絡の手段が手紙とか電報というレベルだったから。
その返事をするのに充分考える時間があった。
しかし、今ではどこに居ようと携帯電話で連絡を取ることができる。
そして、ネットで調べれば大抵のことはわかる。
正確で理論的に正しい答えを瞬時に出すことは、ある程度ネットに精通している人なら可能。
しかしや。
物事というのは常に平面的ではない。
複雑な理由が絡んでいる。
一面ではその答えが正しくても、違う面から見ると正しくないということが往々にしてある。
そんな時、人は何を基準にして答えを出すのか?
勿論、ネットで調べた今現在に於ける事実を復唱すれば無難な答えになる。
しかし、それは無個性な答えであって、言い換えれば誰でも言える、知ってる答えであって、ほとんどの場合、相手はそんな答えを期待していない。
事実として間違ってないから、理論的に正しいからという理由だけで。
人はその答えに納得するだろうか?
する場合もある。
仕事に関する問題の場合、そうした方が無難であるし、責任を負わなくてもいい。
だから、楽をしようと思えば、事実を羅列しさえすればええ。
但しや。
それがプライベートな問題であった場合、事実の羅列というのはおっさんの説教と同じ。
そこに説得力はない。
ウザいな~と思われてお終い。
そこに何らかの個性や付加価値がないといけない。
若いうちなら「物知りだな」と多少の尊敬の念は持たれるかもしれないが、おっさんになった場合、事実の羅列はその人間の薄っぺらさに比例する。
じゃあ、個性や付加価値とは何か?
それが筋トレや。
まあ、こじつけだけど。
人間は誰でもこだわりを持ってやってるモノがあるやろ。
その価値観は自分だけのモノと思ってればええんやないかな。
筋トレで全て解決できると思ってればそれはそれでええし、お金で全て解決できると思ってる人はそれはそれでええんやないの?
一面では事実だからね。
要は自分なりの価値観を持つことが大事ということや。
懸垂10回出来るようになれば、うちはもっと強い人間になれると思うてる。
それはそれで事実だから。
ほなな。
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