武豊が通算4000勝。→JRA騎手で初
昔よりもレース数が増えているから、岡部や福永(洋)とは単純に比較できないけど、それでも4000勝は凄い。
デビューが1987年。
足掛け30年かけて、この記録を作った。
この偉大な記録は。
多分、今後も抜かれることはないと思う。
人は彼を天才と呼ぶ。
武豊が勝ちまくっていた頃、口の悪いファンはこう言った。
「良い馬に乗せてもらってるんだから、勝って当たり前」
しかし、良い馬を確実に勝たせる技術。
これこそが天才と呼ばれるに相応しい能力なんや。
1991年の天皇賞(秋)。
豊はデビュー二年目で桜花賞を勝ち、その翌年もその更に翌年もG1で4勝。
リーディングジョッキーにもなり、ノリに乗っていた。
そして、迎えた4年目。
事件は東京競馬場で起きた。
豊は断トツの一番人気(1.9倍)でメジロマックイークに騎乗。
迎え撃つ関東勢は関西勢にやられっぱなしで、何としても関西のホープ豊に勝たせたくない。
不穏な空気を読んだのか豊はメジロマックイーンを押して、スタートから飛び出す。
そして最初のコーナー(第二コーナー)で内に馬を入れようとした時、隣を走っていたプレクラスニーの進路が狭くなった。
更にその煽りを受けて、メイショウビクトリア、プレジデントシチーも後ろに押し込まれた。
この時、メイショウビクトリアに乗ってたのは、関東の総大将ともいえる岡部だった。
レースは混乱し、この時点で審議ランプが点いた。
そのままレースは進んで最終コーナー。
逃げ切りを図ったプレクラスニーを直線で一気に突き放し、マックイーンは1着でゴール。
興奮した豊はウィニングランを行い、更にはゴーグルを観客席にまで投げ入れるパフォーマンス。
柴田(政)が「(審議対象馬になってるから)ウィニングランはするなよ」と忠告したにも関わらず、豊は喜びを爆発させたんや。
審議室に呼ばれた江田、岡部は関東の騎手。
当然の如く「進路を妨害された」と言って豊をかばわず、最後に呼ばれた豊は斜行を否定したもののパトロールビデオを見せられて言葉を失った。
実際にそれほど酷い斜行だった。
結果、メジロマックイーンは18着に降着。
豊にしては珍しいラフなレースとなった。
しかし、その過程において何故、そういうラフプレーに出たかまでは検証されてない。
アウェイだったというのも、その一つの理由だったと思う。
メジログループの総帥はこの判定に激怒。
メジロの馬をその後出走させないとまで息巻いたが、結局はファンの声に押されて矛を収めた。
普通、降着があった場合、ジョッキーを責めるものなんやけどね。
それだけ豊が信頼されていたということや。
G1史上初の1着馬降着。
このレースで死亡した競馬ファンの数は知れず。
まだデビュー4年目やから、熱くなってしまったんやろね。
あの豊でさえ、そういう時代があったという話。
今では関西の、というか日本騎手の重鎮やからね。
4000勝は凄い。
誰もが認める一流ジョッキーの証や。
あと3~400勝くらいは上積みがあるかも。
同じ時代に生きれて良かった。
かなりお世話になったから。
人気のある馬を人気通りに持ってくる。
こんな有り難い騎手はいなかった。
ほなな。
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