
「野球は巨人、司会は巨泉、なんつって」。
前田武彦と放送作家出身のタレントとして人気を二分し、「巨泉×前竹ゲバゲバ90分」で人気を不動のものにした。
プクッチはギリ、「ゲバゲバ90分」が観れた世代。
やがて巨泉は「11PM」などの司会をこなして名司会者の地位を確立。
「11PM」の1コーナーが後の24時間テレビ愛は地球を救う!に発展した。
その功績は枚挙を厭わない。
享年82歳。

合掌。
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巨泉にはいろんな肩書がある。

放送作家、タレントという肩書以外に、競馬評論家、音楽評論家、実業家、芸能プロモーター、馬主、元政治家、など。
特に競馬評論家として名高く、サンケイスポーツや競馬専門紙エイトにも執筆していた。
「府中の千八、展開要らず」「競馬は所詮いい加減」という格言は巨泉が作った。
巨泉の競馬的中率を調べたところ回収率は約81%。
控除率が25%であることを考えると、この回収率は優秀。
それも巨泉の予想が人気があったため、本命に推した馬のオッズが下がるということが度々発生した。
もし、巨泉が予想を公表せず、自分だけで馬券を買っていたら回収率はもっと上がっていたと谷岡一郎は結論付けている。
巨泉は人気に陰りが見えない56歳の時に芸能界セミリタイア宣言をした。

「ギミア・ブレイク」「世界まるごとハウマッチ」など、人気があったにも関わらず、巨泉はすっぱりと芸能界からセミリタイアした。
若手にその座を譲るという意味でも良かったと思う。
巨泉がお金に拘るのなら、もっと芸能界にいたと思うけど、巨泉くらいになると、お金なんか要らんかったやろね。
巨泉と同じように人気があるうちに引退した芸能人として、上岡龍太郎、吉村真理がいる。
2001年に民主党から参議院議員に立候補。
この当時、既に巨泉は外国暮らしをしていたので、「選挙運動のために帰国するつもりはない。党で当選させといてくれ」と言ったらしいけど、さすがにそれはアカンやろということで、日本に帰国し、形だけの選挙運動を行って当選。
しかし、民主党と意見が合わず、6か月で辞職。
「日本の民主党がこれほどまでに反民主的な集団とは思わなかった」とは巨泉の弁。
これに対して、自民党の福田康夫は「比例代表で選出されたのだから、それは職場放棄だ」と激しく非難した。
その後、巨泉は太陽の動きに合わせて移住地を移動するようになる。

11月から4月まではニュージーランド、オーストラリアで凄い、6月から9月まではカナダに滞在。
5月と10月に帰国し、その期間だけテレビに出まくっていた。
外国暮らしが好きなようだが、日本の寿司屋で寿司を食べビールを飲んで「日本人で良かった」という発言をしていることから、日本が嫌いだったわけではない。
寧ろ、愛していた。
基本、巨泉は生放送が好きで、出演する番組も生放送を選んでいた。

そこには巨泉のテレビに対する哲学みたいなものがあって、「バラエティは生放送じゃなければ駄目。今の番組はスタッフの意向でハサミを入れる(カットする)から、出演者の面白さが伝わらない」「映画は監督のもの、テレビはホストのもの」が口癖だった。
巨泉はメジャーリーグにも精通していて、メジャーリーグ評論家という肩書も持っていた。
メジャー30球団の選手名鑑を発売するほど精通していた。

プクッチもギャンブル評論家や温泉評論家の肩書を持つ。
こんなものは言った者勝ちやけど、巨泉にはいろんな哲学があった。
タレントを呼び捨てにしたり、あだ名で呼ぶなど馴れ馴れしいスタイルは巨泉が始めたものやけど、それには小島正雄の「ステージの上にいるものはギャラをもらって商売してるんだ。下で見ている人たちは金を払ってきているお客様だ。売っている人間同士が買ってくださるお客に対して「さん付け」で紹介するなんて、それこそ失礼だと思わないか」という教えを守ったため。
またAKBについても厳しい目で見ており、「若い娘集団にいい年をしたおじさんが夢中になるのは日本くらいだろう」と批判している。
巨泉はそれまでタブーとされていたギャンブルをテレビコーナーとして確立させたり、釣りやゴルフなども番組として成立させた。
ある意味、テレビの近代化に多大な功績を遺した。
ゲント・ギルバート曰く、「巨泉の話す英語は上手い」。
早稲田中退やけど、日々努力することは忘れんかったんやね。
巨星、堕つ。
また、一つ、時代の象徴が消えた。
残念や。
次はわが身か?
「あっぱれ!をあげて」って、それもネタか?→どう、あっぱれ!なんだ?
いろんな人から愛された人やった。→自分もこうありたい
ほなな。
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