鳩に託す人生 | プクッチ劇場

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ギャンブル魂の真実

 近頃、筋トレの影響でボクシングの試合をよく見てるんだけども。

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 1988年までのマイク・タイソンと1989年に行われたフランク・ブルーノ戦以降のタイソンとでは明らかにスタイルが変わったように見える。

 88年以前はウェービングやスウェーを多用して上体をやたら振っていたのに、89年以降はやたらと相手のパンチをもらうようになった。

 相手に研究された結果なのかと思ったけども、ボクシングが雑になったように感じる。

 結局その2戦後のジェームス・ダグラス戦で敗れ、タイソンはタイトルを失う。

 正直、ジェームス・ダグラスはそれほど強いボクサーではなかった。

 その証拠にジェームスは一度も防衛することなくチャンピオンから陥落。

 直後に引退している。

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 マイク・タイソンはイベンダー・ホリフィールド戦での咬み付きやレイプ事件、大麻事件を起こして今や非常に印象の悪い元ボクサーになりつつある。

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 そんな彼が今、何をやってるかというと、伝書鳩レースに夢中になってるらしい。

 あのタイソンが鳩?と思う人もいるが、年齢的には自分と変わらないタイソンだが、今や好々爺の顔つきになっている。

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 ガッツ石松に似てるな。現役時代はヒデに似てると思ってたけど。

  タイソンが子供の頃、いじめられっ子だったのは有名な話。

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 現役時代のタイソン

 しかし、大事に育てていた鳩を不良グループに殺され、逆上したタイソンが不良グループに殴り掛かり、そこではじめて自分の強さを知ったというタイソン。

 その後、タイソンは当時、米国の中でも最悪のゲットーと呼ばれるブルックリン区ブラウンズビルで札付きの悪になり、9歳~12歳の間に51回も逮捕され、トライオン少年院に収監される。

 そこで更生プログラムの一環であったボクシングと出逢い、その才能を開花させるキッカケとなった。

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 現在のタイソン。デブ過ぎ。





 少年院の担当教官ボビー・スチュアートはタイソンの才能に気が付き、繋がりのあった名トレーナーのカス・ダマトはタイソンの身元引受人になってボクサーの英才教育を始める。

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 カス・ダマトはタイソン以外にもフロイド・パターソンやホセ・トーレスを育てた実績を持つ。

 カス・ダマトがセコンドについたボクサー達は誰一人として試合中に死亡したり、パンチドランカーなどの後遺症にならなかった。

 選手の健康管理にも厳しく目を光らせていたことが窺える。

 タイソンの父親はタイソンが2歳の時に蒸発。

 母親のローラ・スミス・タイソンも16歳の時に死去している。

 タイソンには兄と姉がいるが、姉も1991年25歳で死亡している。

 そうした背景もあって、タイソンは自閉症児のような一面があり、二宮清純がタイソンを取材した時、その言葉使いに独特の甘えたイントネーションの名残があったらしい。

 実際にタイソンは自閉症ではなかったが、躁鬱病と診断されており、長期の治療を受けていた時期もある。

 ロスオリンピックを目指したタイソンだが、タイソンのボクシングスタイルはポイントを稼ぐアマチュアボクシングは向いてなかったこともあり、決勝戦でヘンリー・ティルマンに代表の座を奪われてしまう。

 そのヘンリーはロス五輪で金メダルを獲ってプロに転向後、タイソンと再戦するが1RKO負け。
 
 アマチュア時代のタイソンの戦績は52戦47勝5敗。
 
 1985年に18歳でプロデビューすると破竹の勢いで11連勝。

 しかし、その直後カス・ダマトが死去。

 タイソンは後にカス・ダマトについてこう語っている。

 「カス・ダマトは俺にとって父親以上の存在だった。もちろん誰でも父親になることはできるさ。しかし、それは血がつながっているというだけの話だろう。カスは俺のバックボーンであり、初めて出会った心の許せる人間だった」


 

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 タイソンの連勝は止まらず37連勝を記録する。

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 28勝目でトレバー・バービックを破ってWBA世界ヘビー級チャンピオン。

 29勝目でジェームス・スミスに勝ってWBC世界ヘビー級チャンピオン。

 31勝目でトニー・タッカーを破ってIBF世界ヘビー級チャンピオン。

 タイソンの連勝は東京でジェームス・ダグラスに負けるまで続く。

 問題の1988年に何が起きたのか?

 それは生前カス・ダマトが「グリズリーには近づいてもドン・キングには近づくな」絶対に組んではいけないと言っていたドン・キングのプロモートを受ける。

 これ以降、タイソンのボクシングは精彩を欠くようになる。

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 何でこいつってこんな面白い髪型してるんだろう?


 タイソンのチームはカス・ダマトが生きていた時代は結束していたが、ダマトの次に信用していたジム・ジェイコブスが白血病で突然死。

 ドン・キングはタイソンの妻に接近して取り入ったため、タイソンのチームに亀裂が入る。

 タイソンはやがて、ダマトの跡を継いでいたトレーナー、ケビン・ルーニーを解雇、ボクシングを始めた頃からの後援者であったマネージャーのビル・ケイトンも解雇。

 ダマトの残したチームはバラバラになる。

 やがてタイソンの周りにはモラルや私生活の監視役がいなくなり、ドン・キングはタイソンの好きなようにやらせた結果、離婚騒動、自殺未遂、訴訟沙汰、交通事故、放蕩、練習不足、試合の延期など、リング外のトラブルが増えていく。

 我々、日本人から見るとマイク・タイソンというのは「とても強いボクサー」というイメージだが、彼も一己の人間であり、その背景にはタイソンを見守る人間の存在がいたことがわかる。


 プロ入りはじめて長期ブランクを経た1989年のフランク・ブルーノ戦では緩慢な試合を見せる。

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 地力でこの試合は勝利するものの、まともにカウンターもらってふらつく場面も。

 この試合を見たタイソンの兄弟子ホセ・トーレスは「カスが教えたものは何もかも失われていた。左右への動き、コンビネーション、タイミング、忍耐、最も基本的な左ジャブ・・・。そして、カス・ダマトと深い繋がりのあったコーナーマン達もそこにはいなかった・・」とコメントしている。

 そして次の試合は格下相手だったので何事もなかったように思えたが、迎えた1990年2月11日、タイソンは東京ドームで行われたタイトルマッチに敗れタイトルを全て失ってしまう。


 
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 その後、タイソンは1991年レイプ事件を起こし刑務所に収監される。

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 しかし、この事件はタイソンが嵌められたと見る向きが多い。

 有名になったタイソンからお金を獲ろうする輩が、タイソンを見守るチームが消滅してしまったため、タイソンの周りには集まってきていた。

 その後1995年に仮釈放され、フランク・ブルーノを倒してWBC世界ヘビー級王者に返り咲き。

 続いてブルース・セルドンを破り、WBAのタイトルも取り返す。

 しかし、11月に行われたイベンダー・ホリフィールド戦に11RKO負けしてWBCのタイトルを失う。

 そして次の試合で有名な咬み付き事件が起こる。

 ここでイベンダー・ホリフィールドというボクサーがどういうボクサーであったか説明しよう。

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 ホリフィールドは元々はクルーザー級の選手で世界王座を統一し、同階級では無敵だった。

 無敗のまま、彼は階級を上げてヘビー級に転向する。

 強打と大柄な相手にも真っ向から勝負するスタイルは「リアルボーイ」と呼ばれ、ファンも多かった。

 しかし、ヘビー級に転向してからは体格差を補うためダーティーテクニックを頻繁に用いるようになる。

 それは見たジョージ・フォアマンは「ホリフィールドほどダーティーな選手はいない」と批判した。

 タイソンとの試合でも、タイソンのスタイルは相手の懐に飛び込んでの強いパンチを繰り出すというものだったが、ホリフィールドはバッティングやクリンチを繰り出し、パンチ以外の攻撃でタイソンにダメージを与えるという試合運び。

 それが伏線となって次の試合でタイソンはホリフィールドの耳を咬みちぎるという暴挙に出る。

 いくらなんでも咬み付きは駄目でしょうという意見はごもっともだが、ホリフィールド自身も過去に相手選手の肩に咬み付いたことがある。


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 やがてタイソンは坂道を転がるようにコカインや飲酒運転による事故などで逮捕されるという悲惨な末路を辿る。

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 今では講演や映画などの収入で細々と暮らす人生だ。

 タイソンはその生涯で何億ドルという賞金を稼いだはずだし、CM料や他の収入を合わせれば相当額のお金を持ってないとおかしい。

 が、彼は2010年に破産宣告をしている。

 そして、今では鳩を育てる気の良いオッサンになってる。

 何に散在したかはドン・キングとのファイトマネーの搾取による裁判費用、そして取り巻き連中に豪快にお金を使ったと言われている。

 ラスベガスの宝石店では取り巻き連中に気前よく宝石をばらまいて1時間で6千万円使ったとの話も。

 タイソンは言う。

 「俺は何も持たずに生まれてきた。そして、何も持たずに死ぬだろう」

 「俺はハードに遊び、ハードに働き、そしてハードに死ぬのさ」

 「俺の人生なんて全くの無駄さ。これまで30年を生きてきて、幸せだったことなんか一度も無かった」

 「俺はただ勝ってカスが喜ぶ姿を見たかっただけさ。それだけで満足だった。少なくともオレは世界一チャーミングな男になろうとも、ミスター・ブラック・アメリカになろうとも思っていない。勝てばすべてが解決する、そうカスに教わっただけなのさ」

 もし、彼がカス・ダマトと出会っていなかったら、ブロンクスで燻った人生を送ったかもしれない。
 
 もし、彼がドン・キングと手を組まなかったら偉大なチャンピオンとして今も人々の記憶に良い印象を残したかもしれない。

 強い時のタイソンの試合を見てると試合終了後には必ず相手コーナーに挨拶に行ってたんですね。

 そしてラウンド毎の休憩の時でもしっかりとトレーナーの話を聞いてました。

 それが段々と横暴になってきたり、休憩中でも自分の感情を顔に出すようになりました。

 出会う人によって「マイク・タイソン」像は違ったものになってしまったんですね。

 因みにカスが教え、タイソンが使っていた防御法は「ビーカーブー」スタイルと呼ばれてます。

 日本語にすると「いないいないバア~」スタイルということですね。

 「カスが最も熱心に教えてくれたのは、ボクシングの技術それ以上に心の問題だった。リングに上がるとき、ボクサーは誰でも恐怖で凍り付いてしまう。その恐怖をどう克服するか。修練しかない。人は熱心に励むことによって、恐怖を友人にすることが出来る。どんなに強かろうが、修練したことのない奴はクズみたいなものだ。いかに恐ろしい相手の前でも勇気を失わずにいられるのは修練の力だ。恐怖(フィア)は火(ファイア)と同じ。人々を焼き尽くして駄目にすることもあるし、素晴らしいことを成し遂げるエネルギーにもなる。人間にとって何が一番大切か。力ではない。姿でもない。決心と人格。これだよ……。カスは毎晩、毎晩、そんな話をしてくれた。俺にとって、なんと新鮮な経験だったことか……」

 人との出会いは大事だという話ですね。

 そして修練(努力)しない人間はクソのような人生を送るということです。



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