勝ち負けの問題ではないという人もいるかもしれない。


しかし、英国国教会の国で、首都の市長にイスラム教徒のパキスタン人を選ぶイギリス人から学ぶことは大切だ。


これ何だと思いますが。


私は英国各地のスーパーやグローサリーでレジ横に置かれたこのゴミ箱のようなものを、当初何だろうと不思議に思ってた。中身は全て新品。


数年前、サラと買い物に行った時、彼女が支払いを終えるや否や、ここに買ったものを二つほどポンと入れるのを見て、ボケたのかと心配になった。


彼女は「お腹を空かせた移民難民やイギリスの困窮者が自由に持っていけるように皆買ったものを寄付して行ってあげてるの。」


おーい!

廃棄のコンビニ弁当をホームレスが持って行かないように、わざわざ解体して捨ててる日本の店長達

聞いてるかーい?


日本で、困窮者やホームレスにあげたくない理由をニュースで見た。

「そのまま捨てたら一般の人達も買わずに持って行ってしまうから」と答えてたその国民性の情けなさよ。


心の貧しさ

民度の違いは決定的だ。


このシステムを見た英国ツアー参加者のお客様で日本の大手スーパーに勤める方は、チャリティショップを日本では120%無理と言った警察署長同様「うちのスーパーでは120%無理。(出た!120)

困ってない人達も全部抱えて持ち去るだろうし下手すると転売されてしまいます。

第一買った品を入れてくれる客なんているわけないです。うち、万引きで何店舗か潰れてるんですよ。」


英国、あふれる寄付の品を、困窮者以外誰一人持ち去ろうとしない。

服装の粗末な親子が入って来て、遠慮がちに二つほど取って持って行くのを見たが、皆視線をそちらに向けない思いやりがある。

寄付するイギリス人も立派だが、貧しいなりにもいくつも取らない人達も又、心まで貧しいわけではない。



先日英国の友人と話した時に、ケン・ローチの映画を勧められたが

「私はダニエル・ブレイク」という映画を見たのは実はかなり早い時期だった。

その人より早かったかもしれない。

確かブログにもちらっと書いた気がする。


この映画をどう見るかは、見る側の受け止め方だ。

単純な見方だと、「イギリスの福祉の人ひどい!」

「ダニエルかわいそう」になるだろう。

しかし、ケン・ローチはインテリジェンスある監督、それだけじゃないイマジネーションを観客に問うてる気がする。

弱者を冷静な目で描き、見る側に判断を委ねている。


私がまず感じ入ったのは、ダニエルのこれまでの生き方だった。

とことん助けてくれる友人知人親類との関係を長い人生築いてこなかったということだ。

阪神大震災時にも思った。

自宅が全壊した私は一日も避難所で過ごしてない。

何ヶ月もの間、友達やいろんな方のお宅で温ぬくとお世話になれたのは私が好かれてるからではなく

それまで生きて来た周りとのギブアンドテイクの結果だと思ってる。

世の中に、やってもらって当たり前のことなどない

というのが不幸な子ども時代を送った私の悟りなのだから。

「助けてこそ助けられる」が身にしみている。

平素の周りとのコミュニケーションは大事だ。


ダニエル、どうやって生きて来たんだい?

同級生や幼なじみ、親戚は?と、まず頭に浮かんだ。

隣の黒人の男の子との関係も稀薄。

パソコンで世話になっても、その後「何かあったら言ってくれ」と声かけてくれる男の子に心開こうとしない。

もし気軽に遊びに行ってネットに強い彼から各所のフードバンクや教会のランチデー、ダニエルが最後に辿り着いたまともなサポート機関を検索してもらえてたら又違ってたことだろう。


せっかく雇用された新しい職場も断って経営者を怒らせる。

そりゃそうでしょう。

心臓悪くて前職ドクターストップかかってた彼が、せめて1日でも新たな職場で働いてから「やっぱり体調ダメでした」となると、働く意欲はあったと判断され、生活保護がおりやすいのは日本も同じだ。

(私はこのサポートもしている)


そして、シングルマザーと仲良くなるのだが

この女性がフードバンクで食べ物を貪るのを見た

イギリス人は違和感しかないだろう。


そもそも上記のように富裕な地域以外でも

スーパーのレジ横で食べ物が簡単に無料で手に入る。

私は北の果てでも見たぐらいだ。


英国中の教会で毎週飢えた人々に炊き出しもやっている。


サラや私も、よくこれを手伝ってるのだが

飢えた人達が次の週まで待たなくていいように、こちらの教会では木曜日、少し離れた教会では土曜日など各教会曜日が違う。

なので3日をおかずに、どこかしらで食べ物が手に入るようになってる。

映画のようにお持ち帰り自由の食材も置いてあるので、この国の貧しい人々が痩せてないのはその理由だろう。


この女性がフードバンクを初めて知ったかのように描写されてたのは何故なのか。

街中いたるところに貼ってある炊き出し掲示板や教会の前で人々が並んでるのが目に入らなかったのか、そこは映画の演出だから仕方ないとしても非現実的だ。

ダニエルに食事を出して自分はりんごをかじって飢えをしのいでる場面含め、不可解な箇所は多々あった。

ボランティア仲間の間でも、あの映画はおかしい。あそこまでお腹空かさせないよう皆頑張ってるのにという話になった。

英国各地の田舎に至るまでボランティアに命かけてる人達やるせなかっただろう。


ケン・ローチは、こういうことも含めて見る側に投げかけたのかもしれない。

人は一人では生きられない。隣人の声かけてくれる若者より自分のテイストに合う人とだけつるむのは果たして正解なのか。


面接に行った仕事を事前に断る不器用さは命取りになる。


世の中の余計な情報はいいから、せめて飢えずにすむ掲示板ぐらい注意を払いなさい。

自分のことなんだから。


など、弱者の味方でありながら、しっかりしなさいよという教示も含んだ映画だと思ったのが、私の受け止め方だった。


ちなみに、スーパーのレジ横の寄付カゴ

サラほど裕福じゃない普通のサラリーマン夫人の友人達

マージョリーもアンもクリスもレイチェルも

常に何か一つ入れている。


それから、私はこれまでハムステッド、ダリッチ、ウィンブルドン、リッチモンド、ケンジントンというロンドン中の高級住宅街に住んだが、自分で選んだ場所ではない。

ケンジントン、ウィンブルドンは、留学先の斡旋だったし、ダリッチ、ハムステッドはベビーシッターがきっかけだった。


なので、自分で選んでない分、とんでもない所にも住んだ経験がある。

これ何だろうと思ってた近所の建物が刑務所だった。

マクドナルドとスターバックスのない駅は避けるように、アメリカ企業は治安をリサーチしてから店舗を出すからと聞いてたが当然どちらもない街だった。


けれど、その物件安い地域にもこの寄付カゴはあった。