コロナによる自粛はつらかったけど

決まり事を守る方にとっては
有り余る在宅時間
ご無沙汰してる方達との連絡再開の機会となったのではないでしょうか。

私もいろんな方と連絡取れた。

過去の記憶を手繰ると

思い出が次々よみがえった。

学生時代、北海道のペンションで約1ヶ月アルバイトしたことがあった。

どのペンションも都会からの子連れ脱サラ夫婦が

移住してきてまだ数年しかたってなかった。

客が少ないから経営は潤ってなかったけど

皆仲が良かった。

そのうちの一軒のオーナーは母親と子供達だけの家庭で父親はいなかった。

ある日、この母親が子供達を残したまま失踪した。

残された小学生と幼稚園の子供二人を

近所のペンションは何の迷いもなく引き取って

我が子二人と隔てなく面倒みていた。

奥さんは女の子をなつき(仮名)と我が子のように

呼んでいた。

養子とか児相とか、しちめんどくさい話は一切出てこない。

ただ親がいないなら、いつか戻ってくる日まで

食べさせて学校に通わせるというシンプルな愛情で。

界隈には7軒(多分)のペンションが集ってたが、

誰もこの子達に同情するそぶりを見せず自然体で可愛がっていた。

私がバイトしてたペンションの母さん(バイト達はこう呼んでいた)は
小学生の息子二人に勉強面では厳しくなかったけれど

私がいた間に厳しく言ったのはこのひとことだけだった。

「あんた達、なつきちゃんいじめたら
しょうちしないよ!」

いろんな優しかった人達が、次々と浮かんでくる。

添乗中のことも。

関空発のツアー中、一人参加の初老男性が浮いていた。

個性的というか、周りに溶け込むことなく
当時のツアー客同士仲良くなる時代には珍しいタイプの方だった。

1週間たっても一人ぼっち。
添乗員としてとりなすことが難しく感じられた。

ツアー最終日、絶景を前にこの男性が
つぶやいた。

「ばあさん、連れてきてやりたかった。」

初めて聞く、トゲのない言葉

ずっと男性と口きいてなかったサバサバ夫婦の奥様が
「奥さん来なかったんですか」と聞いた。

「死んだんだよ。去年。
どこにも連れていってなかった。
海外旅行いっぺん行きたがってたなあ」
眼鏡の奥が濡れていた。


皆が静かになった。

帰国の日、空港でサバサバ夫婦は
男性に電話番号わたして声をかけていた。
「○○さん、うちにご飯食べに来て下さい。」

文字にしたらなんてことない。
でも奥様の声は、サバサバなのに
私には天使の声に聞こえた。マジで。

優しい時代に添乗できて
幸せだったなあ。

この話、後日談があって

数年後、やはり関空のイミグレーションで

私の前に並んでた女性が大声をあげた。

「パパ!パパ!
添乗員さんよ!アメリさんおるで!」

なんとあの時の天使の声奥様。

また今からツアー出発とのことだった。

再会を神様に感謝した。

また別のツアー中、過激な言動で避けられてた赤毛のヤンキー母娘がいた。
なのに何故か毎晩イタリアにまで持ってきた炊飯器で
温かいおにぎりを握って
「添乗員さん、どうぞ」と部屋に持ってきて下さった。

母娘はいたる所で敵を作り、帰りの機内で
また前の席の方とケンカを始め
パーサーが出てくる騒ぎとなった。
私に「降りますか?!」(←無理。空の上)と一喝され
シュンとなったお母ちゃん
その後配ったアンケートに
逆恨みすることなく「素晴らしい添乗員さんだった。」と書いて下さった。

あー、ユーミンじゃないけど
あの日にかえりたい。