前の保育園で担当してた子供たちも
早やこの春小学生

先日、おつきあいのあるお母様と子供と
三人でベーカリーでお茶を飲む機会がありました。
と、突然、ませたお子ちゃまが
「ねぇママ~、ソウタイセイリロンって何?」
お母様「え?え?F、どこで聞いたの?
     そんな言葉・・・」と絶句。
このFちゃん、お父様の職業の影響もあって、
普段から難しい言葉をよく知ってはいるのですが・・・(^_^;)

いまどきの子供、すごいですよ。
前の保育園で、少し無表情の保育士がいたのですが
子供達その保育士に向かって「ミタさ~ん」「ミタさんOOちゃんが~」
などと呼んでたのです。
当時、「家政婦のミタ」というドラマが流行ってて
主演女優が無表情だったことからなんでしょうけど
怖いのは、子供たちが、他の保育士に向かってそう呼ぶことはなかったこと。
よく見てるのです 子供の成長に関わる仕事は
一瞬の気も抜けない。昨日もそう思えることがありました

話それましたが、お母様「先生に聞きなさい」
ずるい!
「せんせ~い」と私を見るFちゃん。
結局、私だってうまく答えられなかった。
でも、帰宅して物にあふれた部屋にタメ息つきながら考えた。
もし、私がツアーコンダクターという仕事につかず
世界の現状に直接ふれる機会がないまま今に至っていたら
この部屋を「もうイヤ!」と自己嫌悪に陥ってたのだろうな~・・・。

若いころ、共産国という、相互密告でお互いを監視しあう
旅も発言も、遠くにいる親に会うことさえ許されない
そこまでして統制しながら国民の大半はお腹を空かせ
能力があっても、生まれによって(共産党幹部の子供だけ贅沢三昧)
一生報われないという極悪非道の差別社会を、この目で見てきた。
国民は人間らしい感情を奪われ、その社会にヒューマニズムは一切見て取れなかった。
機会あって訪ねた家では、監視人がピタっと私の横につき、家人に本音を言わせなかった。
サバの死んだような眼をして怯えながら生涯を終える人々。
選挙では、いいも悪いもない、自分の主義主張で投票したら
それは、「死」を意味する。
いや、自分だけならいい。生きてても無意味な社会なのだから
特に生にしがみつく人もいないでしょう。
しかし、共産国の怖いところは、ほぼ三親等の赤ん坊に至るまで
その被害が及ぶシステムであるため、誰も自分の気持ちを
表せないということだった。
テレビのコメンテーターが、「なぜ国民は立ち上がらないのでしょう?」などと
無邪気なことを言ってたが、クーデターやデモを起こせる国は、ある意味健全な国、
共産国では、それ以前の段階で、収容所か公開銃殺ですから。
当然、私達ツアコンも、ホテルの部屋にいても盗聴されてるのが分かってるから
さっさとベッドに入って、地獄を抜け出す日を指折り数えて待つのみでした。
その頃からかな。
自分の何もかもが幸せに思えるようになっていったのは。
某国で見た室内に何もない家。
本当に何もなかった・・・。
「貧しくても幸せ」なんていうのは、きれいごとだ。
それは、自由という宝物を本来持ってる上でのことだ。
貧しさも富も、選択肢はその手に委ねられてる人の言葉である。
例えば日本では、親を知らず施設で生まれ育っても
本人の努力次第で大学まで進み、弁護士や医者にもなれる。
実際にそういう人を知っている。
特に際立った能力がなくても、コンビニに行けば時給千円で年中募集してる。
自宅近くのローソンは、アジア人留学生ばかりだが
「日本人が応募してこないから仕方なく」という店長の言葉。

ぐるりと家の中を見回すと
洋服もバッグも靴も一生買わなくてすむだけの物がある。
食べ物さえも、米やそば、パスタなどの乾物はじめ、頂き物の
お菓子や副食品を全てさらえたら
半年は生き延びられるだろう。
あふれる物に、うんざりではなく喜びを感じる。
病気で数年患った後にやってきた更年期障害による体調の悪さに
「普通のこと」とほっとする。
日常の細々とした、当たり前のことに感謝する。
本来私は、そういう殊勝な人間ではなかった。
若い頃は、小さなことに悩み、愚痴り、不平不満もいっぱい。

今は、日本に生まれることができた。
それだけで宝くじに当たったような幸運を感じる。
相対性理論って
子供に説明するなら、これでよかったかもしれない。