イタリアには、素晴らしいものがメいっぱい詰まっています。
ミラノのスカラ座やボローニャ、ベニスのフェニーチェ、
ナポリのサンカルロオペラハウスでのうっとりするような歌声、
人々を圧倒する建築物、今日もそのまま残すルネッサンス文化の香り、
世界一シックなファッション、それらとは相反する田舎の素朴な田園風景。
レモンとオリーブの樹の下で美食三昧のアグリツーリズモ体験。

「カンターレ(歌って)、マンジャーレ(食べて)、アモーレ(恋をして)」
イタリア人の生き方を象徴するこの言葉通りの歳月をイタリアから享受してきました。
一方、一度でもイタリアで暮らしたことのある人なら
別の感想もお持ちのことでしょう。

イタリアの素晴らしさを認めた上でこう言われるのでは。
「そんな一筋縄では行かない国だよ。」
こう言う相手に私は握手を求めたくなる。

それほど彼ら、イタリア人の困ったちゃんに
煮え湯を飲まされてきた日本人は少なくないと思うのです。

イタリアというとまず治安の悪い国、
盗難の多い国のイメージがあるせいか
出発前に不安を感じるお客様から質問の電話が相次ぎます。
「大丈夫ですよ。」と不安を取り除いて差し上げたい気持ちは山々だけど、
実際は「私がついている場所以外では」お手上げ
とお答えせざるをえない。
守りきれないのです。
まず「普通の人」が悪いのだから誰に気をつけたらいいのかわからない。(日本もそうだけど)
例えばBARでコーヒーを飲む。
人の良さそうな親父がお釣りを誤魔化す。
鉄道の窓口で切符を買う。
知的な女性がお釣りを誤魔化す。
ブティックで靴を買う。
レストランで食べ物をオーダーする。
タクシーに乗る。
・・・以下延々と以下同文が続くのだ。

何事にも「気がついてしまう」私はこの攻防戦に
一日が終わるとぐったりしてしまう。
いっそ気がつかない鈍感な人の方が
イタリアを心底楽しめることでしょう。
実はイタリア好きのツアコンの中にはこのタイプの「鈍い系」が多い。
今日もいかに日本人を騙そうかと待ち構えている
イタリア人にとってはネギかも状態の標的となっています。
私は日本人が馬鹿にされることに対しては毅然と抗議の姿勢で臨むことにしています。
(しなくなったらお終いでは?)
が、イタリア人に対しては別の処し方もあるので又の機会にお話したい。
そんな困ったイタリアをただ純粋に「好き」という気持ちだけで終わらせて
くれたのが今回のパスクァ体験だったけど詳細については又明日。