旅をするなら狭い県道、だと「水曜どうでしょう」は言っていた。

高見川に沿う県道16号。なるほど、そう言いたくなるのも納得の、雰囲気のいい道。

山と川と、古い民家、積まれた材木、石垣に畑、生い茂る木々、ゆるいカーブの1.5車線。

飛ばす必要は無い。道に合うバイクに合うスピードで、流れる水のようなイメージでVTR250を走らせる。

ツーリング本来の楽しみ方が味わえる道だ。

 

そのK16には「ニホンオオカミ像」がある。明治時代この地で捕獲された最後のニホンオオカミ、その記録の像。

…というよりは、水曜どうでしょう「原付日本列島制覇」で立ち寄っていた、ファンにとっての聖地。もちろんそこで記念撮影。

するとそこに、ピタピタウェアの自転車乗りさんがやってきて、同じように写真を撮ろうとする。「写真撮りましょうか?」と声をかけ、次に「どうでしょうファンですか?」と聞いてみると、その通りで、どうでしょうトークに花を咲かせてしまった。

どうでしょう藩士というのは、全国どこにでもいる。

「水曜どうでしょう」は私の一番大好きな番組、を超えて、もう人生の一部と言ってもいいほど。あれが無かったら、私の人生は少し違ったものになっていたと思う。

それはもう信仰と呼んでいいものだ。

 

R166を走ると、特徴的な山容の高見山が見えた。

2年前に霧氷を見に来た山だ。素晴らしく美しかった。

 

国道はその下を長いトンネルで抜けているが、その手前に旧道峠へといざなう魅力的な青看が出ていた。

誘われるがままに、その細い道へ。

 

旧道は完全1車線。地元のR303八草峠への旧道にそっくりで楽しい。

その道端に薄水色の花が。おそらくコアジサイ。その繊細な姿は西洋アジサイとはまるで違う、私の大好きな姿。

ヤマアジサイやガクアジサイが、日本古来からあるアジサイの形。やはり寺に鉢植えされるものより、山に自生するものの美しさは格別だ。

こんな誰も来ないところで、こんなご褒美があるとは。

自宅の庭で育ててみて分かったが、アジサイは強い植物である。失敗もあるが、水やりさえしっかりやれば、初心者でも育てやすい生物。分かりやすい魅力と、付き合ってみて分かる魅力。多面的な良さをもう知ってしまった。

私の庭づくりは、山で見た景色の再現をテーマにしているところがある。寺を見るより、酷道を走れば良かったのか。

 

ぐねぐねと登り詰めて、高見峠へ。

ちょっとした広場に登山者のクルマが4台停めてある。霧氷を見たあの時も、こちらからの登山者がいたのを思い出す。

 

が、反対側。三重県側に通行止めのバリケードが。

うーむ。これはどうしたものか。行けるか、行けないか。

缶コーヒーを飲みながら、しばし思案した後、ここは大人らしく引き返すことにした。

 

R166まで戻った。

旧道入口の看板の写真はこの時撮ったもの。

県境の長いトンネルとループ橋で山を下りる。

沈下橋があるというので立ち寄る。

バイク乗りの大好物スポット。

 

そしてこのルートを通るなら行ってみたいと目星をつけていた峠へ。

珍布峠と書いて「めずらし峠」という。

旧街道でもあるが、現在は遊歩道となっているらしく、クルマでは到達が難しい狭さの道。

峠はワイルドな岩の切り通しで、なかなかいい感じ。

 

角度変えてもう1枚。

岩の表情もいいが、道の狭さもいい。

高見峠もそうだったが、旧街道や酷道というのも信仰と呼んでいいものかもしれない。

 

道の駅茶倉駅の少し先、また沈下橋がある。

今度はバイクで下りるのは不可能だったので、歩いてみる。

写真のテーマは「先立つ不孝を許せ」

信仰を語るなら、やってはいけない写真の撮り方だけど。

 

信仰心は何か、と調べてみると、「理屈を抜きにして信じ崇める心の動き」とあった。

じゃあ一般的な神仏への敬愛の気持ち以外にも、好きなもの全般に向けて使ってもいい言葉なのかもしれない。

とするなら、「バイク」や「ツーリング」というのも間違いなく信仰の対象になる。

今日のテーマ、あじさいだけでなく、旅先で見るもの、食べるもの、感じるもの全てが信仰になる。

「あなたの家は信仰心が高い」と言われた解釈を広げるなら、それは好きなもの興味のあるものに向かって突き進んでいるように見える、ということになり、それなら少し理解できる。

私個人はそこまで褒められる覚えもないが、好きな事をやっているという幸せは感じている。

あとは安全運転で帰ろう。