安全地帯の「悲しみにさよなら」を聴きながら、これを書いている。

今聴いてもすっと胸に入ってくる。

今回の旅の思い出にもうまくマッチしているようで、不思議なものだ。

音楽はそれを聴くだけで時代や風景が蘇ってくることがある。

多感な時期の記憶力もそうだが、いろんなものが自分を形作っているのだと再認識する。

 

バイクツーリングというのは単にバイクで移動することだ。

そんなことをなぜ好きになったのか。

それは、生い立ちというか、「神岡」の強烈な印象があったからだ。

 

振り返ると、私の子供の頃は娯楽が少なかった。

そんな中、私はどこかへ行くということに対し、強い憧れがあったのかもしれない。

現代の子供がバーチャルなものを欲するように、私はどこかへ行きたいと思い、今でもそれが続いている。

そして私はバイクに乗るようになった。

 

バイクは危険だ。

あまりにむき出しで、外的要因から身を守る術が無い。

その上、自らの右手から生み出される圧倒的スピードは麻薬的中毒的快感があり、制御不能になる。

しかしだからこそ得られる良さがある。

私はバイクに出会ってしまった。

それはもう人生の一部である。

 

平穏な人生を送りたければ、分かれ道に立った時に、そういう道を選ぶものだろう。

その方がつらいこともなく穏やかにすごせる。

でも、人の歩かない道を歩き、人よりも素晴らしい世界を見たいと、そこにある宝物にめぐり逢おうとすれば、どうしても危険な道、こわい道を歩かねばならない。

その覚悟の象徴が私の場合はバイクということになるだろうか。

私の人生とバイクは切り離せないものになっている。

 

バイクは孤独だ。

でも孤独にどっぷりつかることで、逆に自分はひとりじゃないと気付かされる。

そこから浮かび上がることができれば、もっと優しくなれるんじゃないかと思う。

捨てる神あれば拾う神あり。

やまない雨はない。

そう悲観することは無い。

 

♪泣かないでひとりで ほほえんで見つめて あなたのそばにいるから

 

私の悩み、苦しみ、悲しみは、私だけの特別なものではなく、もっと普遍的なものだ。

難しいことは考えず、生きていくだけでいい。

そう思うことができたら、答えは簡単だ。

私が戻るべきは、バイク、国道41号、そして神岡である。

その道程に自分らしく生きるヒントが多くある。