ザ・シンフォニー特選コンサートVol.31 | 日本語教師の独り言

日本語教師の独り言

日々感じたこと、思ったこと、楽しかったことなどを綴っています。
クラシックのコンサートに、ときどき行くので、そのことも備忘録的に書きたいと思っています。

皆さま、こんばんはニコニコ

 

少し間が空いてしまいました。

いつもどおりです・・・

あるフォロワーさんのブログでも、「時間が足りない」って書かれていました。

めちゃくちゃわかります。

ただ、私の場合、「時間の使い方が下手」なのだと思います悲しい

こればかりは、どうにもしようがありません・・・

 

さて、

 

 

 

 

 TODAY'S
 
ザ・シンフォニー
特選コンサートVol.31

 

 

 

 

というお話ですルンルン

 

 

 

 

昨日、大阪のシンフォニーホールでの演奏会に行ってきました。

妻がチャイコフスキーの「弦楽セレナード」という曲をナマで聞いてみたいというので、タイミングよくそれを演奏するコンサートがあり、足を運びました。

 

その模様をお届けいたしますグッ

 

 宝石ブルー 指揮

    小林研一郎

 宝石ブルー 管弦楽

    大阪フィルハーモニー交響楽団

 宝石ブルー 曲目

  P.チャイコフスキー

   弦楽セレナード ハ長調 作品48

  J.ブラームス

   交響曲第1番 ハ短調 作品68

 

大阪フィルハーモニー交響楽団は「大フィル」と呼ばれ、関西を代表するオーケストラです。

その創始者は朝比奈隆さんで、93歳で亡くなられました。亡くなられて、もう20年ぐらいでしょうか。

何度か、ナマで拝聴する機会があり、感動したことをよく覚えています。

 

 

 

 

 

 

 

さて、その大フィルが演奏する演奏会の1曲目は、妻が聞きたいと言っていたチャイコフスキーの弦楽セレナードです。

ドーシーラーと音階を下げながら始まるこの曲は、チャイコフスキーの美しさを感じる1曲だと私は思っています。

 

今回の演奏は、非常にゆったりとしたテンポだと感じました。そして、緊張感というかメリハリというかがなく、私にとっては物足りなさの残るものでした。

 

また第2楽章は、大フィルの演奏が「歌えていないな~」と残念さを感じながら聞いていました。

 

第4楽章になり、ようやく回復の兆しを見せてくれましたが、それでもやはりメリハリや緊張感のなさを感じ、指揮者・小林研一郎(コバケン)の思いに十分に答えられていないように、私自身は感じていました。

 

ところが、指揮者コバケンは、「大フィルのすばらしさに感動しました」とコメントを発し、聴衆を湧かせていました。

大きな声では言えませんが、私には「印象操作」のように感じられ、「んー」と、ただただ疑念の残るものとなりました。

 

この辺りは、個人的な好みもあるので、なとも言えません。

そして、コバケン信者が多数いるので、「アンチ」のように撮られても困るので、この辺にしておきます。

 

 

 

 

 

 

休憩後に演奏されたのが、ブラームスの交響曲第1番。

 

こちらは、よかったです!

 

さすが!と言えばよいのでしょうか。ドイツものを得意とした大フィルらしい演奏だったと思います。

冒頭で紹介した朝比奈隆さんは、ドイツもの(ベートーヴェンやブラームスなど)を得意とし、その朝比奈さんが築き上げてきたオーケストラだけあります。

もちろん、朝比奈さんが指揮していた時代のメンバーとは大きく違いますが、DNAというか血というか、そういうものが脈々と受け継がれているような気がしました。

 

ただ、こちらも第2楽章や第3楽章で「歌う」箇所は、「あれ?」と感じさせられる場面がいくつかありました。

「なんでだろう?」と考えていたのですが、もしかすると木管楽器(オーボエやフルート)に原因があるのかもしれません。

専門家ではないので、詳しくは書かないことにします。

 

第4楽章の目玉というか、メインメロディーが出てくる前の緊迫感は、実にすばらしく、メロディーが始まった瞬間、鳥肌が立ちました。

それを見せられる大フィルは、それだけの底力があるということだと思います。

 

 

 

 

 

 

総評

 

 

 

今回、指揮をした小林研一郎さん、通称、コバケンさんは83歳です。

先日、亡くなられた小澤征爾さんが88歳ですから、5歳の年齢差です。

それを考えると、めちゃくちゃお元気で、若々しく、かつエネルギッシュに指揮をされており、その姿には感動させられます。

ただ、これまで何度かお見掛けしましたが、やはり年齢を感じさせられるというか、「老い」を感じました。

その分、厚みを増し、まさに「円熟」の演奏だったのではないか思います。

 

その円熟に、大フィルは応えようと努めていたと思います。

 

両者の思いが完全に一致するというのは、なかなか起こるものではありません。

それでも随所にそれを感じることができ、よい場に居合わせられたと思っています。

 

次にこの両者(コバケンさんと大フィル)の演奏を聞くのがいつになるかわかりませんが、次回を楽しみにしたいと思います。