まず、夜中の日記にコメントをくれた皆様、
ありがとうございます!

あんな酔っぱらったテンションで書いたブログに
こんなにも反応してくださって、正直
ビックリしました(笑)。これからもたま~に
クサイブログ書くと思うので、その時はまた
お付き合い下さいね(笑)。
皆様からコメントをもらい、元気出ました!


さてさて、本題に戻って2005年のメンズエッグ。


モデルの層も厚く、企画力も強く、スタッフも充実、
本誌&別冊ともにセールスも好調!
さらにはメンナイも全国で大盛況!
そんな盤石なメンズエッグに、危機が訪れた。


看板モデル・伊利篤の引退宣言。


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篤に捧げた引退企画(2005年10月号より)

ちなみに、歴代モデルで引退企画をやったのは
ヨッチャン、小野寺タカミチ、植竹ヒロムの3名のみ。
ヒロムにいたっては盛大な送別会を2回もやり、誌面で堂々と
引退宣言をしたにも関わらず、未だにキレの悪い小便の
ように、脇役でチョロチョロと出続けています(汗)。
呼ばれても断れよ!


この4名なら、引退企画を大々的にやることに関して
何の異論もないでしょう。篤の存在は、それほど
当時のメンエグにとって強力な武器だった。

被写体としては今までの誰よりも優れていたし、
なによりその個性的なファッションセンスは、
当時の読者の9割以上に影響を与えたのではないかと思う。
現役メンエグモデルの多くが、今も篤に憧れて
いることを踏まえると、決して9割という数字は
大げさではなく、4年経ってもその名前は確実に響いている。

現役当時から、ヒロムが主宰する「ピースオンマーズ」に
参加。その後POMを卒業し
「レッドリーチュエ」というブランドを
立ち上げていた篤は、自身の知名度とともに
アパレルも一定の成功を収めていた。たぶん
「篤クンのブランドだから」という本質を見ない
ユーザーが大半だったろう。
そんな実状に、篤は数ヶ月前から違和感を覚えていた。

「メンズエッグの伊利篤を捨てて、アパレル一本で勝負してみたい」

そう声高らかに宣言し、本当に引退してしまった。。
ウワ~、マジですかい。。


当時の僕は「雑誌に出ながら服売ったほうが、よほど
成功するだろう。損得を考えられない若いヤツだな」(笑)
なんて毒々しい意見を持っていたのだが、本気で
打ち込む彼からしてみれば、自分の人気のみで服が
売れていたことは、たまらなく不本意だったハズ。
ま、どんなことにも言えるけど、自分が懸命に築いたものが
上っ面しか見られなかったら、それは確かに悲しい。

超人気モデルだけにいろいろと説得を
試みたのだが、鉄の意思は微動だに動かず、
最後は僕もそのように理解して、送り出した…。


偉大すぎるモデルがいなくなり、その後の
メンエグがどうなるか不安であったが、
ニュージェネモデルの急成長など好材料が重なり、
勢いは衰えなかった。


読者は、メンズエッグの「本質」を見てくれていたのだ。


そんな読者の期待に応えんばかりに、この頃は魅力的な
企画が目白押しでしたが、中でもお気に入りなのがコレ。

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「漆黒の真冬スタイルは“武装戦線”ノリ!」
12月号で展開した、実験的な巻頭企画。
高橋ヒロシ先生にも快諾していただきました!

…3年早かったな(笑)。
今のメンエグにはない雰囲気。保田クン、またやろうよコレ。


さて。

本質を求めることが大事。と若造の篤に気付かされ
多少コンプレックスを持っていた僕は、
篤に出たいと思わせるような次なる雑誌開発を模索し始める。


「メンズエッグ・ビター」創刊夜明け前。。。


つづく。